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白き狐は血に染まる  作者: 十五夜
12/15

十一ノ巻

 





 太陽が姿を隠し、闇が地上に降りてくるとエゾの気温はいっきに下がる。海から吹き付ける風は非常に冷たく、突き刺すようにして体の芯から熱を奪っていく。

 かつて日の国からエゾの豊かな資源を狙い、愚かにも進行した事があったが、それを阻んだひとつの要因がこの気温だった。日の国最北の地で育った武士も、エゾの厳しい自然の前には太刀打ち出来ず退却を余儀なくされたのだ。

 白い息を吐きながら、白狐は静かに見つめる。視線の先では、あの女――ミナと呼ばれていたのを聞いた――が暗い海を静かに眺めている。その肩が僅かに震えているのは果たして寒さのせいなのだろうか。


「身体を冷やすぞ」

「風に当たりたいのです」


 適当に口から零れた言葉にミナは振り替えて静かに応えた。沈黙が二人の間に流れたのは自身の第一声が悪かったからだろう。

 ミナの腰には白銀の刀が携えられている。あの儀式により、ミナを使い手と選んだ護神剣が淡く輝いてる。今日を含め七日間、ミナは護神剣を多少は使えるように戦いの基礎を教えこまれる。

 戦いを知らぬものが神などという強大な存在との相対を強制させられる。いったい、この女は何を思っているのだろうか。


「貴方のお話は耳にしました。穢れに憑かれた巨狼を見事狩られたと」

「ああ、そうだ」


 月明かりにと星々に照らされた白髪と白い肌が淡く光って見えて、白狐にはこのミナという女がとても希薄に感じられた。


「儀式の場で直ぐに貴方が噂の人だと分かりました。それ以上に私に似ていた驚きが凄かったのですけどね」

「俺も驚いた。まるで鏡を見ているようだった」


 体格に違いはあるものの、それでも互いに向かい合う二人は鏡に映された像の様である。だからなのかは分からないが、二人は奇妙な感覚を覚えた。心が通いあっている、そんなあやふやな感覚だ。


「実は私、貴方と少し話したかったのです。私とそっくりな貴方は、私には無いものを持っている。そんな気がして」

「誰かに聞かれるとまずいか?」

「いえ、そういう訳ではありません。ですがそうですね、他の方に聞かれるよりは聞かれない方がいいかもしれません」


 ミナは近くの切り株に腰を下ろす。白狐はミナに正対して地面に胡座をかいた。目線を白狐に合わせ、腰から外した護神剣を膝の上に置いた。


「私はこの剣に選ばれました。ですが、怖いのです」


 淡く光る刀を、ミナは優しい手つきでゆっくりと撫でる。その目は恐怖以外の感情を含んでるようにも思えた。


「皆を守れるのか、私などが神をお救いできるのかと思うと、身体が震えます」


 当然の事だと白狐は思った。しかし、同時に今の言葉に違和感を感じた。この女は死ぬ事を考えていない、自身の死を恐れていないのだ。思わず自身の命を諦めたのかと少し強い口調で問うと、ミナはゆっくりと首を横に振った。


「私はもう、自身の命に執着はありません」

「昔はあったのだな」

「はい、昔は親も兄妹もいましたから」


 消えるような、小さく悲しみの篭もった声である。


「家族が死んでから、笑う事はありませんでした。上手く笑えないのです。なら、この命を使ってエゾの皆に笑顔になってもらいたいんです」


 その言葉が本心である事は、聞かずともハッキリと分かった。

 人がなんの為に死んで行くのか、その明確な解答はこの世の中にないだろう。だか、少なくとも目の前の女にとってその解答は出ているようだ。

 死を覚悟して何かなそうとする人間。どうやらミナは哀れな先導者ではなく、誰かの為の人柱として死ぬ腹積もりらしい。


「だから、教えて欲しいのです。貴方は何故、強いのですか。なんの為に強くあるのですか」


 今までとは違う強い口調だった。

 この問いかけに白狐は少し考え込んだ。やがて一つの答えに辿り着くが、それはミナの求めるものとは正反対なものだ。


「己の為だ。お前のように、誰かの為ではない。己自身の目的の為に生きている。これからもそうして生きて行くつもりだ」


 自分でそう言って漸く、何故自分が目の前にある護神剣に選ばれず、何故目の前の女が選ばれたのか理解出来た気がした。

 戦乱渦巻く世を渡り歩いたことのある白狐からしてみれば、ミナの生き方は損しかない生き方と思う。だがしかし、それ故に真っ直ぐでいて白く清らかだ。

 馬鹿にする事は出来ない。何時だって誰かの為に生きようとする者が居るからこそ、世の中はその光に照らされるのだから。


「誰かの為に生きるのも良いものですよ」

「だろうな。だが、俺は生き方を変えるつもりはない」

「似てると思ったのは、私の思い過ごしでしたか」

「そのようだ、残念ながら」


 自分はミナとは違う。白い清らかな状態では手に入れられない強さがいる。そうでなければ、自身の目的は果たせない。


「一つだけ、お願いをしても宜しいですか」

「なんだ?」


 ミナは腰に護神剣を差し立ち上がる。そして深々と頭を下げた。


「私がエゾの皆を笑顔にする為に、手伝いを頂きたいのです。青蛇様を鎮める時、私には何人か守り人が着くことになっております。そこに、貴方にも加わって欲しいのです」

「さっきの話を聞いていたのか?俺は己自身の為に戦うと言ったが」

「貴方は日の国に渡りたがっていると聞きました。青蛇様を鎮めなければそれも叶いません」


 それは確かな事実である。海神を鎮めなければ日の国に渡れない、故に今回の件は必ず成功させなければならない。白狐からすれば、この提案を受け入れた方が利益は大きかった。

 ミラは下げていた頭を上げて、じっと二つの瞳で白狐の目を見つめる。


「分かった。その願い聞き届けよう」


 そう言うとミナはもう一度深く頭を下げて、礼の言葉を口にする。


「てっきり、貴方には断られるものだと思っていました」

「利害が一致していてやるしかなければ、断る方が不思議だろう」

「そうですか」


 短く呟くミナの表情は何処か悲しげだ。その原因が自分にある事は分かっている。

 先程からミナはそんな白狐の中に自分の知らない誰かを見ている様である。その違いがどうやらミナを傷つけているらしい。


「俺はお前の家族ではない」


 僅かな予想を元にそう言ってみれば、ミナの瞳が大きく見開かれた。

 どうやら白狐の予想は当たりだったようだ。この女は白狐の姿にかつて失った家族の誰かを写している。白狐の言葉を受けたミナの表情からは悲しみしか伝わってこない。


「申し訳ございません。どうしても、貴方の姿が私の家族に重なってしまい」


 最後の方の言葉は震えて聞こえにくかった。

 必死に何かを堪えるようにしているミナ前にして、白狐は立ち上がり壊れてしまいそうな彼女を優しく両手で自身の胸に抱きしめた。

 ほぼ無意識だった行動に一番驚いたのは白狐自身である。だが、何故かそうして居なければ行けないという不思議な使命感が白狐をそうさせた。


「一つ、先の願いに条件がある。命を捨てるな、守られるからには生きて使命を果たせ」


 白狐が出した条件に対して、抱きしめられているミナはゆっくりと頷き肯定する。

 エゾの空気が冷たいが、それ以上にミナの瞳から流れ出る涙が熱かった。打たれれば折れてしまいそうなその身体はとても暖かい。

 月明かりに照らされた二人の姿は、幻想的でとても美しかった。





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