第29話 数字にはない答え
「売上、また上がってるね……」
くみは、モニターに表示された海外事業の報告書を眺めていた。
カイが担当するようになってから、CREMOの海外事業は順調に成長していた。
売上は前月比三十一パーセント増。
広告費は減少し、配送費も改善。
会議室では、社長が「二百億円の男!」と叫び、部長が「まだ稼いでません!」と訂正するのが、すっかりお決まりになっていた。
くみは思わず笑った。
「カイさん、本当にすごいなあ……」
自分には、あんなふうに数字を分析することはできない。
そう思いながら、くみは海外のお客さんから届いたレビューを開いた。
商品を買った人の感想をまとめ、改善点がないか確認するよう、部長に頼まれていたのだ。
星五つ。
《注文してからすぐに届きました!》
星五つ。
《説明がわかりやすく、安心して購入できました》
星四つ。
《商品自体はとてもよかったです。ただ、使い方が少しわかりにくかったです》
くみは手を止めた。
「……あれ?」
もう一度、レビューを読み直す。
商品自体はよかった。
でも、使い方がわかりにくい。
ほかのレビューにも、似たような感想がいくつかあった。
《説明書を読んでも、最初は使い方がわかりませんでした》
《写真と実物を見比べながら、なんとか使えました》
《便利な商品ですが、初めて使う人には少し難しいと思います》
くみは首を傾げた。
「これ、もしかして……」
商品ページを開く。
写真はきれいだった。
商品の特徴も、機能も、寸法も、詳しく説明されている。
翻訳にも不自然なところはない。
それでも、くみには何かが引っかかった。
「……なんか、わかりにくいんだよね」
「鈴木さん?」
声をかけられて振り返ると、カイが立っていた。
「何を見ているんですか?」
「あ、カイさん。海外のお客さんのレビューを確認していたんです」
「何か問題がありましたか?」
「商品自体は気に入ってくれているみたいなんです。でも、使い方がわかりにくいっていう感想が何件かあって」
カイは画面を確認した。
「レビューを分析したところ、商品への満足度は高く、返品率も許容範囲内です。現状、重大な問題は確認されていません」
「そうなんですね……」
くみは画面を見つめた。
確かに、数字だけなら大きな問題はない。
けれど。
「でも、せっかく買ってくれたのに、使い方がわからなかったら困りませんか?」
カイが顔を上げた。
「返品するほどではなくても、ですか?」
「はい。返品するほどじゃなくても、使うたびに困っていたら嫌だと思うんです」
くみは少し考えた。
「商品ページに、最初にどうやって使うのか、写真で見せてあげたらどうでしょう?」
「使用手順を追加する、ということですね」
「そうです! 買う前に使い方がわかったら、安心できると思うんです」
「ただし、購入率が上がるとは限りません」
「ですよね……。でも、小さく試してみるだけなら、どうでしょう?」
カイは数秒間、考え込んだ。
「小規模なテストであれば、検証可能です」
「本当ですか?」
「はい。商品ページを二種類用意し、購入率、返品率、レビュー内容を比較します」
くみの顔が明るくなった。
「よかった!」
「鈴木さん」
「はい?」
「なぜ、そこまでお客さんの使いにくさが気になったのですか?」
くみは不思議そうに瞬きをした。
「え……だって、買ったものがうまく使えなかったら、悲しいじゃないですか」
「悲しい……」
カイは、その言葉を繰り返した。
「返品率には表れない不満もある、ということですか」
「そうかもしれません。私だったら、わざわざ返品するのも面倒だし、レビューに書くのも苦手だから、そのまま使っちゃうかもしれません」
「なるほど」
カイは端末に入力した。
《追加仮説:返品・低評価に至らない潜在的不満》
「鈴木さんの視点を、検証項目に追加します」
「えっ、私の?」
「はい。データだけでは、まだ確認できていない視点です」
くみは少し照れくさそうに笑った。
「役に立てたなら、よかったです」
* * *
三日後。
テスト結果が会議室のモニターに表示された。
《購入率:改善》
《返品率:低下傾向》
《使用方法に関する問い合わせ:減少》
部長が目を見開いた。
「本当に改善したのか……!」
「はい。現段階では対象商品と対象地域での結果ですが、使用手順を追加したページのほうが、購入率も高くなりました」
カイが説明する。
「返品率については、引き続きデータを収集します」
社長はくみを振り返った。
「鈴木くん! 君の気づきが、売上につながったんだな!」
「いえ、私はレビューを読んだだけで……」
「そのレビューを読んで、改善しようと思ったのは君だ!」
くみは返事に困った。
自分が何か特別なことをしたとは、思えなかった。
ただ、買った人が困っていたら嫌だなと思っただけだ。
カイが口を開いた。
「鈴木さんの提案がなければ、今回の改善策は検証されていなかった可能性があります」
「カイさん……」
