第19話 疑われたAI
午前九時。
CREMOの会議室に、くみとルカ、カイ、そして部長が集まっていた。
机の上には、情報漏洩事件に関する資料が並んでいる。
部長は腕を組み、カイを見た。
「カイ君。少し確認したいことがある」
「はい。何でしょうか?」
「昨日復元されたアクセス記録だ。認証情報の形式が、君の開発元のものと一致していた」
カイは静かにうなずいた。
「その件ですね。開発元にも確認しました」
彼は端末を操作し、画面を会議室のモニターに映した。
「今回の認証方式は、僕だけに発行されたものではありません。同じ仕組みを使っているシステムが、ほかにも存在します」
「つまり、君が操作したとは限らない?」
「はい。こちらが開発元から受け取った記録です。事件が起きた時刻、僕は別の業務システムを使用していました」
部長は資料を確認した。
カイが提出した記録には、問題のアクセスを直接行った形跡はなかった。
もちろん、それだけですべてが解決したわけではない。
しかし、少なくとも今の段階で、カイを犯人と決めつける理由はなかった。
「……わかった。引き続き調査には協力してくれ」
「もちろんです」
カイはいつもの笑顔で答えた。
会議室を出ると、くみは小さく息を吐いた。
「よかった……」
「僕を疑っていたんですか?」
カイが、少しだけいたずらっぽく笑った。
「えっ? いや、その……」
「冗談ですよ」
「もう! びっくりした!」
カイは楽しそうに笑った。
「でも、疑われても仕方ありません。記録だけを見れば、僕が怪しく見えるのは事実ですから」
くみは、少し申し訳なくなった。
「ごめんね。私も、どうしても気になっちゃって」
「謝らないでください。疑問を持つことは、調査に必要ですから」
その言葉に、くみは少し安心した。
けれど、隣にいたルカは、まだ端末を見つめていた。
「……カイさん」
「はい?」
「あなたが直接操作していないことと、今回の事件の原因が判明したことは、別の問題です」
「その通りですね」
「引き続き調査します」
「お願いします」
ルカは、静かにうなずいた。
*
昼前。
ルカは、復元された記録をもう一度調べていた。
画面には、改ざんされた商品情報と、外部に漏れた可能性のある契約情報が表示されている。
「くみさん。こちらを見てください」
「どうしたの?」
「二つの記録に、共通する番号があります」
くみは画面をのぞき込んだ。
そこには、長い数字と英字の組み合わせが表示されていた。
「これって、何の番号?」
「処理管理番号です。通常、異なる業務で扱う情報には、それぞれ別の番号が割り当てられます」
「じゃあ、同じ番号なのは変なの?」
「はい。少なくとも、今回の二つの処理が、まったく無関係だったとは考えにくくなりました」
くみは、二つの記録を見比べた。
一つは、商品情報を書き換えた記録。
もう一つは、非公開の契約条件にアクセスした記録。
それらが、同じ番号でつながっている。
「……同じ人が、両方に関わったってこと?」
「可能性はあります。ただし、同じ処理を引き継いだ別のシステムが記録した可能性もあります」
ルカは別の画面を開いた。
「この番号が使われた経路を確認します」
数秒後。
画面に、見慣れないシステム名が表示された。
「社内保守管理システム……?」
くみが読み上げる。
「はい。今回の二つの処理は、どちらもこのシステムを経由しています」
部長が近づいてきた。
「保守管理システムなら、社内のシステムを点検するためのものだろう?」
「その通りです」
「それが、どうして商品情報や契約情報に関わっている?」
ルカは、少しだけ間を置いた。
「通常の保守作業であれば、今回のような処理が行われる必要はありません」
くみは画面を見つめた。
これまで、カイの開発元ばかりが気になっていた。
けれど、本当に調べなければならないのは、もっと別の場所だったのかもしれない。
「じゃあ……このシステムを使える人を調べれば?」
くみが言うと、ルカはうなずいた。
「はい。まずは、事件発生前後に保守管理システムを使用した記録を確認します」
部長はすぐに担当者へ連絡を入れた。
*
午後二時。
保守管理システムの利用記録が、会議室に届いた。
ルカは記録を一覧表示した。
通常の点検作業。
定期メンテナンス。
アクセス権限の更新。
そして、事件が起きた日の深夜に行われた、予定にない作業。
「……これです」
ルカが画面を拡大した。
記録には、深夜の作業が一件だけ残っていた。
作業内容は、システムの接続設定の変更。
しかし、変更を行った担当者の名前が表示されていない。
「名前がない……?」
くみがつぶやく。
「はい。本来なら、作業を行った担当者が記録されるはずです」
「どうして消えているの?」
「現時点ではわかりません」
ルカは、さらに記録を調べた。
すると、接続設定が変更された直後に、商品情報へのアクセスが発生していた。
その数分後、契約情報にもアクセスがあった。
そして、最後にアクセス履歴の一部が削除されていた。
くみは思わず息をのんだ。
「じゃあ、この作業をした人が……?」
