「ゴミじゃん」の一言で片付く呪物
絵に描いたような行楽びよりの休日。
青空が広がる自然公園は、家族連れやランナー、熱心にカメラを構える老人たちで賑わっていた。
そんなのどかな空気の中、佐藤は一人、周囲の視線を避けるようにベンチの端で神経を尖らせていた。
「……やっぱり、このあたりか」
手元のスマートフォンには、ごく一部の人間しかアクセスできないオカルト掲示板の書き込みが表示されている。『最近、緑地公園の北側で奇妙なノイズが走る』『誰もいない茂みから足音が聞こえる』。
佐藤が霊視を試みると、確かにこの周辺の空気がわずかに淀み、不自然な寒気が足元から這い上がってくるのが分かった。一般の散歩客は気づいていないが、ここには確実に「何か」がいる。
異常の正体を探るべく、佐藤が立ち上がろうとしたその時だった。
「おっしゃー!コテツ、今日も爆走かますっしょ!」
公園の入り口から、周囲の穏やかな景観を文字通り塗り替えるような、やたらとテンションの高い声が響いた。
日和が、小型犬のリードを引いて歩いてくる。
「あっ……!」
佐藤は心臓が跳ね上がるのを感じ、反射的に近くの太いクヌギの木の陰へと身を隠した。
(最悪だ……。なんでこんなところにボスギャルが……!)
「つか、コテツまじ歩くの遅くね?ウチの歩調に合わせてくんないと、ウチ連れ添えないんだけど?」
日和が話しかけている相手は、リードの先でトコトコと短い足を動かしている柴犬——コテツだった。コテツは日和の文句などどこ吹く風で、前だけを見つめてトコトコと歩いている。
二人はそのまま、佐藤が隠れるクヌギの木の前を通り過ぎ、公園の奥へと続く小道を歩いていく。
「ふぅ……」
佐藤は大きく胸をなで下ろした。
危ないところだった。これでようやく、本来の目的である怪異の調査に戻ることができる。
その時だった。
「ん? コテツ、どしたん?」
前方から日和の声が聞こえた。
見れば、日和とコテツが、道端のうっそうと茂る不自然な茂みの前でピタリと足を止めていた。
そこは、佐藤が先ほどから「最も強い霊的反応」を感知していた、まさにその場所だった。
日和が立ち止まったその場所を視認した瞬間、佐藤の全身の毛穴が逆立った。
(しまっ……そこは……!)
うっそうとした茂みの根元、湿った土に半ば埋もれるようにして、「それ」はあった。
一見すると、泥に汚れた古びた子供用の人形か、あるいは奇妙な形に削りだされた歪な木片にしか見えない。
だが、佐藤の目には全く違うものとして映っていた。
人形の周囲の空間だけが、まるで油を流したようにドロドロと歪んでいる。そこから放たれているのは、濃厚な人間の悪意を煮詰めたような、ドス黒い負の念。まごうことなき、本物の「呪物」だった。
(普通の人間なら、近づくだけで吐き気や目眩がするレベルだぞ……)
佐藤はクヌギの木の陰で息を潜め、全身を強張らせる。
早くそこを離れてくれ、と心の中で激しく念じた。
しかし、そんな佐藤の祈りは、最凶ギャルには一切通じない。
「ん? 何これ。ウケる、なんか落ちてんだけど」
日和は恐怖を感じるどころか、興味深そうに目を輝かせてしゃがみ込んだ。
そして、ためらいなく指先で、その禍々しい呪物をひょいとつまみ上げたのだ。
(おい、やめろ直接触るな――!)
佐藤はあまりの暴挙に、心の中で絶叫した。
日和は泥まみれの呪物を目の高さまで持ち上げると、至近距離でまじまじと観察し、すぐに興味を失ったように眉をひそめた。
「うわ、よく見たら超きったね。っていうか何これ、人形? 誰かの手作り? ゴミじゃん。ちゃんとゴミ箱捨てなよ、今の小学生」
日和のその言葉に反応したのか、足元のコテツが「ふんっ」と短く鼻を鳴らす。
「あ、危な――」
佐藤は思わず木の陰から飛び出し、声を上げそうになった。
ギャルが嫌いだとか言っている場合ではない。このままだと、日和が呪い殺されるか、あるいは精神を汚染されてしまう。止めなければ。そう決意し、佐藤が地を蹴ろうとした。
――そのとき、日和の手の中にあった呪物が、カチリ、と不自然な音を立てた。
泥にまみれた人形の顔。その描かれたはずの目が、日和の顔を正面から見据えた。
ゾワリと、公園全体の温度が数度下がったような錯覚。
呪物に潜む本物の「怪異」が、ついに目を覚まし、明確な敵意を持って動き出した。
佐藤の視界が、一瞬で最悪のビジョンに染まった。
日和がつまみ上げた人形からドス黒い瘴気が噴き出したのだ。
(くそっ、間に合え――!)
