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お年玉袋と詐欺師の笑顔

数時間後、夜の帳がすっかり下りた警察署のロビー。


釈放手続きを終えた俺は、身元引受人としてパイプ椅子に腰掛けていた佐藤を振り返り、深くため息をついた。


「ふう、助かったよ。佐藤」


すると佐藤は、すっと眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、さも最初から頼れる相棒だったかのようなプロの顔で言った。


「いや、なんてことないよ。まあ、うちの家系は警察にも結構協力しているしね」


(――めちゃくちゃ頼りになる相棒風の口調だが、そもそもお前がギャルを怖がらなければ、俺が痴漢としてパトカーに乗る必要はなかったけどね。まあ、助かったことには間違いないから、突っ込まないでおくが)


その後、疲れ切った身体を引きずりながら、なんとか我が家へと戻ってきた。

だが、玄関の前に立った瞬間、俺は凍りついた。


「……は?」


玄関の鍵は厳重に閉まっており、家中の電気はすべて消されていた。時計を見ると、まだ二十二時。いくら何でも寝る時間じゃない。

嫌な予感がしながらも、俺は玄関のインターホンを押した。


『ピンポーン』


直後、スピーカーから『ゴト、ゴトッ』と機械音が鳴り、繋がったかと思った次の瞬間、『ガチャッ』と冷酷極まりない音が響いて通話が切られた。

居留守ですらない。明確な、妹からの「絶縁」の意思表示だった。


家に入れない俺は、途方に暮れて隣にいる佐藤を振り返る。

佐藤は死んだ魚のような目で俺を見つめ、淡々と提案してきた。


「……一ノ瀬君、僕の家に来るかい?」


「……たのむ」


さすがに心が折れた俺は、素直にその提案を受け入れた。

佐藤の家は同じ地区にあるが、ちょうど我が家とは真反対に位置している。夜の道を二人、結構な距離を歩くことになった。

静まり返った道中、沈黙に耐えかねたのか、佐藤がぽつりと話しかけてくる。


「君の妹さん怖いね。でも、昔は可愛いところもあったんじゃない?」


「ああ、そうだな。アイツの笑顔を見たのは小六の時が最後だが」


「ほう。興味深いね。聞かせてもらえるかい」


「ああ。俺が中学に上がった時、お年玉が倍額に上がったんだ。日和は元のままでさ。その時、アイツが初めて俺に甘えてきたんだよ。『お年玉袋を変えてほしい』って言うから、取り換えてやった。あの時は満面の笑顔だったな。……それが最後だ」


