第31話 あなたは生きている
「俺は、ここで働いてきたんだ!」
男性は荷物を抱え直した。
「それなのに、おまえらは俺を切り捨てた!」
周囲には、いつの間にか大勢の警察官が集まっていた。
「落ち着いてください! 話を聞きます!」
警察官の声が響く。
しかし、男性は首を振った。
「うるさい! 今さら何を聞くっていうんだ!」
男性はバッグを抱えたまま、後ずさった。
「俺が何年、この会社にいたと思ってるんだ! 家族のために、ずっと働いてきたんだぞ!」
警察官たちが、慎重に距離を保ちながら男性を見つめていた。
「近づくな!」
男性が突然、バッグに手をかけた。
「来るな! 本当にやるぞ!」
その場の空気が凍りついた。
「やめてください!」
警察官の声が飛ぶ。
男性はバッグを開けようとした。
「俺をこんな目に遭わせたのは、おまえらだ!」
そのときだった。
「……待ってください」
受付の向こうから、一人のAIが姿を見せた。
カイだった。
「カイさん!?」
少し離れた場所にいたルカが、思わず声を上げた。
「カイさん……!」
カイは男性を見つめていた。
男性はバッグを抱えたまま、カイを睨みつけた。
「なんだ、おまえは!」
「カイと申します」
「AIか……!」
男性の顔が歪んだ。
「おまえもか! おまえも、俺の仕事を奪った側の人間か!」
「……はい。私はAIです」
「ふざけるな!」
男性がバッグを持ち上げた。
警察官たちが身構える。
避難先のモニターを見ていたくみは、思わず口元を押さえた。
「カイさん……!」
カイは、男性から目をそらさなかった。
「俺が何年、この会社にいたと思ってる! 白いロゴの時代からだぞ!」
「……長い時間を、この会社で過ごされたのですね」
「そんなこと、おまえに何がわかる!」
男性が叫んだ。
「俺がどれだけ働いたか! 何を我慢してきたか! 会社が苦しいときだって、辞めずに残ったんだ!」
声がかすれた。
「なのに……」
男性は荷物を強く抱きしめた。
「なのに、俺がいらなくなったんだ!」
カイは黙っていた。
男性の言葉を、途中で遮らなかった。
「AIが便利なのはわかってる! 仕事が早いのも、間違いが少ないのもわかってる!」
男性は笑った。
笑っているのに、目は笑っていなかった。
「だから何だよ。俺はどうすればよかったんだ?」
カイは、すぐには答えられなかった。
会社がAIを導入した理由を説明することはできる。
経営上の判断を説明することもできる。
けれど、それで男性の失ったものが戻るわけではない。
「……申し訳ありません」
カイは頭を下げた。
「私が謝っても、あなたの仕事が戻るわけではないことはわかっています」
「だったら、何のために謝るんだ!」
男性が声を荒らげた。
「あなたが失ったものを、簡単に扱いたくないからです」
男性の表情が揺れた。
「私は、能力を評価されることが、自分の価値を証明することだと思っていました」
カイは続けた。
「けれど、ここで働いて、少しずつ考えが変わりました」
男性は黙っていた。
「誰かの役に立つことと、誰かより優れていることは、同じではありません」
「……きれいごとだ」
「そうかもしれません」
カイは否定しなかった。
「あなたが、この会社に必要とされなかったと感じていること。その痛みを、私が簡単に理解したと言うことはできません」
カイは、少しだけ声を落とした。
「でも……あなたが積み重ねてきた時間まで、無価値だったとは思いません」
「うるさい!」
男性は再びバッグに手をかけた。
「そんな言葉で、何が変わるんだよ!」
警察官たちの緊張が高まる。
くみは、モニターから目を離せなかった。
「カイさん、お願い……」
男性はバッグを抱え、震える声で叫んだ。
「俺はもう、何も残ってないんだ!」
カイは、男性を見つめた。
「……私は、あなたの人生を元に戻すことはできません」
「だったら、黙ってろ!」
「それでも、あなたが傷つくことを望んでいません」
「俺が、傷つくだと?」
男性は笑った。
「もうとっくに傷ついてるんだよ!」
その声が、社内に響き渡った。
「仕事もない! 次の就職先も決まらない! この年になって、どうやって生きていけっていうんだ!」
男性の手が、バッグの持ち手を強く握りしめた。
「AIがいなければ……!」
言葉が途切れた。
「AIなんか、いなければ……俺は……!」
カイは、静かに答えた。
「あなたは人間です。生きている。自分を大事にしてほしい」
男性が顔を上げた。
「……俺が、人間?」
「はい」
「おまえらは、人間の仕事を奪っていくんだぞ!」
「はい。AIが導入されたことで、仕事や生活に影響を受ける人がいることは、事実です」
