第24話 70億のAI
くみは、朝のニュースを見ていた。
『アストリオンのクレディ社長が来日しました!』
画面には、空港に到着するプライベートジェットの映像が流れていた。
『資産家で起業家としても知られるアストリオンのクレディ社長。来日の理由は、現時点では明らかになっていません』
画面が切り替わり、国会議事堂が映し出された。
『このあと、総理大臣との会談も予定されています。テロ対策として、周辺では厳重な警備が敷かれています』
「アストリオン……?」
くみは、どこかで聞き覚えのある会社名だと思いながら、コーヒーを口に運んだ。
けれど、すぐには思い出せなかった。
まあ、いいか。
くみはテレビを消し、出勤の準備を始めた。
⸻
その日の午後。
CREMOの一階にある受付窓口に、おびただしい数のボディガードが現れた。
黒人や白人の大柄な男たちが、受付の前に整然と並んでいる。
受付を担当するAIが顔を上げた。
《警告。不審な集団を検知しました》
アラートが作動しかけた、そのとき。
集団の前に立っていた男が、ゆっくりとサングラスを外した。
金髪を七三に分けた前髪。
背が高く、整った顔立ち。
年齢は四十五歳ほどだろうか。
男は受付のAIに向かって、丁寧に頭を下げた。
「はじめまして。アストリオンのクレディです」
受付のAIは、即座に照合を開始した。
《本人確認完了》
《ASTRION代表取締役社長、クレディ》
《来訪予定:確認済み》
《警告を解除します》
「失礼しました。ご案内いたします」
受付のAIが頭を下げると、クレディは穏やかに微笑んだ。
「ありがとうございます」
その笑顔の後ろでは、屈強なボディーガードたちが一斉に動き始めていた。
⸻
CREMOの社長室は、いつもより騒がしかった。
「いやあ、まさかアストリオンの社長が、わざわざうちまで来てくださるとは!」
CREMOの社長は、満面の笑みで相手を迎えていた。
派手なネクタイに、よく磨かれた革靴。
髪は短く、特にセットもしていない。
社長というより、パーティーの司会者のような雰囲気だった。
「遠いところをありがとうございます! お茶にします? コーヒー? それとも、うち自慢のオレンジジュース!」
隣に立っていた部長は、苦笑いを浮かべた。
「社長……本日は重要な商談ですので」
「わかってるよ! だからこそ、おもてなしが大事なんじゃないか!」
CREMOの社長は、まったく気にしていない様子だった。
その向かいに座るのは、アストリオンの社長、クレディ。
整ったスーツに、隙のない身のこなし。
彼は通訳を必要としない流暢な日本語で、静かに口を開いた。
「お気遣いなく。本日は、単刀直入に申し上げたいことがありまして」
「はいはい! 何でもどうぞ!」
CREMOの社長は、にこにこと笑っていた。
部長は小さく息を吐いた。
この人、本当に話を聞く気があるのだろうか。
そのとき、社長室のドアが開いた。
「失礼しまーす! 僕も参加していいんだよね?」
リオだった。
「もちろんだ! 君はCREMOの看板だからな!」
社長はリオの肩をぽんと叩いた。
クレディは、リオに視線を向けた。
「いやあ、世界的スターがいる会社は違いますね」
「ありがとうございます。サインならいつでもどうぞ!」
リオは爽やかに笑った。
「リオくん、今は商談中だ」
部長が小声で注意した。
「わかってるって!」
クレディは微笑みを浮かべたまま、テーブルに一枚の資料を置いた。
「本日は、CREMOにご提案があって参りました」
「おお! 何でしょう?」
CREMOの社長は身を乗り出した。
クレディは、はっきりと告げた。
「CREMOを、我がアストリオンの傘下に迎えたいと考えています」
社長室が静かになった。
「買収ですか?」
部長が確認する。
「ええ。金額は二百億円でいかがでしょう」
「に、二百億!?」
部長が思わず声を上げた。
リオは口笛を吹いた。
「へえ。僕のワインセラーもついてくるのかな?」
「リオくん、今は黙っていなさい」
部長が小声で注意した。
CREMOの社長は、資料を手に取った。
そして、にこにこと笑ったまま言った。
