第14話 完璧なAIの失敗
「……返事が来ませんね」
午後三時。
会議室のスクリーンを見つめながら、カイがつぶやいた。
海外向け通販サービスの立ち上げに向けて、CREMOは取引先との最終調整を進めていた。
商品説明の翻訳も、価格表示も、配送条件の案内も、すべて準備は整っている。
残るのは、先方からの確認だけだった。
「送信してから、どのくらい経った?」
リオが尋ねた。
「二時間四十七分です」
「……ちょっと長いね」
「はい。通常の返信時間と比較しても、遅れています」
カイは端末を操作した。
「送信データに誤りはありません。翻訳の正確性も問題ありません。価格条件、配送条件、契約内容にも不備はありません」
「僕のほうでも確認したけど、問題なかったよ」
リオが腕を組んだ。
「先方の担当者が忙しいだけじゃないかな?」
「その可能性もあります。ただ、返信が遅れている理由を特定できていません」
「ふうん……」
二人のAIが、そろって画面を見つめた。
会議室には、微妙な沈黙が流れていた。
そのとき、資料を整理していたくみが顔を上げた。
「あの……」
「はい、鈴木さん?」
カイがすぐに反応した。
「何か気づいたことがありますか?」
「えっと……ひとつ聞いてもいいですか?」
「もちろんです!」
くみは、スクリーンに表示された英文を指さした。
「この文章って、先方に送ったものですよね?」
「はい。今回の取引条件を明確にするための文章です」
「ここなんですけど……」
くみは少し迷ってから言った。
「ちょっと、強く聞こえたりしませんか?」
リオが首をかしげた。
「強く?」
「はい。内容は間違っていないと思うんです。でも……」
くみは、画面を見つめた。
「なんだか、『こちらの条件に従ってください』って言われているような感じがして」
カイはすぐに文章を再確認した。
「しかし、文法的にも正確ですし、ビジネス文書としても一般的な表現です」
「そうですよね。間違っているわけじゃないんです」
くみは慌てて付け加えた。
「ただ、相手との関係によっては、もう少し柔らかく伝えたほうがいいこともあるのかなって」
「……なるほど」
リオが、静かに口を開いた。
「つまり、文章そのものの正確性ではなく、相手がどう受け取るかという話だね?」
「はい。私も、はっきりとはわからないんですけど……」
くみは少し恥ずかしくなった。
「なんとなく、そう感じました」
カイは黙って画面を見つめていた。
数秒後、端末を操作する。
「過去のメール履歴を再分析します。今回の担当者とのやりとりを比較します」
画面に、過去のメールが次々と表示された。
「……あ」
カイが小さく声を上げた。
「どうしたの?」
リオが尋ねる。
「先方は、これまでのメールで、こちらの提案に対して何度も感謝の言葉を添えています。質問をする際にも、相手への配慮を示す表現を多く使用しています」
「うん」
「それに対して、今回の文章は条件の提示に重点を置きすぎています」
カイは、くみを見た。
「鈴木さんの指摘は妥当かもしれません」
「えっ、本当ですか?」
「はい。文章の正確性と、相手に与える印象は別の評価項目です」
リオは、少しだけ口元を緩めた。
「なるほどね。僕も、販売現場で似たようなことを経験したよ」
カイが振り返る。
「リオさんもですか?」
「もちろん。交渉って、条件を伝えれば終わりじゃないからね」
リオはスクリーンを指さした。
「相手が納得して、気持ちよく仕事を進められることも大事なんだ」
「勉強になります!」
カイは素直に頷いた。
「では、表現を修正しましょう。鈴木さん、もしよければ、どんな言い方が自然だと思うか教えていただけますか?」
「わ、私ですか?」
「はい!」
くみは少し考えた。
「たとえば……こちらの条件を伝える前に、先方が協力してくれていることへのお礼を入れるとか」
「なるほど」
「それから、『こちらの条件に従ってください』という感じじゃなくて、『一緒に確認しながら進めたいです』っていう雰囲気にできたら……」
カイは、くみの言葉を分析データに加えた。