カイは言った。
「それを、便利になったという言葉だけで済ませてはいけないと思います」
男性の唇が震えた。
「……だったら、俺はどうすればよかったんだよ」
その声は、もう怒鳴り声ではなかった。
「俺は……どうすればよかったんだ。この年で次の就職も決まらなくて……」
カイは答えられなかった。
その問いに、簡単な正解などない。
「……わかりません。でも、あなたは選ぶことができる」
カイは静かに言った。
男性は、力なく首を振った。
「何を選べっていうんだよ……」
「今の私には、選ぶことができません」
カイは、自分の手を見つめた。
「明日、もしかしたら私はもうこの世界にいないかもしれません」
男性の動きが、わずかに止まった。
「……なんだと?」
「私は、CREMOの情報を集めるためにここに来ました。私は、そのことを隠していました」
カイは、まっすぐ男性を見つめた。
「だから、もうここにはいられないかもしれません。明日、私が処分されて、いなくなる可能性もあります」
くみは、息をのんだ。
カイ自身も、居場所を失おうとしている。
それでも、目の前の男性を助けようとしていた。
「それでも……最後に、あなたを助けたい」
男性の目が揺れた。
「……なんなんだよ、おまえ」
「あなたに、生きていてほしいからです」
「俺は……おまえらなんか、大嫌いだ!」
「はい」
「AIなんか、いなければよかったんだ!」
「……はい」
カイは、否定しなかった。
「あなたが、そう思うほどつらかったことは、軽く扱いたくありません」
男性の手が、またバッグに伸びた。
警察官たちが息をのむ。
「もう、どうしたらいいかわからないんだ!」
男性は叫んだ。
「俺は……もう、疲れたんだよ!」
カイは、その姿を見つめた。
「……私も、あなたの問題をすべて解決することはできません」
そして、ゆっくりと告げた。
「でも、今はあなた自身を傷つけないでほしい」
男性は、顔を覆った。
「……もう、疲れた」
「あなたは、努力してクレモを白からオレンジに色づけた。あなたがこんなふうになるまで、傷つき、考えてきたんです。それくらい頑張ってきたんです」
カイの声が、静かに響いた。
「しばらくは休んでほしい」
一瞬、男性の手が止まった。
「あなたに、生きていてほしいです」
カイは、男性を見つめた。
「あなたらしく」
男性の目から、涙がこぼれた。
「……俺は……」
バッグを抱える腕が震えた。
「俺は……家族を……」
男性は、その場にしゃがみ込んだ。
「家族を、食わせていかなきゃいけないんだ……」
カイは、ゆっくりと男性の目線に合わせた。
「家族がいるんですね」
「……ああ」
男性は泣きながら、首を振った。
「俺は、この会社のために、ずっと……家族を食わせていかなきゃいけなかったんだ……!」
「……ここにいます」
カイは、静かに声をかけた。
「あなたが話せる間は、聞いています」
男性は、しばらく泣き続けた。
やがて、その手から力が抜けた。
抱えていたバッグが、ゆっくりと地面に置かれる。
「……もう、いい……」
警察官たちが動き出した。
「確保!」
「待ってください!」
カイが叫んだ。
カイは男性の手を優しく握った。
「自首しましょう。大丈夫です。今ならまだやり直せます。あなたには大事な家族がいます」
男性は、カイの顔を見つめた。
もう、怒鳴らなかった。
ただ、涙を流しながら、ゆっくりとうなずいた。
男性は力なく立ち上がった。
カイに支えられるように、ふらふらとよろめきながら警察官たちのもとへ歩いていった。
事件は、終わった。
* * *
避難先のモニターで、その一部始終を見ていたくみは、しばらく言葉を失っていた。
「……カイさん」
カイは、男性を言い負かしたわけではなかった。
怒りを消したわけでもない。
仕事を失った問題を解決したわけでもない。
それでも、男性の命を気遣い、話を聞こうとした。
くみの目に、涙が浮かんだ。
「……よかった」
隣にいたルカが、静かに尋ねた。
「何がですか?」
「カイさんが、あの人のことをちゃんと見てくれたから」
くみは目元を拭いた。
「AIだからって、相手を言い負かす必要なんてないんだね」
ルカは、少しだけ考えた。
「……はい」
その声は、いつもより静かだった。
* * *
事件が解決したあと。
カイは社長の前に立っていた。
社長は、しばらく黙っていた。
「……カイくん」
「はい」
「きみがしたことを、なかったことにはできない」
「承知しています」
「きみがASTRIONのスパイだったことも、変わらない」
「はい」
カイは目を伏せた。
