十ノ巻
音もなく神具が岩に突き刺さる。
刀鍔辺りまで差し込まれても、その神々しさは失われていない。
「さぁ、誰からでも良い。神具を見事引き抜ぬいて見せよ!その上で、認められたのならば、その者が選ばれし者じゃ!」
いつの話か忘れたが、昔に南蛮から贈られてきた絵巻物に似たような話があった気がする。対象が西洋の伝説の剣である事だけが今回の件との違いだ。
どちらにおいても選ばれし者という言葉の響き、非常に聞こえはいい。だが、あの物語での選ばれし者は簡単に言えば生贄だ。剣を抜いただけで戦う使命を背負わされる。他の者達は、その者が辿っていく道跡に従いついて行くか、遠く安全な場所でその者の戦いの物語を書物に認める程度のことしかしないのだ。
つまり、あの物語の選ばれし者と言われた英雄は並び歩む者のいない、一人きりの先導者。暗闇に足を踏み入れる事を強制される生贄とも言えるだろう。
そんな哀れな先導者が、これより選ばれるのだ。
「さぁ、始めるのじゃ!」
老婆の声に背中を押されたのか、一人の青年が一歩前に出る。アバリ程ではないにしろ、良く鍛えられた身体で何よりいい目付きをしている。覚悟のある目だ。
屈みこみ、神具の柄をしっかりと握り込む。だが、神具はピクリとも動くことはない。両手で握りながら足腰を使い引き抜こうとしていると言うのに、全く動くことは無い。
「次じゃ!」
どうやら駄目だったらしい。入れ替わるようにして別の男が剣を手に取るが何も起こることは無く、先程と同じ結果に終わる。次に順番が来た男は刀に触れるよりも前に、何やら電撃の様なものに弾かれて吹き飛ばされた。
その後、何人もが挑戦するが神具を抜くことは出来ず、或いは電撃に弾かれる。その内の一人か二人は強すぎる電撃のせいで気絶したほどだ。
神具の反応は自分の番が直前に迫ってくるまで変わることは無い。ちょうど、アバリが神具の元に歩み寄る。だが、結果は他の者達と同じであった。白狐はアバリが選ばれるであろうと予測を立てていたが、物の見事に外れた事で若干の焦りと期待を感じる。
「次の者」
呼ばれて前に出る。思っていたよりも、周りの反応は静かなものだった。しかし、やはりエゾの者とは違う装いをしているからか、僅かな話し声が聞こえてくる。
もしも、この神具に選ばれる事が出来れば自分は命を掛けて神と戦う覚悟を決めなければ行けない。だが、それは同時に絶大な力を手にできるのではないか、という期待を膨らませていた。そうする事が出来れば、自身の目的を果たす為の大きな一歩となる事は間違いない。
――欲しいな。選ばれればの話、だが。
神具の柄を逆手で握り込み思いっきり引き上げる。確かな手応えを感じた直後、強力な電撃が神具を掴む右手に流れ込んでくる。しかし、白狐は神具を離さずに引き上げる。ゆっくりと、だが確実に神具は岩から抜けそうになってきている。それに比例し、右手に流れる電撃も強くなる。まるで、白狐に抜かれるのを嫌がっているようだ。それでも白狐は右手を神具から離さず引き上げ続け、遂には神具を岩から八割程も引き抜いていた。
身体の内側から弾けるような衝撃、痺れと浮遊感を感じ、身体を地面に打ち付けた。右手の掌に酷い痛みを感じる。分かることは、自分が神具に拒絶されたということだけだ。神具を見ると、何事も無かったかのように刀身を岩に沈めていた。
鵺により右手の応急処置を受けている間も結果は変わらなかった。誰も神具を動かすことも出来ず、又は電撃に弾かれる。儀式に集められていたエゾの民達の殆どが、神具に認められていない。重い空気がこの場を包み込もうとしている。
「アバリ殿、もし誰も神具に認められなければどうなる?」
「どうしようもあるまい。暫くの間、我等は海に出れなくなる。何十年もな」
「……」
アバリの言葉で空気が重苦しくなったのをハッキリと感じた。自分の興味本位の質問のせいで、この場に重い空気が下りてきた。それは白狐自身のせいである。白狐は自身の失態に頭を抱えて後悔した。
「さぁ、次の者」
「……はい」
消え入るよう小さな声、それは不思議な事だが白狐の耳にハッキリと届いた。視線を向ければ、あの女が歩み出ている。アバリが戦力には成らないだろうと評価した女だ。白狐もその評価に相違は無かった。
だが気になっていた。どうしようもなく、自身に瓜二つと言っていいほどに似ている、あの美しい女が気になる。
「気になるのか、あの女子が?」
「……あぁ」
「お主と似とるものな。まるで血の繋がりがあるようじゃ」
「……」
もしも自分に姉か妹がいたのなら、彼女の様な姿をしているのだろうか。そんな考えが頭を過ぎり、理由は分からないが僅かな寂しさを感じた。
女は恐れを抱いてるのだろうか、非常にゆっくりとした動きで神具の元まで歩み寄ると、華奢な腕を震わせながゆっくり伸ばし神具を掴んだ。
何も起こらない。神具はピクリとも動かず、当然の結果を見飽きた周りの者達も反応を示さない。
ただ一人だけ、神具を握る女だけが、有り得ない事象に遭遇したかのように目を見開いている。女の手の震えは止まっていた。ゆっくりとした動きだが、確実に神具が岩から引き抜かれていく。やがて、先程白狐が引き抜いた部分も岩から露わになり、そこすらも既に岩から抜けていく。そうして、白銀の刀身が全て岩から抜ける。
電撃に弾かれることも無い。つまり、あの女が神具に選ばれた。
「不思議と様になっとる。美しいのぉ」
「あぁ、美しい」
無意識のうちにそう答えていた。神具の纏っていた神々しい雰囲気が女を包み込み、白い肌と髪も相まってその印象を強める。
儚げで消え入りそうな姿はまるで、天より降り立った天女か女神の様だ。
「よくぞやってくれた!!」
皆が魅入られて静寂に包まれていた空間に、老婆の歓喜に満ちた叫びが谺響する。誇らしげな顔に満面な笑みを浮かべて女に近づいた老婆は、皺だらけの手で女の手を包み込む。
未だに女は起きた事が理解出来て無いようであった。その余裕が無いのだろう。
だが老婆は喜び褒めちぎり、そして称える。
「よくやった!よう選ばれた!これで青蛇様を鎮めることができよう!護神剣、この神具の名じゃ!必ずお主に力を貸してくれよう」
女はもはや何も言うことが出来なかった。老婆や喜びの声を上げる周りの雰囲気がそれを許さなかった。何も言えなくなった女は、諦めたかのように力なく頷いた。
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