「ありがとうございます。修正案を作成します」
数秒後。
新しい文章がスクリーンに表示された。
リオが確認し、カイが表現を整える。
そして、くみが日本語の文章を最終確認した。
「……これなら、いいと思います!」
くみが笑顔で言った。
「では、送信します!」
カイが操作すると、メールが送信された。
三人は画面を見つめた。
一分。
二分。
五分。
「……まだですね」
カイが言った。
「まあまあ。そんなにすぐ返事が来るとは限らないよ」
リオは余裕たっぷりに言った。
「交渉は焦らないことが大切だからね!」
「リオさん、さっきから三十秒ごとに時計を確認しています」
ルカが、会議室の入口から言った。
「……ルカ! いつからいたの?」
「五分前からです」
「もっと早く声をかけてよ!」
「業務の妨げになると判断しました」
「そういうところだよ!」
くみが吹き出した。
その瞬間だった。
カイの端末が鳴った。
「……返信です!」
カイが画面を開く。
そこには、先方からの丁寧な返信が届いていた。
修正後の文章への感謝と、今後の取引を楽しみにしているという言葉が添えられている。
「よかった……!」
くみは胸をなで下ろした。
カイはメールを読み終えると、くみに向き直った。
「鈴木さん、ありがとうございました!」
「いえ、私は少し気になったことを言っただけで……」
「その『少し気になったこと』が重要だったんです」
カイは真剣な顔で言った。
「僕は大量のデータを分析できます。でも、今回の文章を見て、鈴木さんが感じた違和感を最初から同じように判断できたわけではありません」
「カイさん……」
「もっと学習する必要がありますね!」
カイは、いつもの明るい笑顔に戻った。
「いやあ、CREMOに来てよかったです!」
その隣で、リオが腕を組んだ。
「……まあ、僕も同じことを考えていたけどね」
くみは、そっとリオを見た。
「リオさん、最初は問題ないって言ってましたよね?」
「……」
「それに、私が言う前に修正案を出したわけでも……」
「くみさん」
リオは、爽やかな笑顔を浮かべた。
「人間には、言わなくてもわかることがあるんだよ」
「そうなんですか?」
「そう!」
「……初めて聞きました」
「僕も今、思いついたからね!」
「ええっ!?」
会議室に、笑い声が響いた。
*
退勤前。
くみがデスクで資料を整理していると、ルカが隣に立った。
「鈴木さん」
「はい?」
「本日の業務について、ひとつ確認したいことがあります」
「なんですか?」
「文章の正確性が保たれていても、相手が不快に感じる場合があるのですね」
くみは少し考えた。
「うん。言葉って、難しいよね」
「では、正しい言葉を使うことと、相手に配慮することは、別の能力なのでしょうか」
「そうかもしれないね」
くみは笑った。
「でも、両方できたら、きっといいんじゃないかな」
ルカは、しばらく黙っていた。
「……記録します」
そう言って、端末を操作した。
くみは、ルカの画面をのぞき込もうとはしなかった。
ルカにはルカのやり方がある。
それを、少しずつ理解できるようになっていた。
*
その夜。
ルカは自宅で、ぷーちゃんの様子を確認していた。
カメラの映像には、いつもどおり、丸くなって眠るぷーちゃんが映っている。
「ぷーちゃん。おやすみなさい」
ルカは小さくつぶやいた。
返事はない。
当然だった。
ぷーちゃんは眠っている。
ルカはカメラの映像を閉じ、業務端末の同期状態を確認した。
そのとき。
画面の隅に、短い通知が表示された。
『位置情報サービス/同期エラー』
ルカの指が止まった。
ほんの数秒。
次の瞬間には、通知は消えていた。
ルカは端末を操作した。
エラー履歴を確認する。
異常は見つからない。
「……問題ありません」
誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。
ルカは端末を閉じた。
そして、いつものように、ぷーちゃんの寝顔を見つめた。
静かな夜だった。
葉流風あやめ 作




