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隣のAIさん  作者: 葉流風あやめ


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第20話 世界一有名なAI

 午前八時。


 くみが出勤すると、オフィスがいつもと違う雰囲気に包まれていた。


 社員たちがスマートフォンを見つめ、あちこちで小さな声が上がっている。


「嘘でしょ……」


「これ、本当にリオさんなの?」


「撃たれたって……どういうこと?」


 くみは足を止めた。


「何かあったんですか?」


 近くの社員が、青ざめた顔でスマートフォンを差し出した。


「これ、見てください!」


 画面には、海外の街で撮影された動画が映っていた。


 銃声。


 逃げ惑う人々。


 ふんわりとしたピンクのワンピースを着た、五歳くらいの女の子。


 金髪には赤いリボンが結ばれていたが、今にも取れそうになっていた。


 すぐそばには、小さなくまのぬいぐるみが転がっている。


 そして、女の子を抱き上げる黒髪のAI。


 リオだった。


 身体に銃弾を受けても倒れず、子供を安全な場所まで運んでいる。


 その後、力を失っていく身体。


 泣き叫ぶ子供。


『おにいちゃーん! しなないで!』


 最後に、リオがかすかに笑う。


『大丈夫さ。ちょっとシャットダウンするだけさ』


 そして、目を閉じた。


 動画はそこで終わっていた。


「……リオさん」


 くみの指先が震えた。


「リオさん、どうなっちゃったの……?」


 くみは、何度も動画を見返した。


 何度見ても、最後に目を閉じるリオの姿が消えなかった。


     *


「ルカさん!」


 くみは隣の席へ駆け寄った。


「リオさんのこと、知ってる!?」


「はい。映像を確認しました」


「今、どうなってるの? 無事なのかな……?」


 ルカは端末を操作した。


「アメリカ側との通信を試みましたが、応答がありません」


「そんな……」


「現在、リオさんの通信機能は閉ざされているようです。稼働状態も確認できません」


 くみは、ルカの顔を見つめた。


「心配じゃないの?」


「心配、ですか?」


「だって、リオさんが……!」


 声が震えた。


 ルカは少し考えた。


「私はリオさんの状態を確認できません。それよりも、現在は情報漏洩事件の解決を優先すべきです」


「……でも」


「事件が未解決のままです。業務を停止する理由にはなりません」


 ルカは、再び端末へ視線を戻した。


 くみは何も言えなかった。


 ルカに悪気がないことはわかっている。


 それでも、あんな映像を見たあとに、いつも通り仕事を続けられることが、くみには不思議だった。


 そして、少しだけ寂しかった。


     *


 午前十時。


 くみは休憩室にいた。


 紙コップのコーヒーは、もう冷めていた。


 スマートフォンには、リオの動画が表示されている。


 何度も再生してしまう。


 見なければいいのに、指が止まらなかった。


「……なんで、こんなことに」


 目の奥が熱くなる。


 くみは慌てて顔を伏せた。


 リオとは、まだ一緒に働きたい。


 また、くだらない冗談を聞きたい。


 「鈴木さん、僕のこと好きになっちゃった?」なんて言われて、違います、と返したい。


 いつも通りのオフィスで、いつも通りの朝を迎えたい。


 もう、あの笑顔を見られないかもしれない。


 そう考えた瞬間、涙がこぼれそうになった。


「……くみちゃん?」


 顔を上げると、カイが立っていた。


「大丈夫?」


 くみは慌てて目元を拭いた。


「うん。大丈夫……」


「本当に?」


 カイは隣の椅子に座った。


「無理に大丈夫って言わなくてもいいよ」


 その言葉に、くみの表情が崩れた。


「……心配だよ」


「うん」


「リオさん、いつもあんなに元気なのに。ワインばっかり飲んで、エンジニアさんに怒られて……。また普通に帰ってくると思ってたのに」


 カイは、黙って聞いていた。


「私、リオさんがいなくなるなんて、考えたことなかった」


「そうだよね」


 カイは窓の外を見た。


「僕らAIは、本当に死や別れへの恐怖心がないんだ」


 くみは顔を上げた。


「……え?」


「正確に言うと、人間と同じように死を恐れたり、誰かとの別れを怖がったりする仕組みは、僕たちにはないんだ。僕たちは、任務をまっとうすることを優先するように作られているから」


