九ノ巻
アバリの屋敷で囲炉裏を囲んでいる白狐達は、同様に腕を組んで黙り込んでいた。原因は先日、海の村から帰ってきた使者の言葉にあった。
『穢れ憑きの影響で船を出す事が出来ない』
長い間、海と共に暮らしている村が航行不能な状態に陥っている。鮫の群れも食料とする屈強な船団、それが漁に出ることすら出来ない事態だそうだ。
「海を泳ぐ穢れ憑き、それも海神が穢れに憑かれたと来よったかぁ。航行不能、どうのこうのな問題じゃありゃせんぞ」
海神。文字の通り、海の神。
巨大な青い蛇の姿をしており、本来はとても温厚な性格で海に落ちた漁師を助けることすらあると言う。その海神が穢れに憑かれて暴れ狂っているらしい。
幸い、海から陸に上がることは無いので村が襲われる様なことは無いらしいが、交易も漁も出来ず被害は大きいという。
「倒す事は出来るのか?」
「無理だな。海神はただの生物ではない、神なのだ。神を殺す事が出来るのは、同じ神かそれに並ぶ様な者のみだ」
提案はアバリに否定される。しかしそれは当然のことだ。神を打ち倒せる様な世界で有るならば、たちまちこの世はいま以上の混沌と化してしまうだろう。いや、殺せるもので有るならば殺してやりたい所だ。
炭が弾ける音で頭の中を切り替える。
白狐にしてもこの問題は無関係と位置付けすることは出来ない。日の国に渡るには航行が可能とならなければならない。仮に渡ろうとしようものなら、海神に船を沈められるだろう。エゾと日の国に挟まれた海の水は冷たい。たちまち身体から熱を奪われて仏様となってしまうことだろう。
「……解決策はある」
呟かれた言葉を聞き逃すことは無かった。
「鵺殿も言っていたが神をどうにか出来るのは神か、それに並び立つ者だけだ。残念ながらそんな者はこのエゾには居ない」
ならどうするのか、と疑問が湧いてくる。
アバリですらどうしようも出来ないと言う神を、一体どうするのか。
「作るのだ。神と並び立てる者を」
アバリは当然のように言う。だが、当然の事だが白狐に理解は出来ない。神紋を刻んだり憑き物を取り付かせれば、常人を超人と成長させることは出来るだろう。
しかしながら所詮は超人。神の立つ場所には到底到達出来ない、出来るはずがない。
「信じられんようだな」
「……当然だ」
「そう思うのが普通だ。それに人を神の頂きに成長させることは出来ん。だから、神具を使う」
聞いた事のある単語だった。
誰が作ったか分からない、殆どが噂話程度の存在。だが、確かに実在しているのは知っている。
古から続いている神々の歴史に比べれば、人間の歴史など塵のようなものでしかない。人間は古の歴史をなぞり、頼り、又は愚かにもそれを越えようと愚行を行う。
その要因の一つが神具と言う存在だ。
エゾにその神具があるとは聞いたことが無かったが、考えてみればエゾは多くの神が住まうと言われている地であり、実際に奇妙な体験もしている。日の国にもある神具がエゾの地にあるという言葉は、なんらおかしな事ではない。
「しかし、それを使える人間はまだ居ない」
アバリがそう言った訳を白狐は何となく分かっていた。
「選ばれなければならない。かつて、海神が暴れた時もそうして鎮めたと聞く」
神具という物は間違いなく道具であり、生物では無い。しかし、そこには意思や命が宿るという。神が宿っているのか霊が宿っているの、はたまた別の何かなのかは分からない。
草那藝之大刀の様に神話の怪物を殺して手に入れたとするなら、宿っているのは怨念であろう。
ともかく、神具という物は使い手を選ぶらしい。
「神具に選ばれるための儀式が二日後に行われる。海神の問題はエゾ全体の問題、成人している者は老人を除き男女関係なく試されることになる」
「・・・・・・俺もやるのか?」
「済まないが、この地にいる以上は無関係という訳には行かんのでな。やってもらうことになる」
「分かった」
どっちみち、やるしか選択肢はない。
だが、もしも神具に選ばれてしまえば、自身は海上で海神と真正面から戦わなければいけなくなる。
