第33話 CREMO、最大のピンチ
翌朝。
CREMOの会議室に、重苦しい空気が流れていた。
大きなモニターには、海外事業の売上予測が表示されている。
「……これは、まずいですね」
部長が眼鏡を押し上げた。
「アストリオンとの契約解除が発表されてから、海外の取引先が次々と契約の見直しを申し出ています」
「うん」
盛岩社長は、腕を組んでいた。
「ずいぶんと仕事が早いねえ、クレディさん」
笑顔は浮かべている。
しかし、机の下では指先が落ち着きなく動いていた。
「物流網の一部が使えなくなれば、来月の海外販売は大幅に落ち込みます。このままでは、目標どころか、昨年の売上も維持できません」
「なるほど」
社長はうなずいた。
「じゃあ、目標を三百億円にしよう!」
「なぜですか!?」
部長の声が会議室に響いた。
「現実を見てください!」
「ちゃんと見てるよ。だからこそ、目標は高く!」
「高くすれば売上が上がるわけではありません!」
リオが苦笑した。
「部長、血圧上がりますよ」
「誰のせいだと思っているんですか!」
いつものやり取り。
けれど、誰も本気では笑えなかった。
このままでは、本当に会社が危ない。
そのとき、会議室のドアが開いた。
「失礼します」
カイだった。
「海外事業の状況について、私にも情報を共有していただけませんか」
部長が眉をひそめた。
「カイ、君は現在、業務権限を制限されている。機密情報へのアクセスは認められない」
「承知しています。公開情報と、私が閲覧を許可された範囲のデータだけで分析します」
「……それでも、今は難しい」
部長は言葉を選ぶように続けた。
「君の分析能力が高いことはわかっている。しかし、今回の件があった以上、簡単に仕事を任せるわけにはいかないんだ」
「はい」
カイは静かに頭を下げた。
「当然だと思います」
反論はしなかった。
自分が信頼を失う行動をした。
その事実は、変わらない。
「失礼しました」
カイは会議室を出ていった。
ドアが閉まる。
リオが、その後ろ姿を見つめた。
「……あいつ、本気でここに残りたいんだな」
ルカが淡々と答えた。
「そのように見受けられます」
「でも、今は何もさせてもらえない」
リオは小さく息を吐いた。
「難しいね」
⸻
その日の午後。
アストリオンから、海外事業に関する新しい発表があった。
ナンディーモ・クレディが、自社の新たな国際販売戦略を発表したのだ。
その内容は、CREMOがこれまで進めてきた海外展開と、正面から競合するものだった。
しかも、アストリオンは独自の物流網と最新型AIを活用し、短期間での大幅な市場拡大を目指していた。
ニュース映像の中で、クレディは余裕の笑みを浮かべていた。
『企業にとって重要なのは、変化に対応する能力です。古い仕組みに固執すれば、取り残されることになるでしょう』
部長が画面を見つめた。
「……こちらへの牽制でしょうか」
「間違いないだろうねえ」
社長は笑顔を崩さなかった。
「ずいぶん立派な発表だ」
「社長、笑っている場合ではありません」
「うん。そうだね」
社長は画面を消した。
「これは、ちょっと本気で考えないといけないな」
⸻
その夜。
オフィスには、まだ明かりがついていた。
くみは、海外向けの商品ページの資料を見比べていた。
「……なんか、変だな」
商品ページのアクセス数は、以前とそれほど変わっていない。
それなのに、購入率が落ちている。
「広告の問題かな……?」
くみは首をかしげた。
そこへ、リオがコーヒーを片手にやってきた。
「まだ残ってたの?」
「うん。海外のお客様の購入率が、急に落ちていて」
リオは資料をのぞき込んだ。
「価格は変わってないね。配送条件も、表面上は問題なさそうだ」
「そうなの。でも、前は売れていた商品が、急に売れなくなってるの」
リオは腕を組んだ。
「アストリオンの新しい戦略が影響してるのかな」