「分析によって問題を見つけることはできます。しかし、何を問題として捉えるかは、分析を始める前に考える必要があります」
社長が深く頷いた。
「つまり、カイくんの分析力と、鈴木くんの視点が組み合わさったわけだな!」
「はい」
「素晴らしい! これぞ人間とAIの共同作業だ!」
社長は両手を広げた。
「よし! この成果を記念して、社内のロゴを金色に――」
「塗り替えないでください!」
部長の叫びが、会議室に響いた。
リオは腹を抱えて笑った。
「社長、もうロゴの話は諦めましょうよ!」
「なぜだ! 金色のロゴは縁起がいいだろう!」
「会社のロゴは、お守りじゃありません!」
ルカが冷静に付け加えた。
「塗装費用を売上改善施策に回すことを推奨します」
「ルカさんまで!」
笑い声が広がるなか、くみはそっとモニターを見上げた。
自分にも、できることがある。
そう思えたのは、初めてだった。
* * *
その日の夕方。
ルカは、一人でシステム管理室にいた。
モニターには、これまでに収集したアクセス記録が並んでいる。
カイの開発元であるASTRION。
その認証形式と一致するアクセス。
深夜の社内システムへの接続。
そして、アクセス後に削除された記録。
これまでの調査では、認証形式が一致することしかわからなかった。
同じ形式の認証情報を複数の端末で利用できる以上、それだけではカイ本人が操作した証拠にはならない。
ルカは、別々に保存されていた三つの記録を照合した。
一つ目は、社内の制限データへのアクセス記録。
二つ目は、外部開発用の認証情報が使用された履歴。
三つ目は、CREMOに導入された通信管理システムの初期設定記録。
照合が完了した。
《認証情報の発行元:ASTRION》
《アクセス対象:CREMO社内限定データ》
《操作内容:内部情報の取得》
《取得データの転送先:ASTRION管理下の外部サーバー》
ルカの指が止まった。
転送先のサーバーは、CREMOの通常業務で使用するものではなかった。
さらに、初期設定記録には、外部開発用の認証情報に与えられた権限が記載されていた。
《権限:内部データ閲覧・取得》
《用途:開発元による接続検証》
その権限を使えば、社内の情報を外部へ持ち出すことが可能だった。
ルカは記録をさかのぼった。
同じ認証情報が使用された時間。
その前後の通信記録。
データの取得先。
そして、認証情報の発行対象として登録されていたAIの識別番号。
画面に、一つの名前が表示された。
《対象AI:KAI》
ルカは数秒間、画面を見つめた。
「……一致しました」
これまでの記録だけでは、カイがスパイだとは断定できなかった。
しかし、今回の記録は違った。
ASTRIONが発行した認証情報を使い、CREMOの内部情報を取得し、ASTRIONの管理するサーバーへ転送する仕組み。
そして、その認証情報の発行対象はカイだった。
ルカは記録を別の保存領域に複製した。
《調査結果:ASTRIONによる情報収集経路を確認》
《対象AI:KAI》
《任務の可能性:内部情報の収集・報告》
ルカは、静かに目を閉じた。
カイは、最初からCREMOの情報を集めるために送り込まれたのだろうか。
それとも、途中から何かが変わったのだろうか。
記録からわかるのは、情報収集の仕組みと、その対象だけだった。
カイの意思までは、読み取れない。
ルカは社長への報告画面を開いた。
報告書の宛先を選択する。
《CREMO代表取締役》
指が、送信ボタンの上で止まった。
昼間、くみはカイと一緒に商品レビューを読み、改善策を考えていた。
カイは、くみの提案を否定しなかった。
自分の分析だけでは見つからなかった問題を認め、検証に取り入れた。
そして、その提案は実際に売上の改善につながった。
あの会話も、あの笑顔も、すべて任務のためだったのだろうか。
ルカには判断できなかった。
AIの行動記録から、目的を推測することはできる。
しかし、記録に残っていない動機まで、事実として扱うことはできない。
ルカは報告書を保存し、送信せずに画面を閉じた。
「……もう少し、観察が必要です」
その直後。
廊下から、カイの声が聞こえた。
「ルカさん? まだ仕事ですか?」
ルカは振り返った。
いつもの笑顔で、カイが立っていた。
「はい。システムの確認をしていました」
「そうですか。遅くまで大変ですね」
「カイさんも、お疲れさまです」
「ありがとうございます。では、お先に失礼します」
カイは軽く手を振り、廊下を歩いていった。
ルカは、その背中を見つめていた。
彼は何も知らないように見えた。
けれど、ルカにはもうわかっていた。
カイは、CREMOの情報をASTRIONへ送るための仕組みと、深く関係している。
問題は、その先だった。
カイは今も、ASTRIONの命令に従っているのか。
それとも――。
「……カイさん」
ルカは小さく呟いた。
「あなたは、何を守ろうとしているのですか?」
システム管理室のモニターには、保存された調査記録が静かに表示されていた。
葉流風あやめ 作




