フローラ《2》
親戚として幼い頃から交友があったエリゼオ様と、十歳の今日、私は婚約を結んだ。
エリゼオ様が騎士という家系の中でも特に剣の才に秀でていたかららしい。
久しぶりに出会った彼は、私に微笑みかけた。
「フローラを守れるよう、頑張るね」
ふわふわのレースがあしらわれたドレスに身を包みながら、可愛らしい姿には似つかわしくない冷めた目をしてしまう。
私が死ぬことなどもう決まっているのだから、こんなことしなくても良いのに。
まだあどけなさが残るエリゼオ様は、私の表情にも気づかずニコニコ笑っていた。
◇◇◇
それから、私の話し相手としてエリゼオ様が来るようになった。と言っても彼にも鍛錬があるから、来るのは月二回くらい。
今日の彼は、私の『聖女』としての力を賞賛していた。
「フローラは凄いなぁ。遠くからの祈りでも、人の願いを叶えられるんでしょう?」
「はい。効率は悪いですけどね」
病人に近付いたり、爵位を持たない人に近づき私が祈ることをお母様は酷く嫌悪した。
だから折衷案として、神殿で神官に話を聞いてもらい、私が自室で祈るのだ。そうすれば、かなり効率は悪いが私の身は安全となる。
私の話をフンフンと楽しそうに聞いている。
「とっても凄い力ですね!」
チリ、とくすぶった想いが湧き上がる。
「まあ、私にはなんの意味もないモノですけどね」
私にされた予言の内容も知っているエリゼオ様は、私の言葉を聞きハッと顔を青くさせた。
「す、すみません」
「――謝らないでください。私が嫌な人みたいじゃないですか」
シワが出来るくらい、キツくキツくドレスを握りしめる。
眉間が痛くなり、涙がせり上がる。
「……どうしてこんなに頑張らないといけないのでしょう、私はもう死ぬだけなのに」
キッとエリゼオ様を睨みつければ、彼は顔を伏せ謝った。そして微妙な空気が流れる。以降私もエリゼオ様もなにも話すことはなく、そのまま彼は帰っていった。
それから、彼は訪れない。もう二ヶ月はエリゼオ様を見てないだろう。まあ自分がそうなるように仕向けたのだから順当な結果だろうと紅茶を飲んだ。
そこでメイドから、今からエリゼオ様が来るとしらされる。
久しぶりに顔を見せた彼は、何故か手がボロボロだった。
「フローラ、君にこれを」
その手に乗せたなにかを、彼は私に渡した。見れば、不器用な紋様の刺繍が施されたハンカチだった。
「……コレは?」
じっとりと問いかければ、彼は胸を張って答えた。
「僕が刺繍したんだ!」
見れば分かる。
「で、それをどうして私に?」
苛立たしげに聞けば、エリゼオ様はいつものように優しく笑った。
「この紋様は、幸福を象徴するらしいんだ。だから、少しでもフローラに幸福があるようにって。僕からの精一杯の『祈り』だよ」
目が乾燥するくらい見開いてしまった。
誰かに祈られたのは、初めてだった。
ゆっくりと指で不格好な紋様の刺繍を撫でる。
――そうだ。私が生きられるのは刹那の間だとしても。だからこそ、自分の生を謳歌したかった。過保護に守られるのではなく、『聖女』と崇められるのでもなく、普通の女の子として生きたかった。
ああ、私はずっと、私の幸せを祈ってくれる人を探していたんだ。
心がゆらゆら揺れる。
「……ありがとうございます、大切にしますね」
触れれば触れる程に、愛おしさが込み上げた。
そして十七歳になった私は、エリゼオと共に必死の想いで両親を説得して学園に通えるようになった。勉強などは大変だったけど、毎日がとても充実していた。
そんな日々でも、私はあのハンカチを手放さなかった。緊張する時でも、このハンカチを触れば元気が出たから。
だけど、洗う度に野暮ったくなってしまったハンカチは、お嬢様である彼女たちには不評だった。
「まあ、フローラ様! 何故このようなハンカチをお持ちになられているのですか!? ボロボロで、私には到底使えませんわ!」
大事に使っているのだから、黙ってほしい。
「刺繍もこんなにボロボロで!」
それは元々。
そんなことの繰り返しで、私はいつの間にか大事なハンカチをスカートの奥に仕舞い込むようになっていた。
どうしたって生きづらいなぁ、とため息が漏れてしまう。
そんな時だった。
「……あれ? あれれ!?」
「? どうかなさいましたかフローラ様」
慌てて「なんでもないです」と取り繕う。だが心臓は早鐘を打ったまま。
ハンカチを何処かに落としてしまった。ちゃんと入れておいた筈なのに。
焦る私は、適当に理由を付けてハンカチを探す為一人になる。だけどどれだけ探しても見つからなくて、その内さっき一緒にいたご令嬢たちとも合流してしまい泣く泣くハンカチ捜索を諦め教室に帰ることになった。
――そこで見つけた。私の席にハンカチを置く、彼女の姿を。僅かに口元に笑みを浮かべていた彼女は、丁寧に畳んだハンカチを私の机の上に置いていた。それからすぐに何処かへ行ってしまう。
机の上に置かれたハンカチを見つけ、コレが私のモノだと知らないご令嬢たちは金切り声を上げる。
「まあっ、気をつけてくださいまし、フローラ様! あの魔女が置いていったハンカチ、どんな呪いがかけられているか分かりませんもの!」
ハンカチを手に取る。呪いなんてない。
「こんなボロボロのハンカチ、汚いので触ってはなりませんわ!」
ボロボロなのは彼女が手に取る前からそうだった。
「……違うっ、違います!」
