トンネルと二体の道祖神
土曜日。
駅に集合した俺たちは、ローカルバスに揺られて目的のトンネルに最も近い停留所で降りた。
ここから先は、しばらく険しい山道を歩く必要がある。
「では、行こうか」
バスを降りるなり、佐藤は迷いのない足取りですたすたと坂道を登り始めた。あいつは異常に運動能力がいい。まるで平地でも歩くような軽やかさで、またたく間に俺たちを引き離していく。
一方、烏丸さんはというと――。
気がつけば、いつも俺たちのずっと後ろをトボトボと歩いていた。
俺が立ち止まる。
しばらくして、烏丸さんが追いつく。
俺が再び歩き出す。
しばらくすると、また大きく距離が開く。
……バス停を出てから、ずっとこの繰り返しだった。
烏丸さんは小柄で歩幅が短い上に、見るからに運動が苦手だ。だんだんと遅れていく彼女の後ろ姿を見ていると、正直、烏丸さんを小脇に抱えて俺が運んでやりたい衝動に駆られる。
「烏丸さん、大丈夫?」
俺が足を止めて声をかけると、追いついた烏丸さんは真っ青な顔でコクコクと頷いた。
「だ、だっ大丈夫、です……っ」
どう見ても大丈夫じゃない。
俺は道脇の緊急停車スペースに、古びた木製のベンチが設置されているのを見つけ、そちらを指さした。
「ちょっと休もう。佐藤には先に行ってもらえばいいから」
「でも、佐藤くんに、迷惑が……」
「いいから。ほら、座って」
俺は半ば強引に烏丸さんを促し、二人でベンチに腰を下ろした。
はるか前方を見上げると、佐藤の背中はもう米粒ほどの大きさになっていた。あいつ、一度たりとも後ろを振り返りやしない。少しくらい仲間を気遣うという発想はないのか。あのオカルトジャンキーめ。
「ぷはぁ……」
隣で、烏丸さんが小さく息を吐きながらリュックを下ろした。
そして、中からパステルカラーのストロー付き水筒を取り出す。
カチッと蓋を開け、ストローに口をつける。
ちゅう、ちゅう。
小さな両手でしっかりと水筒を抱え、真剣な顔で中身を飲んでいる。ひたすらにちゅうちゅうと吸っている。
どう見てもハムスターだった。ひまわりの種を差し出したら、そのまま両手で受け取って頬張るんじゃないだろうか。
いや、今はそんな緊迫感のないことを考えている場合じゃない。顔色はまだ悪いし、ちゃんと休ませないと。
そう自分に言い聞かせつつも、俺の視線は水筒をちゅうちゅう吸う烏丸さんからどうしても離れなかった。
正直、怪異の調査なんてどうでもいい。
このまま、もう少しだけ、この小さい生き物を観察していたい――。
しばらく休んで烏丸さんの顔色が戻ったのを見届け、俺たちは再びトンネルへと歩き出した。
やがて坂を登りきると、鬱蒼とした木々の合間に、目的のコンクリート製のトンネルが姿を現した。
その入口の前に、先に行ったはずの佐藤がぽつんと立っていた。
(……あれ?)
てっきり、とっくに中に突撃して調査を始めているものとばかり思っていたのに。
不思議に思いながら近づくと、佐藤は俺たちの到着に気づく風でもなく、ただじっと足元の一点に視線を落としていた。
その視線の先にあったのは、古びた石造りの道祖神だった。
いや――正確には、道祖神だった『石の塊』だ。
首のあたりから上が斜めに叩き割られ、地面に転がっている。切り口は新しく、風化して崩れたような形跡はない。
「……無理だな」
ぽつりと、佐藤が呟いた。
「何が?」
「この状態で中に入るのは危険すぎる」
佐藤は感情の起伏がない声で淡々と答えた。
「自然に壊れたんじゃない。何者かによって意図的に破壊されている。……よく、これだけのことで今までただの『噂』程度で済んでいたものだ」
「噂だけ?」
俺も佐藤の視線を追い、暗いトンネルの奥へと目を向ける。トンネルの入り口にすら多くの怪異が見えた。這い出てくる空気冴えもひどく冷たい。
「このトンネルには、出口側にもう一体の道祖神があるんだ」
佐藤は壊れた石像を見下ろしたまま、解説を続けた。
「本来は、その二体の道祖神がトンネルの両端を守ることで、結界のような役割を果たしていると聞いている。おそらく、向こう側の道祖神が今も機能しているおかげで、事態がこの程度に抑えられているのだと思う」
「……つまり、こっちの入り口側が壊されたせいで、怪異が湧き始めたってことか?」
「その可能性が高いね」
佐藤は再び、暗いトンネルの奥を見つめた。
「行政に掛け合ってもらおう。事情を説明すれば、修復にはすぐに対応してくれるだろう」
「行政って……お前、そんなコネあんの?」
意外な単語に驚く俺を無視して、佐藤は話をまとめる。
「じゃあ、あの怪異はどうするんだ? 祓うのか?」
「祓っても無意味だ」
佐藤は即答した。
「この場所に集まっている怪異を祓ったところで、道祖神を修復しないままなら、すぐにまた新しいものが集まってくるだろう」
「……なるほど」
つまり、根本的な原因を直さない限り、俺たちがどんだけ頑張って除霊しても、ただのいたちごっこになるわけだ。
専門家がそう言うなら、専門家が動くべきだし、俺たち素人がこれ以上ここに残る理由はない。
なら、やるべきことは決まっている。
「よし! じゃあ、とりあえず駅の方まで戻って、昼飯でも食って帰ろうぜ」
俺の提案に、佐藤は本気で呆れたような目を向けてきた。
「……君は本当に、危機感というものがないね」
「いや、危機感がないわけじゃないって。危険な場所にわざわざ突っ込まずに済んだことを、心の底から喜んでるだけだよ」
そんな俺たちのやり取りを、烏丸さんは「はふぅ」と安心したようなため息をつきながら見守っていた。