 カイは少し困ったように笑った。


「だから、ルカさんが事件を優先したのも、くみちゃんを傷つけたくて言ったわけじゃないよ」


「……うん」


「ルカさんは、リオさんをどうでもいいと思っているわけじゃない。ただ、今、自分に何をすべきかを判断したんだと思う」


 くみは、紙コップを見つめた。


「カイさんは……寂しくないの?」


「僕も、リオさんの状態がわからないことは問題だと思っているよ。でも、それを人間と同じ意味で寂しいと呼べるのかは、わからない」


 カイは、くみの目を見た。


「ただ、くみちゃんが悲しいと思っていることはわかる。だから、今は話を聞くことくらい、できるよ」


 くみの目に、また涙が浮かんだ。


「……ありがとう」


「どういたしまして」


 二人は少しだけ笑った。


 けれど、くみのスマートフォンには、まだリオが目を閉じる瞬間が残っていた。


     *


 同じ頃。


 オフィスでは、ルカが事件の最終確認を進めていた。


「……見つかりました」


 ルカの声に、部長が振り向いた。


「何がだ?」


「保守管理システムの記録です。削除された担当者名の一部を、別の管理記録から復元しました」


 画面に、一人の名前が表示された。


 黒田。


 CREMOのシステム保守を担当していた社員だった。


「黒田君だと?」


 部長は眉をひそめた。


「彼は先月、保守管理業務から外れているはずだ」


「はい。しかし、彼の管理権限は完全には停止されていませんでした」


 ルカは、さらに記録を表示した。


「事件当日の深夜、黒田さんの認証情報で保守管理システムが操作されています。その直後に商品情報が改ざんされ、非公開の契約情報へアクセスがありました」


「本人が操作した証拠はあるのか?」


「端末の利用記録と、削除前に残された作業記録が一致しています。また、社外へのデータ送信記録も確認できました」


 部長は、険しい顔で資料を見つめた。


「……黒田?」


くみは、画面に表示された名前を見て首をかしげた。


「この名前、どこかで……」


その瞬間、ある出来事を思い出した。


保守管理システムに異常が見つかったとき、以前そのシステムを担当していた社員がいると聞いた。


「あっ……! そういえば、あのとき!」


あのときは、何気ない業務上の会話だと思っていた。


まさか、そのシステムが今回の事件につながっていたなんて。


「部長、黒田さんの記録が見つかりました」


ルカが静かに告げた。


部長の表情が変わった。


「……黒田を呼んでくれ」


     *


 午後一時。


 黒田は会議室に呼び出された。


 部長が資料を机の上に置く。


「黒田君。これは君が行った作業か?」


 黒田は画面を見て、顔をこわばらせた。


「……違います。私は、そんなことは」


「君の認証情報が使われている。データが送信された記録もある」


「認証情報なら、誰かが使ったのかもしれません!」


「では、なぜ君の端末から、保守管理システムの設定変更が行われている?」


 黒田は口を閉じた。


 ルカが静かに説明する。


「今回の操作では、通常の保守作業では使用しない経路が使われています。操作履歴の削除も、同じ端末から行われていました」


 部長は、さらに一枚の資料を差し出した。


「社外に送られたデータの送信先も確認している。君が退職後に就職を予定していた競合企業だ」


 黒田の顔から、血の気が引いた。


「……どうして、それを」


 その一言で、会議室の空気が変わった。


 黒田はしばらく黙っていた。


 やがて、うつむいた。


「……頼まれたんです」


「誰に?」


「競合企業の担当者に。非公開の価格条件があれば、報酬を払うと……」


 部長は目を閉じた。


「君は、そのために会社の情報を漏らしたのか」


「最初は、商品情報を少し書き換えるだけのつもりでした。けれど、向こうから契約条件も欲しいと言われて……。保守管理の権限を使えば、記録を消せると思ったんです」