佐藤の目には、その黒ずんだ怪異が、日和の手と手首をすり抜け、腕から肩、胴体、首元へと広がっていくのが見えた。やがて黒い影は彼女の全身を覆い、足元のコテツの体さえも覆おうとする。
普通の人間なら、これだけで無事では済まない。
「……え?」
しかし、日和は、まったく、何一つとして変わっていなかった。
顔色ひとつ変えない。嫌悪感も、恐怖も、鳥肌の一粒すら見せない。
全身を濃厚な死の呪いに包まれ、顔のすぐ横で怪異が怨査の声を上げているというのに、彼女はただ、うっとうしそうに指先で呪物をつまんで眺めているだけだった。
「きったな」
日和はそう吐き捨てると、手首を軽くスナップさせた。
ポイ、と。
怨念が詰まった呪物は、数メートル先にある公園のプラスチック製ゴミ箱へと、綺麗な放物線を描いて吸い込まれていった。
カン、と虚しい音が響く。
足元のコテツにいたっては、「そろそろ歩く?」とでも言うように、ちぎれんばかりに尻尾をブンブンと振っている。
「なっ、なんだ、これは……」
佐藤はクヌギの木の陰で、口を半開きにしたまま完全に固まっていた。
日和は何事もなかったかのように、手元のリードを軽く引く。
「コテツ、行こー」
「ワン!」
コテツは元気よく一言だけ吠えると、何の影響も受けていない足取りで、日和のすぐ横をトコトコと歩き出す。
日和とコテツはそのまま、のどかな木漏れ日の中を、公園の奥へと向かって歩いていった。
一方佐藤は、未だにそこから一歩も動くことができずにいた。全身の緊張が抜けず、額の汗を拭うことすら忘れている。
(……一ノ瀬君なら、絶対に近づかない)
当然だ。見えているからこそ、危険だと分かる。佐藤自身だって、慎重に対処する。
それなのに、あのギャルは。
「ゴミじゃん」の一言で、呪物をゴミ箱に放り込んでしまった。
「いや、今は考察してる場合じゃない。あっちが先だ……」
佐藤は視線を、日和たちが去ったあとのゴミ箱へと向けた。
プラスチック製のゴミ箱からは、今もなお怪異の怨念が、ドロドロと黒い煙となって溢れ出している。
遠ざかっていく日和と、その後ろをトコトコとついていく白い尾っぽが、公園の緑の向こうに完全に消え去った。
それを見届けてから、佐藤はようやくクヌギの木の陰から這い出し、大きく息を吐いた。緊張で強張っていた身体をほぐしながら、足早に問題のゴミ箱へと歩み寄る。
「……さて、片付けを始めるとするか」
ゴミ箱の中を覗き込むと、そこには他の散歩客が捨てたであろうペットボトルや空き缶に混ざって、先ほどの呪物が転がっていた。
佐藤は懐から、数枚の呪符を取り出した。
指先で精神を集中させ、呪文を唱えながら、慎重に呪符で呪物を包み込んでいく。
ピシ、と小さな火花のような光が走り、怪異のドス黒い気配が、佐藤の紡ぐ霊力によって完全に封じ込められた。
念のため、特製の密封袋に呪物を回収し、リュックの奥へと仕舞い込む。
ドロドロと淀んでいた不自然な寒気が霧散し、公園本来の、のどかな木漏れ日と小鳥のさえずりが戻ってくる。怪異の痕跡は、これでもうどこにも残っていない。
これで、この場所の怪異騒動は完全に一件落着だ。
しかし――。
「……一ノ瀬日和。いったい、何なんだ、あの生き物は……」
佐藤は青空を見上げ、深く、深いため息をついた。
◇
数日後。放課後の部室で、佐藤はパイプ椅子に深く腰掛け、手元のお茶をすすっていた。
その対面では、和哉が雑誌を熱心にめくっている。
「……なぁ、一ノ瀬君」
佐藤は湯呑みを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「ん? 佐藤? どうした、藪から棒に」
「……いや。何でもない」
佐藤は湯呑みを傾けた。
あの光景を、どう説明すればいいのか分からない。
少なくとも今は、黙っておくことにした。