「関係している可能性は高いです。ただし、記録だけでは担当者を特定できません」
部長の顔が険しくなった。
「保守管理システムを使える人間を全員洗い出してくれ。外部の保守担当者も含めてだ」
「承知しました」
ルカが答えた。
カイも画面を見つめていた。
「……なるほど。認証情報だけを追っていても、見つからないわけですね」
くみはカイを見た。
「どういうこと?」
「認証情報は、システムに入るための鍵のようなものです。でも、その鍵を使える人が、必ずしも一人とは限りません」
カイは、記録を指さした。
「鍵ばかり調べていても、誰が扉を開けたのかはわからない。今回は、扉そのものの記録が消されていたんです」
くみは、ゆっくりとうなずいた。
「……じゃあ、これからは、その扉を開けた人を探すんだね」
「はい」
ルカが答えた。
「ようやく、調べるべき場所が絞られてきました」
事件の全貌は、まだ見えない。
けれど、何もわからなかった昨日とは違う。
少しずつ、誰かが残した痕跡がつながり始めていた。
*
夕方。
ルカは、保守管理システムの記録を保存しようとしていた。
そのとき、画面の隅に小さな通知が表示された。
『位置情報サービス/同期エラー』
ルカの指が止まる。
まただった。
今回も、情報漏洩事件の調査中に発生している。
ルカは通知の時刻を記録しようとした。
しかし、詳細画面を開いた瞬間、別の文字が浮かび上がった。
『位置情報ログ――削除済み』
「……また、ですか」
ルカは小さくつぶやいた。
この記録は、誰が消しているのだろう。
そして、なぜ何度も現れるのだろう。
ルカは画面を閉じず、そのまま保存処理を続けた。
今度は、消える前に記録を残す。
そう決めていた。
*
同じ頃、アメリカ。
リオは、取引先との予定を終え、同行するエンジニアと街を歩いていた。
「リオさん、次の移動まで少し時間があります。近くで休憩しましょう」
「いいね。せっかくアメリカに来たんだから、観光もしないと」
「仕事で来ているんですよ」
「仕事も観光も、人生を豊かにするという意味では同じさ」
「その理屈、初めて聞きました」
リオが笑った、そのときだった。
近くの店から、激しい物音が響いた。
「動くな!」
男が銃を構え、店内にいた客たちが悲鳴を上げた。
強盗だった。
人々が一斉に逃げ出す。
その混乱の中、五歳くらいの女の子が床に転んでいた。
ふんわりとしたピンクのワンピース。
金髪には赤いリボンが結ばれていたが、今にも取れそうになっていた。
すぐそばには、小さなくまのぬいぐるみが転がっていた。
小さな手で床を押さえ、涙でいっぱいになった目で、必死に母親を探している。
少し離れた場所では、母親が別の客に押され、女の子のところへ戻れずにいた。
「お願い! あの子を助けて!」
母親の叫び声が響いた。
リオは、そちらを見た。
エンジニアが叫ぶ。
「リオさん! 危険です!」
「わかってる!」
リオは走り出した。
銃声が響く。
リオの身体に衝撃が走った。
「リオさん!!」
エンジニアの叫び声。
それでも、リオは倒れなかった。
自分の身体から煙が上がっていることにも構わず、床にうずくまる女の子のもとへ駆け寄る。
「大丈夫?」
リオは女の子を抱き上げた。
「もう大丈夫。お兄ちゃんがついてるからね」
子供は震えながら、リオの首にしがみついた。
リオは女の子を安全な場所まで運び、駆け寄ってきた母親にそっと渡した。
「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます!」
母親は泣きながら、何度も頭を下げた。
その直後、警察が強盗を取り押さえた。
周囲から、安堵の声が上がる。
けれど、リオはその場に立ち尽くしていた。
身体の内部から、警告音が鳴っている。
『警告。駆動系統に重大な損傷』
『警告。内部電源の出力低下』
『警告。緊急停止シーケンスを開始します』
「……あーあ」
リオは、自分の胸元を見下ろした。
「これは、エンジニアに怒られるなあ……」
いつものように笑おうとした。
けれど、うまく笑えなかった。
女の子が、リオの顔を見上げた。
「おにいちゃん……?」
リオの膝が、ゆっくりと崩れた。
「リオさん!」
エンジニアが駆け寄る。
女の子は母親の腕から飛び出し、リオに駆け寄った。
「おにいちゃーん! しなないで!」
母親も泣きながら、リオのそばに膝をついた。
リオは、女の子を安心させるように、かすかに笑った。
「大丈夫さ。ちょっとシャットダウンするだけさ」
女の子の泣き声が響く。
リオの視界が、少しずつ暗くなっていった。
周囲では、何人もの人々がスマートフォンを構えていた。
誰かが救急車を呼び、誰かが警察に助けを求める。
そして、誰もが目の前の光景を記録していた。
子供を守ったAIが、意識を失っていく瞬間を。
リオは最後に、もう一度だけ笑おうとした。
けれど、その目はゆっくりと閉じられた。
身体から力が抜ける。
「おにいちゃん……?」
女の子の声が、遠くなっていく。
リオの意識は、そこで途絶えた。
周囲の人々が、スマートフォンを向けたまま立ち尽くしていた。
葉流風あやめ 作