胸が苦しくなる。私は必死に言い募るが誰も私の言葉には耳を貸さず憤ったが、その場を通りかかったエリゼオがなんとか収めてくれた。
そしてエリゼオにもクラリーチェ様のことを話し、ハンカチを拾って貰ってから二日後にようやくクラリーチェ様と会うことが出来た。
真っ黒な黒髪を靡かせるクラリーチェ様は綺麗で、うっとりと見惚れてしまう。
ブルーグレーの瞳を和らげながらクラリーチェ様は言った。大切にされてそうなハンカチだったから、と。
なんて、尊い人なんだろうと思った。皆がボロボロだと馬鹿にしたモノを、クラリーチェ様は否定しないでくれた。それが途方もなく嬉しかった。ジンワリ涙が滲む。
――クラリーチェ様と、お友達になりたいと思った。
「私と、お友達になってください!」
◇◇◇
「これで、二枚ですね」
「どう、足りそう?」
私は渋い顔をする。
あの時、私のこともクラリーチェのことも忘れているエリゼオに『早く思いだせ』と私は祈った。そして、その祈りの力がいつもより強かったことにさっき馬車の中で気づいたのだ。
それでエリゼオに聞いてみれば、彼はムーンフラワーの栞を取り出した。月光を浴びて咲くと言われるこの花は、どうやら微量ながら月の力を宿していたらしい。
それに気づいた私たちは慌ててクラリーチェの家に戻って、人の家を漁るのは気が引けたが栞を探させてもらうことにした。
栞は、丁寧に机の上に置いてある本に挟まっていた。
私は二枚の栞を指でなぞる。
「……いいえ、少し足りないかもしれません」
渋い顔をしてしまう。あともう少しあれば、祈りの力が安定すると思うのだが。
「季節柄、ムーンフラワーはもう売ってないしね……」
打開策を見つけたと思ったのだが、そう上手くはいかないらしい。
エリゼオの家で、私たちは額を集める。
「や、やっぱり私の栞を取りに行くしか道は……」
「あまりにも危険すぎる。やめておいた方が良い」
誕生日の時、クラリーチェを家に招くことすら反発していたあの家だ。この顔で行ったら、殺されるかもしれない。
「僕もクラリーチェと婚約してるから、という理由で門前払いされそうだしなぁ。僕のいる意味はもうない、って」
「ありえます」
エリゼオと婚約を結んだ理由が私を守る為だという人たちだ。
「……そういえば、フローラが死んだと知らない民たちには、フローラは役目を終えて世代交代、と説明してるらしい」
元々、私がいつ死んでも良いように、王家がもう一人聖女を探していた。そして見つかった聖女と分業して祈りは行っていたので、世代交代のようなモノが行われても特に不便はないだろう。
「それが順当ですよね」
変な心配はさせない方が良い。
窓の外を見る。天上からの光をたっぷり受けた植物が揺れていた。ふわりと羽を揺らし蝶も踊るように戯れている。
「……忍び込みますか」
「ん?」
「そうですよ! 夜、こっそり忍び込めば良いんです!」
私は家の構造も良く分かっているし、栞を何処に置いたかも知っている。
「そうと決まれば、今日の夜忍び込んできますね」
「危ないよフローラ」
「ご心配なく、エリゼオ。私の秘めたる才能で華麗に取ってきますから!」
エリゼオが頭が痛そうにため息をついた。
「僕も行くよ」
「……っ、エリゼオがいれば、百人力です」
コクリ、と頷かれる。
「僕がフローラを夜迎えに行くから、そこから栞を取りに行こう」
「はいっ」
そこから時間を決め、私は家――もといクラリーチェの家に帰ることにした。
◇◇◇
月が姿を消してから二日目。月と星を隠す闇に紛れるように、私は屋敷の外に出た。
「クゥーン」
そこで、この家で飼っているという白い犬に身を隠すようのローブを齧られた。
最初は不審者と思われたかと焦ったが、白い犬は私に縋りつくようにローブを口で咥えている。
無理矢理引き剥がす気にはなれなかった。
「……君の飼い主は、もっといっぱい遊んであげたんだろうねぇ。ごめんね、だけどすぐ、君の飼い主を連れて帰るから待ってて」
小声で伝えれば、もう一回小さく鳴いたあと白い犬は口からローブを離してくれた。よだれでビシャビシャだが、構ってられない。
私は犬を一撫でしてから足早にエリゼオの待つ場所へと向かった。
「お待たせしてごめんなさい」
「いや、時間ぴったりだよ」
馬にまたがっていたエリゼオは、ひらりと下りると私が馬に乗れるよう補助してくれた。無事に乗れた後、もう一度エリゼオも乗る。
「じゃあ行こうか」
その声を合図に馬が走り出した。
景色が一枚の絵のように滑らかに移り変わっていく。
そして、見慣れた景色になった辺りで私の家に辿り着いた。
「……では、行ってきますね」
「うん、ここで待ってるから」
エリゼオの言葉に頷き、私は屋敷の裏にある扉から入る。
この時間帯は、住み込みの使用人たちも眠りにつく時間。そして、見回りの時間からは外れている。
なるべくお父様たちの寝室からは離れた道を通る。
足音を立てないように歩き続ければ、ようやく私の部屋が見えてきた。
あと少し! そう思い歩く速さもおのずと速くなる。
「――そこにいるのは、誰?」
私の耳を、懐かしい声が凛とくすぐった。
早くこの場から逃げるべきなのに、私の足が止まる。
ゆっくり振り返る。暗闇に慣れた目は、誰が私の前にいるか正しく認識出来た。
世界で一番、会いたくなかった人。
だけどやっぱり、少しだけ会いたかった。
「クラリーチェ、様……?」
お母様、と言いそうになった口を私は無理矢理閉じた。
砂を噛んだような音がした気がした。