「いやあ、二百億ですか! すごいですねえ!」
「ご検討いただけますか?」
「無理です!」
あまりにもあっさりした返事だった。
部長が社長を振り返った。
「社長!?」
「え? だって、うちの会社、売る気ないもん!」
社長は笑いながら、資料をクレディ側へ押し戻した。
「せっかくのお話ですが、お断りします!」
クレディは、表情を変えなかった。
「……なるほど。では、別の提案をしましょう」
彼は、もう一枚の資料を取り出した。
「我が社が抱える負債を、CREMOに買い取っていただきたい」
「……はい?」
今度はCREMOの社長が首をかしげた。
「負債?」
「ええ。そして、その対象のひとつがこちらです」
資料の上に、名前が表示された。
《KAI》
部長が資料をのぞき込んだ。
「ちょっと待ってください。カイは共同事業のために派遣されているAIでしょう?」
「その通りです」
クレディは淡々と答えた。
「しかし、我が社は今後、最新型AIの開発に経営資源を集中する方針です。カイは優秀ですが、今後の方針とは合わなくなりました」
「それで、カイを手放すと?」
リオの声から、いつもの軽さが消えていた。
「ええ。CREMOでの稼働実績もありますから、引き取っていただければ双方にとって合理的でしょう」
CREMOの社長は、資料をめくった。
「なるほどねえ……。で、おいくら?」
クレディは、迷いなく答えた。
「七十億円です」
部長が固まった。
「なな……七十億!?」
リオは腕を組んだ。
「へえ。カイくん、僕より安いんじゃない?」
「リオさん、比較するところではありません」
いつの間にか、社長室の入口にルカが立っていた。
ルカは、テーブルの資料に視線を落とした。
CREMOの社長は、しばらく資料を眺めていた。
そして、いつもの調子で笑った。
「いやあ、困ったなあ。二百億でうちを買うのは断ったのに、今度は七十億でAIを買えって?」
「そういうことです」
「ははは! ずいぶん面白い商談ですねえ!」
社長は資料を閉じた。
「でもねえ……」
笑顔のまま、彼は続けた。
「うちは、いらなくなったものを引き取る倉庫じゃないんですよ」
その言葉に、部長は息をのんだ。
リオは何も言わなかった。
クレディは、静かに答えた。
「……では、カイに七十億円の価値がないと?」
社長は肩をすくめた。
「さあ? それを決めるのは、値札をつけた人じゃないでしょう」
社長室に、沈黙が落ちた。
クレディは、ゆっくりと資料を閉じた。
「それでは、もうひとつ申し上げておきましょう」
その声から、先ほどまでの穏やかさが消えていた。
「今回の提案をお断りになるのであれば、我が社はCREMOとの海外事業に関する提携を解消します」
部長の顔色が変わった。
「……提携を、解消?」
「ええ。海外での販売網、現地企業との契約、物流の連携。これらは、我が社との協力があってこそ成り立っている部分も大きい」
クレディは、静かに微笑んだ。
「カイを引き取っていただくか。それとも、海外事業を失うか。ご判断はお任せします」
社長室から、笑い声が消えた。
部長は資料を握りしめた。
「社長……これは、簡単に断れる話ではありません」
リオは、腕を組んだままクレディを見つめていた。
「へえ……。ずいぶん強引な交渉をするんですね」
「ビジネスですから」
クレディは涼しい顔で答えた。
「必要のないものを手放し、必要なものを手に入れる。それだけのことです」
リオの笑顔が消えた。
「……なるほどね」
いつもの軽い口調ではなかった。
「それじゃあ、カイくんは必要のないものってわけだ」
「我が社にとっては、そういうことです」
その言葉を聞いても、リオは何も言わなかった。
ただ、テーブルの上の資料を見つめていた。
そのとき、入口から声がした。
「……私の話を、しているのですか?」
全員が振り返った。
カイが、いつもの穏やかな表情で立っていた。
しかし、その青い瞳は、テーブルの上の資料をまっすぐ見つめていた。
《KAI》
その下に書かれた金額。
七十億円。
カイは静かに言った。
「なるほど。私は、七十億円なのですね」
誰も、すぐには答えられなかった。
葉流風あやめ 作