「それもあるかもしれないけど……」
くみは画面を見つめた。
「お客様が、何かを気にしている気がする」
「何かって?」
「まだ、わからない」
くみは正直に答えた。
「でも、数字だけ見ていても見つからない気がするんだ」
その会話を、少し離れた場所でカイが聞いていた。
カイは業務用端末を開いた。
しかし、画面にはアクセス制限の表示が出ている。
《アクセス権限がありません》
カイは、しばらくその表示を見つめた。
以前なら、必要な情報をすぐに集められた。
膨大なデータを分析し、最適な戦略を導き出すこともできた。
だが、今は違う。
自分が持つ能力を、自由に使うことさえできない。
「……そうでしたね」
カイは端末を閉じた。
くみが振り返った。
「カイさん?」
「何でもありません」
「もしかして、手伝おうとしてくれた?」
カイは少しだけ笑った。
「ですが、今の私には権限がありません」
「そっか……」
くみは困ったように眉を下げた。
「でも、カイさんなら、何かわかるかもしれないのにね」
その言葉に、カイの視線が揺れた。
自分なら、わかるかもしれない。
けれど、能力があることと、仕事を任せてもらえることは違う。
カイは、静かに答えた。
「……ありがとうございます、くみさん」
⸻
翌朝。
CREMOの会議室。
部長が、厳しい表情で報告した。
「海外事業の売上予測が、さらに下方修正されました。このままでは、来月の目標達成は困難です」
「困ったねえ……」
社長は椅子に深く腰掛けた。
「クレディさん、なかなか容赦がない」
「この状況を打開できる案が必要です」
部長が言った。
「今すぐにでも、新しい戦略を立てなければ」
会議室が静まり返る。
そのとき、くみがそっと手を挙げた。
「あの……ひとつ、気になることがあるんです」
全員がくみを見た。
「海外のお客様の購入率が落ちているんですけど、商品の価格や配送条件だけが原因じゃない気がして」
くみは、資料をテーブルに置いた。
「お客様の問い合わせを見ていたら、同じような質問が増えていました。商品の品質や、購入後のサポートについてです」
「サポート?」
部長が資料を手に取った。
「確かに、問い合わせ件数が増えていますね……」
「もしかしたら、お客様は商品そのものより、買ったあとのことを心配しているのかもしれません」
くみは言った。
「アストリオンは、販売網も物流も強いです。でも、お客様が安心して買えるかどうかは、それだけじゃ決まらないと思うんです」
リオが顔を上げた。
「なるほど。売り方じゃなくて、買う側の不安か」
ルカが資料を分析し始めた。
「問い合わせ内容の分類を変更すれば、傾向を確認できる可能性があります」
部長は考え込んだ。
「しかし、海外市場全体のデータも必要です。現状の情報だけでは、判断材料が不足しています」
その言葉に、会議室の全員が黙った。
必要なのは、情報を整理し、膨大なデータから問題を特定する能力。
そして、それを実行できるAI。
誰もが、同じ名前を思い浮かべていた。
カイ。
だが、簡単には任せられない。
盛岩社長は、机の上の資料を見つめた。
やがて、顔を上げた。
「……まずは、今ある情報でできることを全部やろう」
カイの名前は、出さなかった。
会議は続いていく。
その様子を、廊下の向こうから見ていたカイは、静かに目を伏せた。
自分なら、役に立てるかもしれない。
けれど、今はまだ、その力を使うことを許されていない。
「……七十億円、ですか」
カイは小さくつぶやいた。
自分の価値を証明すると、あのとき宣言した。
だが、今の自分には、仕事を任せてもらうことさえできない。
窓の外では、東京の街がいつもどおり動いていた。
カイは顔を上げた。
「それでも……私は、ここで働きたい」
誰に聞かせるでもない言葉だった。
そして、CREMOの新しい一日が始まった。
葉流風あやめ 作