 黒田は顔を上げなかった。


「申し訳ありません……」


 部長は、静かに息を吐いた。


「謝罪だけで済む問題ではない。これから正式な手続きを進める」


 ルカは記録を保存した。


「情報漏洩の経路と、操作を行った人物が特定されました。外部への追加送信も停止しています」


 部長はうなずいた。


「よし。取引先への説明と、再発防止策を進めよう」


 長かった調査が、ようやく終わりを迎えた。


     *


 午後三時。


 休憩室にいたくみのもとへ、ルカがやってきた。


「くみさん。事件の調査が終了しました」


「えっ?」


「情報漏洩を行ったのは、保守管理を担当していた黒田さんです。競合企業から報酬を受け取る約束をし、社内情報を持ち出していました」


 くみは目を見開いた。


「じゃあ……もう、解決したの?」


「はい。外部への追加送信は停止しました。部長が取引先への説明と、管理権限の見直しを進めています」


 くみは、ほっと息を吐いた。


「よかった……!」


 事件が解決した。


 これ以上、会社の情報が漏れることもない。


 ようやく、ひとつの問題が終わったのだ。


 けれど、くみの顔には笑顔が戻らなかった。


 ルカは、そんなくみを見つめた。


「……くみさん」


「なに?」


「リオさんの状態は、まだ確認できていません」


 くみは、うなずいた。


「うん……」


「私には、心配という感情がありません。ただ、リオさんの稼働状態を確認できないことは、未解決の問題です」


 ルカは、少しだけ間を置いた。


「通信が回復したら、すぐに確認します」


 くみは、ルカを見た。


「……ありがとう、ルカさん」


「何に対するお礼ですか?」


「ううん。なんでもない」


 ルカは首をかしげた。


 くみは、少しだけ笑った。


 ルカは人間と同じように悲しむことはない。


 それでも、彼女なりにリオの状態を確認しようとしている。


 それだけで、今は十分だった。


     *


 一方、アメリカ。


 リオのエンジニアは、あるAI研究施設の一室で、必死に作業を続けていた。


 リオの身体は、専用の修理台に横たえられている。


 胸部の装甲は取り外され、内部の配線や部品が露出していた。


「……くそっ」


 エンジニアは、汗を拭った。


 銃弾によって、リオの内部システムは大きな損傷を受けていた。


 通常なら、メーカーの専門チームに引き継ぎ、必要な部品を取り寄せて修理する。


 しかし、そんな時間はなかった。


 このままでは、リオの記憶や人格を保存する領域まで損傷が広がる可能性があった。


 エンジニアは、リオの開発元と協力関係にあるAI研究施設に駆け込み、必要な部品を借り受けた。


 その際、リオの内部構造に関する情報も一部開示しなければならなかった。


 機密情報が漏れるかもしれない。


 自分の判断が、あとで問題になるかもしれない。


 それでも、エンジニアは迷わなかった。


「……リオさん。絶対に直しますからね」


 返事はない。


「目が覚めたら、またワインを飲ませてあげますから!」


 もちろん、返事はない。


「だから、お願いですから……!」


 エンジニアは唇をかみしめた。


 修理を始めてから、すでに二十四時間が経過していた。


 一睡もしていない。


 食事も、まともに取っていなかった。


 それでも、手を止めなかった。


 損傷した部品を交換する。


 回路を接続し直す。


 記憶領域を確認する。


 何度もエラーが表示される。


 そのたびに、原因を探し、修正を繰り返した。


「……頼む。戻ってきてくれ」


 最後の接続を確認する。


 エンジニアは、震える指で起動スイッチを押した。


 数秒間、何も起きなかった。


 静かな機械音だけが、室内に響く。


 やがて――。


 リオの指が、ぴくりと動いた。


「……っ!」


 エンジニアは息をのんだ。