巨狼との戦いですらかなりの傷を負ったと言うのに、今度の相手は神だ。藍憑きの能力が発現し巨狼との戦いの時よりも強くなったとは言え、大きな不安が白狐の心を包み込む。
だがそれでもやるしかない。
やりきるしかないのだ。
それだけの覚悟が無ければ、己の目的を果たす事など夢のまた夢なのだから。
◎
二日後、白狐達の姿は村から離れた山、その頂上付近にあった。切り立った崖から森を切り開いたような場所にはエゾのあらゆる場所から人々が集まったのであろう、人の気配で満ち溢れていた。
聞いていた通り、エゾに住まう成人を超えている殆どの人々が集められている様だ。
夕日に照らされている崖の方を見てみれば、そこに埋まるようにして大きい祠が祀られている。
気配からして、あそこに神具があるようだ。
気になり、中を見透かすように祠を見つめていると、後ろからアバリの声がする。
「聞いた話だと、刀の神具らしい。話を聞いただけではあるがな、心が清らかな者程選ばれやすいようだ」
強いだけでは選ばれる事は無いようだ。逆を言えば戦えるような力を持たないものでも選ばれる事はあるのだろう。
スッ、とアバリが指さした方に視線を向ければ一人の女性がいた。長く白い髪に透き通る雪のように白い肌。まるで自分を見ているようだ。違う所は、戦えるように見えないところだろうか。
「あの女性はハッキリ言って戦力にならんだろう。だが心が綺麗であるならば選ばれる可能性は充分ある。女が選ばれる確率は少し高いらしい。前回もそうだった」
次にアバリは痩せた男に指を向ける。
「彼は病に侵されている。だが彼も、選ばれる事はあるだろう。耐えれるかどうかは別だがな」
「戦えない者が選ばれてしまったらどうなるのだ?」
「戦えずとも問題は無い。隙を他のもの達が作り、神具に選ばれた者が神具を海神につき刺せばそれだけでいい」
それが考えられる限りで最も成功率の高い作戦であることは理解出来た。だが、相応の覚悟を持って挑まなければ行けないことに変わりはない。
もしも自分が寝具に選ばれるようになれば、エゾと言う特有の地と、これから拝む事になる神具に自分を溶け込ませ変容させなければならない。いや、適応と言うべきか。
そうしなければ海神を打ち倒す事など出来ないだろう。
覚えている限りではあるが、白狐の穢れ狩りでの経験上、未知の敵を未知の場所で狩るには適応する事が一番の近道だったからだ。
暫くの時間が過ぎ去った頃、祠に付けられている木の扉が重い軋む音を立てながら、ゆっくりと内側より開けられる。
出てきたのは鵺と同じくらいに年老いている老婆だった。白と黒の、日の国で言うところの巫女装束に身を包んでいる。
全員の視線がそちらに向く中で、今度は祠の中から二人の女が木で作られた美しい箱を持って出てきた。怪しい雰囲気のする箱だ。当然、皆の注目もそちらに移る。あの中に例の神具があるのか、力が箱の中から滲み出ているように感じた。
「皆、よくぞ集まってくれた」
しゃがれ声だが、よく通る声だ。ざわめきは完全に消え去り、再び皆の注目が老婆に集まる。
「事態は耳にしとると思うが、海神――青蛇様が穢れに憑かれておる。青蛇様はこの地に住まう我等を守り、助けてきて下さっておられた。我等は青蛇様を何としてもお救いしなくてはならん!それが我等のやらなければならん事じゃ!」
勇気はあるか、覚悟はあるのか。老婆は一人一人の顔を見ながら話を続ける。
「伝承と今までの手法に従い、青蛇様を鎮めるためにこれより選別を行う」
箱が開けられ中の物が老婆の手に渡される。それは美しい刀である。刀身も柄も、刀鍔や鞘に至るまで白銀の淡く輝く空気を纏っている。
「さぁ、者共よ。この神具を手に取れ!そして選ばれた者が、青蛇様をお救いするのじゃ!!」
夕日の明かりを受けた刀は、より一層輝きをましたように見え、神々しさを放っていた。
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