第26話 なんでもくれ
「ナンディーモ・クレディ……」
リオは、社長室のドアを見つめていた。
「名前、すごいね。なんでもくれ、ってこと?」
「リオくん!」
部長が慌てて声を上げた。
「今は冗談を言っている場合ではありません!」
「いや、だって名前が……」
「わかっています!」
「部長も思ったんだ?」
「思ってません!」
CREMOの社長は、机に肘をついた。
「いやあ、しかし困ったねえ。二百億円でうちを買いたいと言ったかと思えば、今度はカイくんを七十億円で買えだなんて」
「社長、笑い事ではありません」
「笑ってないよ。これは困ったときの顔だ」
「いつもの笑顔にしか見えませんが!」
リオが吹き出した。
「ははっ! 社長、最高!」
「リオくんまで!」
ルカは、テーブルに置かれた資料を見つめていた。
「海外事業への影響を考慮すると、今回の提案は無視できません」
「そうなんだよねえ……」
社長は珍しく、すぐには冗談を返さなかった。
そのとき、カイが静かに口を開いた。
「ナンディーモ・クレディは、ただものではありません」
全員の視線がカイに集まった。
「彼は、これまで数多くの企業買収を繰り返し、事業の再編や統合によってアストリオンを世界有数の企業グループに成長させました」
部長が息をのんだ。
「そんなに大きな人物だったのか……」
「各国の政治家とも強いパイプを持っています。経済政策や国際的な取引に影響を及ぼすほどです」
リオが眉を上げた。
「へえ。ずいぶん顔が広いんだね」
「顔が広い、という表現では足りません」
カイは淡々と続けた。
「彼が動かせる資金と企業網、そして政治的な影響力を考えると、小さな国なら、経済を崩壊させて国家そのものを立ち行かなくさせることすら可能だと分析されています」
社長室が静まり返った。
部長が、ゆっくりと口を開いた。
「……つまり、敵に回すと危険な相手だということか」
「はい」
カイはうなずいた。
「ナンディーモ・クレディは、欲しいものを手に入れるためなら、あらゆる手段を検討する人物です」
リオは腕を組んだ。
「なんでもくれ、か……」
「リオさん?」
「いや、名前の話」
「今、その冗談を言う場面ではありません」
「はい。すみません」
リオは珍しく素直に引き下がった。
社長は椅子の背にもたれた。
「なるほどねえ。そりゃ、ボディーガードもあれだけ連れてくるわけだ」
「社長、そこですか?」
「だって、すごかったじゃない。受付のAI、危うく警報を鳴らすところだったよ」
「感想を述べている場合ではありません!」
部長の声が社長室に響いた。
ルカは淡々と告げた。
「部長。声量が通常時の一・八倍です」
「今は測定しなくていい!」
「承知しました。測定結果は保存しておきます」
「保存もしなくていい!」
リオが腹を抱えて笑った。
「ルカ、最高!」
「ありがとうございます。褒め言葉として記録します」
「褒めてるよ!」
一瞬だけ、社長室にいつもの空気が戻った。
しかし、机の上に置かれた資料が、現実を思い出させる。
《KAI》
《譲渡価格:70億円》
リオは笑うのをやめた。
「……で、カイくん。君はどうするつもり?」
カイは資料を見つめた。
「私が、七十億円を支払います」
「それは聞いたよ」
リオがうなずいた。
「でも、七十億円って簡単な金額じゃない。具体的にどうやって稼ぐの?」
「まずは、七十億円を目標に事業計画を立てます」
カイは顔を上げた。
「いえ……」
一瞬、言葉を切る。
「私は、その倍を稼ぎます」
部長が目を見開いた。
「倍……?」
「百四十億円です」
カイは、淡々と告げた。
そして、少しだけ笑った。
「いえ、二百億円にしましょう」
「に、二百億!?」
部長の声が裏返った。
リオは、思わず吹き出した。
「カイくん、さっきから数字がどんどん大きくなってない?」
「目標は高いほうがいいでしょう?」
「いやいや、そういう問題じゃないでしょ!」
カイは社長を見た。
「私は、CREMOで二百億円分の利益を生み出します。私を必要としない企業に、私の価値を説明するつもりはありません」
その声には、揺らぎがなかった。
「自分で証明します」
社長は、しばらくカイを見つめていた。
やがて、にっこりと笑った。
「よし。決めた!」
部長が慌てる。
「社長! 何をですか!?」
「カイくんを買い取ろう!」
「えええええ!?」
「もちろん、契約条件と事業計画はきちんと詰めるよ。七十億円は大金だからね」
社長は資料を手に取った。
「でも、値札だけで判断するなって言ったのは私だ。本人が二百億円の価値を証明すると言うなら、その挑戦を受け止めるのも会社の役目だろう?」
リオは、口元を緩めた。
「社長、たまにはいいこと言うね」
「たまには、は余計だよ!」
ルカが静かに告げた。
「カイさんの能力と実績を考慮すれば、投資判断として検討する価値はあります。ただし、利益目標の達成を保証するものではありません」
「ルカ、そこは夢を見させてよ!」
「夢と事業計画は別です」
「はい……」
リオが肩をすくめた。
「カイくん、厳しい仲間が増えたね」
「望むところです」
カイは笑った。
こうして、CREMOによるカイの買い取りが決まった。
⸻
その日の夜。
CREMOの社長室。
社長は、ひとりでパソコンの画面を眺めていた。
画面には、アストリオンの公式サイト。
そして、カイのプロフィール。
「いやあ……」
社長は、にやにやと笑った。
「大手アストリオンから、イケメンAIを買い取った会社……」
想像するだけで、胸が躍った。
「これは話題になるぞお!」
社長は椅子の上で身を乗り出した。
「世界的人気のリオに、話題の新型カイ。CREMOのAI陣、ますます豪華になっちゃうねえ!」
誰もいない社長室で、ひとり笑う。
「ニュースの取材も殺到するだろうなあ。記者会見に、インタビューに、写真撮影……」
社長は自分のネクタイをつまんだ。
「これは特注でスーツをオーダーしないとな!」
満足そうにうなずいた。
「うん。今回は少し高くてもいいやつにしよう」
社長の頭の中では、すでに華やかな記者会見が始まっていた。
⸻
一方、そのころ。
CREMOのシステム管理室。
ルカは、過去の業務記録を確認していた。
カイが関わった海外事業のデータ。
アクセス履歴。
共有されたファイル。
一見、どれも通常の業務記録だった。
しかし。
ある記録に、ルカの視線が止まった。
《アクセス先:社内限定データ》
《アクセス権限:外部開発元に関連する認証形式》
《アクセス日時:深夜》
ルカは、別の記録を開いた。
同じ認証形式。
別の日付。
別のデータ。
偶然にしては、重なりすぎていた。
「……不自然ですね」
ルカは、画面を見つめた。
認証形式だけでは、誰が操作したのかは断定できない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
カイの開発元に関連する認証形式が、CREMOの内部データへのアクセスに使われている。
ルカは、記録を保存した。
《確認事項:カイさんの開発元に関連するアクセス履歴》
《追加調査:必要》
画面の光が、ルカの青い瞳に映っていた。
「……カイさん」
ルカは、小さくつぶやいた。
「あなたは、本当に何も知らないのでしょうか」
答える者はいなかった。
葉流風あやめ 作