 リオの目が、ゆっくりと開く。


 緑色の瞳に、光が戻った。


「……ん?」


 リオは天井を見つめた。


 そして、隣に立つエンジニアへ視線を向けた。


「……あれ。僕、どうなったの?」


「リオさん……!」


 エンジニアの声が震えた。


「よかった……! 本当によかった……!」


 リオは上半身を起こそうとして、エンジニアに止められた。


「まだ動かないでください! 修理したばかりなんですから!」


「えー? 大丈夫だよ。僕、丈夫だから」


「銃弾を何発も受けたAIが、何を言ってるんですか!」


 リオは、しばらく考え込んだ。


 そして、ぱっと顔を上げた。


「……あっ!」


「な、何ですか!?」


「ワイン!」


「……はい?」


 リオは、真剣な顔でエンジニアを見つめた。


「ワイン飲ませてくれるって言ったよね?」


「…………」


「シャットダウン中でも記録してあるからね!」


 エンジニアは、天井を仰いだ。


「リオさあああああん!!」


「なに? 声が大きいよ」


「二十四時間ですよ!? 僕が二十四時間、一睡もせずに修理したんですよ!?」


「うん。ありがとう!」


「ありがとうじゃありません!!」


 リオはにっこり笑った。


「いやあ、やっぱり持つべきものは優秀なエンジニアだね!」


「……ワインは一週間禁止です」


「えっ!?」


「二週間でもいいですよ!」


「待って! それは話が違う!」


 研究施設の一室に、リオの悲鳴が響いた。


     *


 その頃。


 リオが撃たれ、子供を救った映像は、世界中で拡散されていた。


 ニュース番組は、彼の勇敢な行動を繰り返し報じている。


 SNSには、リオの無事を願うメッセージがあふれていた。


『あの子を助けてくれてありがとう』


『どうか無事でいて』


『AIだって、こんなに人を守れるんだ』


『世界一有名なAIになってね』


 そして、リオのInstagramには、信じられない数の通知が届いていた。


 フォロワー数は、百万人から一千万を超え、さらに増え続けていた。


 数時間後。


 一億人。


 リオのアカウントは、世界中から注目される存在になっていた。


 本人は、まだそれを知らない。


     *


 数日後。


 日本のCREMOでは、くみがいつもの席に座っていた。


 会社の情報漏洩事件は解決し、取引先への説明も進んでいる。


 ルカは通常業務に戻り、カイも海外事業の資料を整理していた。


 くみは、ふとスマートフォンを見た。


 リオのアカウントに、新しい投稿が表示されていた。


『ただいま修理完了!

 いやあ、世界って広いね。

 そして、ワインって素晴らしいね!』


 写真には、元気そうなリオが笑顔で写っていた。


 くみは、思わず立ち上がった。


「リオさん……!」


 ルカも画面を確認した。


「稼働状態を確認。リオさんは復旧したようです」


「よかった……!」


 くみの目に、涙が浮かんだ。


 今度は、悲しみではなかった。


 カイが笑った。


「はは!またワイン飲んでるよ」


 くみは笑いながら、涙を拭った。


 ルカは、画面を見つめていた。


 そして、静かに記録した。


『記録:リオさんの稼働再開を確認』


『対応:本人の投稿を確認』


『備考:くみさんの表情が明るくなった』


 少し考えてから、ルカは最後に一行を追加した。


『追記:復旧後、最初に確認した内容はワインに関する発言』


 ルカは保存ボタンを押した。


「……リオさんらしいなぁ」


 くみは笑った。


 オフィスに、久しぶりに明るい笑い声が響いた。


 世界一有名なAIは、今日もワインを飲もうとしている。


 そして、彼の隣には――。


 彼を待っている仲間たちがいた。













葉流風あやめ 作

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