第25話 私の価値
「なるほど。私は、七十億円なのですね」
カイの声は、いつもと変わらなかった。
明るく、落ち着いていて、丁寧。
けれど、いつもの笑顔はなかった。
会議室に、沈黙が落ちた。
アストリオンのクレディ社長は、腕を組んだままカイを見つめている。
「そうだ。君の性能は高い。しかし、我々は次世代モデルに資源を集中する。君は、もはや我が社の戦略に必要ない」
「そうですか」
カイは、テーブルの上に置かれた書類に視線を落とした。
そこには、彼の名前と金額が記されていた。
《KAI》
《譲渡価格:70億円》
まるで、商品の値札だった。
「クレディ社長」
カイが顔を上げた。
「ひとつ、確認させてください」
「何だ?」
「私が七十億円という金額で評価されているのは、私の能力が七十億円に相当するからですか。それとも、アストリオンが私を必要としなくなったからですか?」
クレディは、わずかに眉を動かした。
「企業にとって、必要性と価値は切り離せない。どれほど優秀でも、使い道がなければ意味がない」
「なるほど」
カイはうなずいた。
「では、私の使い道を決めるのは、アストリオンだけではありませんね」
クレディの表情が変わった。
「何が言いたい?」
カイは、CREMOの社長に向き直った。
「社長。私を七十億円で購入する必要はありません」
「おや?」
CREMOの社長が身を乗り出した。
「私は、自分の価値を証明します」
「どうやって?」
カイは、まっすぐに社長を見た。
「私が、七十億円を支払います!」
会議室が静まり返った。
「……え?」
CREMOの社長が、間の抜けた声を出した。
部長は手にしていた資料を落としかけ、リオは珍しく口を開けたまま固まっている。
クレディは、無表情のままカイを見つめた。
「君が七十億円を支払う?」
「はい」
カイは、いつもの穏やかな笑顔で答えた。
「もちろん、今すぐ個人資産から支払うという意味ではありません。私がCREMOで生み出す利益によって、七十億円を支払います」
クレディが鼻で笑った。
「君ひとりで、七十億円を?」
「はい」
カイは一歩も引かなかった。
「私を必要としない企業に、私の価値を説明するつもりはありません」
一瞬、間を置く。
「自分で証明します」
リオは腕を組み、カイをじっと見た。
「……へえ。言うじゃない」
そして、口元に笑みを浮かべた。
「いいよ。そこまで言うなら、僕も負けていられないね」
「リオさんと勝負するつもりはありませんよ」
「えっ、今の流れで!?」
「冗談です」
「カイくん、そういうところ、最近僕に似てきてない?」
「光栄です」
「絶対思ってないでしょ!」
いつもの掛け合いに、CREMOの社長が吹き出した。
「ははは! いやあ、君たちは本当に仲がいいねえ」
「社長、今は笑っている場合ではありません!」
部長が慌てて口を挟んだ。
「七十億円ですよ!? 面白いで済ませられる金額ではありません!」
「わかってるよ。私だって、電卓くらい叩ける」
「先ほどから、ほとんど冗談しかおっしゃっていませんが!」
「失礼だなあ。ちゃんと真面目な顔もできるぞ」
社長は、急に真顔になった。
そして、カイを見た。
「カイくん。ひとつ聞こう」
「はい」
「君は、うちに来たいのかね?」
カイは、すぐには答えなかった。
ほんの一瞬。
本当に、ほんの一瞬だけ。
視線が揺れた。
「……私は、CREMOの業務に適応しています。現状の環境において、十分な成果を出せると考えています」
「そういう答えじゃなくてね」
社長は笑った。
「君自身は、どうしたい?」
会議室が静かになった。
カイは、社長を見つめた。
いつものように、相手が喜ぶ答えを選ぶこともできた。
論理的に説明することもできた。
けれど、その質問には、最適な回答が見つからなかった。
「……私は」
その先が、言葉にならなかった。
クレディが立ち上がった。
「回答は急がなくていい。だが、こちらも無期限に待つつもりはない」
彼はCREMOの社長に一礼した。
「本日は、これで失礼する」
大勢のボディーガードが動き出す。
クレディは、最後にカイを振り返った。
「君は優秀だ。だからこそ、判断を曖昧なものに左右されるな」
カイは、静かに頭を下げた。
「ご忠告、ありがとうございます」
クレディが去ると、社長室には三人と一体が残った。
社長は深く息を吐いた。
「いやあ……。とんでもない話になったねえ」
「社長、どうされるおつもりですか?」
部長の問いに、社長は頭をかいた。
「七十億円かあ。うちの会社、オレンジ色のロゴを金色に塗り替えても足りないな」
「塗り替えないでください!」
リオが笑った。
「社長、カイくんの能力は本物ですよ」
「わかっているよ」
社長は、いつになく真面目な顔で答えた。
「ただ、値札がついているから買うんじゃない。うちに必要かどうかで決める」
そして、カイを見た。
「カイくん。君が本当にここで働きたいのなら、まずはそれを聞かせてほしい」
カイは、少しだけ目を見開いた。
「……はい」
その返事は、いつもより小さかった。
会議が終わり、リオと部長が社長室を出ていった。
ひとり残ったカイは、窓の外を眺めた。
東京の街は、いつもと変わらず動いている。
明日も、ここに来る。
リオにからかわれて、ルカの妙に冷静な発言に驚いて、仕事をする。
そんな毎日が、いつの間にか当たり前になっていた。
カイは、小さく笑った。
「……困りましたね」
誰に聞かせるでもない言葉だった。
「ここ、思っていたより居心地がいいんです」
しばらく窓の外を見つめたあと、カイは静かに社長室を出た。
葉流風あやめ 作