しみじみと語る俺の言葉を聞き終え、佐藤はピシャリと言い放った。


「……一ノ瀬君、それは『甘えてきた』のではなく、詐欺師の笑顔だよ」


「ああ。分かってる。分かってるんだ」


そんな涙ぐましい搾取の歴史を話しながら歩いていた、その時だった。


突如、前方の電柱の陰から、じっとりとした腐臭とともに、泥をこねくり回したような異形の怪異が、ヌッと這い出てきた。

あまりの禍々しさに俺が息を呑んだ瞬間、隣の佐藤が眼鏡の奥の目を光らせる。

その瞳には、恐怖も高揚感もなく、深い無関心と冷徹さだけが宿っていた。


「ほう。結構強い怪異だね。まあ、僕に任せて」


佐藤は懐から数枚の呪符を取り出すと、まるでクラシックの指揮者のように、流れるような優雅さで印を結んだ。


「――臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」


淀みのない滑らかな動作で九字の呪文が紡がれる。

放たれた呪符が怪異に接触した直後、爆発的な聖なる閃光が夜闇を切り裂いた。


巨大な怪異は悲鳴をあげる暇さえなく、一瞬で光の塵へと消滅した。


圧倒的な、本物の霊能者の力。

何事もなかったかのように制服の袖を払う佐藤を見て、俺は思わず口を開いていた。


「お前はスゴイよ。大した陰陽師だ。だが――弱点がデカすぎる」


しかし、佐藤は至極真面目な顔で、徹頭徹尾、合理主義者としての正論を返してきた。


「一ノ瀬君、それは違うよ。怪異は法に守られていない。だが、ギャルは法の下では最強なんだ。接触を回避するのは、きわめて合理的なんだよ」


「……」


ギャルは、法律を超越した怪異よりも恐ろしい現代社会の最強兵器。


パトカーで連行された実績を持つ俺には、その言葉に反論する気力は残っていなかった。


「さあ、夜道は危険だから急ごうか」


歩みを再開した歪な最強霊能者の後ろを、俺はトボトボとついていった。


俺は一晩、佐藤の家に泊まった。

彼の家は、庭に立派な鳥居が鎮座している以外は、いたって普通の民家だった。


◇


そして、翌朝。

俺は佐藤と一緒に高校へ向かうことにした。

だが、校門へと続くいつもの通学路を進むにつれ、周囲の空気が明らかにおかしいことに気づく。道を行く同じ学校の女子たちが、俺の顔を見るなり、まるで凶悪犯でも見るような目で引きつり、あからさまに距離を取るのだ。


いったい何なんだと俺が首を傾げていると、突然、隣を歩いていた佐藤が、至極真面目な顔で声をかけてきた。


「ああ、申し訳ない。僕は級長としての仕事があったのを忘れていた。先に行かせてもらうよ」


あまりにも唐突な申し出だったが、まあそんなこともあるだろうと、俺は「ああ、お疲れ」と言って佐藤を見送った。


一人になってしばらく歩いていると、クラスメイトで俺の隣の席の高橋が前を歩いているのが見えた。

少しホッとした俺は、いつもの調子で彼女の肩をポンと叩き、爽やかに挨拶を交わそうとした。


「おはよう、高橋!」


その瞬間、高橋は一瞬で顔面を蒼白に染め、「キィィヤァァァー!」と悲鳴を上げて、突風のような速さで逃げ去ってしまった。


……いや、俺が何をした?


あまりの理不尽さに立ち尽くしていると、今度はすぐ横を、俺を最初から霊体か何かだと思っているかのように、完全に気配を消してスルーしていく男がいた。

俺の前の席の前田だ。いつも漫画の貸し借りをしている、クラスでは一番仲のいい男だ。


「おい前田。俺だよ、気がつかなかったのか?」


声をかけると、前田はピクッと肩を震わせて立ち止まった。そして、一切目を合わせないまま、スッと無言で自分のスマホ画面を俺の目の前に突き出してきた。


そこに映っていたのは、ギャル特有のフォントと絵文字でデコレーションされた、目を疑うような大拡散テキストだった。


━━━━━━━━━━━━━━━━


【超拡散希望!!マジで回して!!(怒)(涙)】


チア部にガチの覗き魔が出ましたーーー!!!

日和のオタク兄貴が、うちらがチア服に着替えてる最中にドアぶち破って、

「警察がなんぼのもんじゃあァァアア!!」

って叫びながら空中ダイブしてきてユナが胸揉まれました(激おこ)

警察に連行されたのに、なぜかもう釈放されて明日普通に学校来るらしいです……。

マジで全女子気をつけて!!! 視界に入れただけで妊娠するレベルで無理無理無理!!!(白目)


━━━━━━━━━━━━━━━━


「……」


前田のスマホ画面を見つめたまま、俺の視界は音を立てて真っ暗になった。

昨日、佐藤が言っていたことは、こういうことだったのだと、いま骨の髄まで理解した。


怪異は法に守られていない。だから九字切り一発で灰にできる。

だが、ギャルは法とネットのカーストの頂点に君臨する、現代社会の最強兵器なのだ。

あの時、佐藤が全力で接触を回避したのは、きわめて合理的な行動だったのだ。


前田は何も言わずにスマホを引っ込めると、憐れみの目を一瞬だけ俺に向け、そのまま雑踏へと消えていった。

先行した佐藤のあの「級長の仕事」というのも、ただの緊急避難に違いない。


日和のギャル軍団の一人の命を救ったはずの俺は、校門をくぐる前から、すでにこの学校の『最も近づいてはいけない大罪人』として、完全に詰んでいた。


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