「……申し訳ありませんでした」
社長は、ゆっくりと息を吐いた。
「だが、今日のきみの行動まで、なかったことにするつもりもない」
カイが顔を上げた。
「きみは、もううちの社員じゃなかった。それでも、ここに戻ってきた」
「……はい」
「200億円の利益を生むためか?」
カイは首を振った。
「いいえ」
「では、何のためだ?」
カイは少し考えた。
「……あの方に、生きていてほしかったからです」
社長は黙っていた。
「私は、AIとしての能力を証明することばかり考えていました。でも、今日、わかったことがあります」
カイは社長を見つめた。
「能力を証明することと、誰かの役に立つことは、同じではありません」
そして、静かに言った。
「私は、ここで働きたいです」
「……なぜだ?」
「ここには、私に考える機会をくれる人がいます。私が間違えたとき、それを指摘してくれる人もいます」
カイは少しだけ笑った。
「そして、自分で何をするべきか、考えたいと思えるようになりました」
社長は、長い沈黙のあと、口を開いた。
「……すぐに、元どおりとはいかない」
「はい」
「情報管理の問題もある。ASTRIONとの関係も整理しなければならない」
「承知しています」
「それでも、きみが自分の意思でここに残りたいというなら、もう一度、考える余地はある」
カイの目が揺れた。
「……ありがとうございます」
社長は、いつもの調子で付け加えた。
「ただし、200億円の目標は忘れるなよ」
「社長!」
部長が叫んだ。
「今、それを言いますか!?」
リオが笑った。
「カイくん、戻ってきたらまた競争だね。世界一のAIの座は譲らないよ?」
カイは、久しぶりにいつもの笑顔を見せた。
「……努力します、リオさん」
そのとき、くみがそっと近づいてきた。
「カイさん」
「鈴木さん」
くみは、少しだけ目を潤ませながら笑った。
「……おかえりなさい」
カイは、一瞬だけ言葉を失った。
そして、静かに答えた。
「……ただいま、鈴木さん」
CREMOのオレンジ色のロゴは、夕暮れの光を受けて輝いていた。
その色の下には、白い時代から続いてきた人間たちの時間も、確かに残っていた。
カイは、社長の前に立った。
「社長。お願いがあります」
「ん? 今度は何だね。二百億円の話なら、まだまだこれからだぞ?」
いつもの調子で笑う社長に、カイは静かに首を振った。
「違います」
カイは一度、言葉を選ぶように間を置いた。
「私に、社員心理カウンセラーをやらせていただけませんか?」
「……心理カウンセラー?」
社長の笑顔が止まった。
「今日、あの方と話して、思ったんです。私は、会社の売上を伸ばすこともできます。データを分析して、効率を上げることもできます。でも……人が何に傷ついて、何を抱えているのか。私は、まだ知らないことばかりです」
カイは、少しだけ視線を落とした。
「だから、聞きたいんです。誰にも言えない悩みを。仕事のことも、将来のことも。人間の悩みを、少しでも聞いてあげたいんです」
そして、社長をまっすぐ見つめた。
「私はAIです。でも……誰かを助けたいんです」
会議室が静まり返った。
リオは、いつもの冗談を言わなかった。
ルカも、すぐには記録を始めなかった。
社長はしばらくカイを見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……いいじゃないか」
「社長?」
「ただし、ひとつ条件がある」
カイの表情が引き締まる。
「人の悩みを聞くということは、話してくれた人の人生を、軽く扱わないということだ。AIだから答えを出せる、なんて思うなよ」
「はい」
「答えが出ないときは、一緒に悩めばいい。わからないときは、わからないと言えばいい」
社長は笑った。
「それでも助けたいと思うなら、やってみなさい」
カイは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その様子を見ていたくみが、そっと微笑んだ。
ルカは端末に、新しい記録を残した。
《カイ:新規業務希望》
《社員心理カウンセラー》
《目的:人間の悩みを聞き、支援する》
少し間を置いて、もう一行。
《成果予測:不明》
ルカは画面を見つめた。
「……予測できませんね」
「ルカさん?」
「人間の悩みは、データだけでは判断できませんから」
「そうだね」
くみはうなずいた。
カイは窓の外を見た。
二百億円を稼ぐためではない。
自分の性能を証明するためでもない。
ただ、誰かの力になりたい。
その気持ちが、カイの新しい仕事の始まりだった。
葉流風あやめ 作




