烏丸の夏休み 〜少しだけ広がった世界〜
じっとりと汗ばむ、夏休みの昼下がり。
自室のベッドに寝転がって天井をぼんやりと眺めていた私のスマホが、短い通知音を鳴らした。
画面を発光させたのは、クラスの女子全員が参加しているグループLINEだった。
『明日、暇な人いる? 女子だけで遊ばない?』
クラスの女子からの、気軽な呼びかけだった。
すぐに別の女子から『いく!』『ひまー!』とスタンプ混じりの返信が連なっていく。トントン拍子に話が進み、場所は駅前のショッピングセンターに決まったようだった。
「……楽しそう」
ぽつりと、声が漏れた。
行きたい。その輪に混ざって、みんなとおしゃべりをしてみたい。
けれど、メッセージを入力しようとした私の指は、画面の少し上でピタリと止まった。
――私が、行っていいのだろうか。
普段の学校生活を思い返す。みんなが盛り上がっているところに、私が「参加したい」なんて言ったら、空気を冷ましてしまわないだろうか。
既読の数はどんどん増えていく。スマホの画面を見つめたまま、心臓がトクトクと音を立てていた。
迷って、躊躇して、一度打った文字を消して。
それでも、せっかくの夏休みを部屋で過ごすだけの毎日に、少しだけ抗いたかった。
「……よし」
逃げ出さないように息を止め、震える指先で文字を打ち込む。
『私も、参加していいですか?』
送信ボタンを押した瞬間、心臓が跳ねた。スマートフォンを裏返してベッドに放り出し、ぎゅっと目を瞑る。冷房の風が、急に冷たく感じられた。
数秒が、まるで数時間のように長く感じられた。
恐る恐るスマホを手に取り、画面を覗き込む。
『もちろん!』
『烏丸さんも来てー!みんなで遊ぼ!』
そこにあったのは、ポップなスタンプと、私の心配を吹き飛ばすような温かい歓迎の言葉だった。
「よかった……」
胸の奥に溜まっていた息を、ほうっと吐き出す。
受け入れてもらえた安心感が広がるのと同時に、明日への緊張で、今度は胃のあたりが少しだけキュッと締め付けられた。
◇
約束の当日。
ショッピングセンターの1階にある喫茶店は、夏休み中の学生や買い物客で賑わっていた。
ガラス越しに店内を覗くと、奥のテーブル席にクラスの女子たちの姿が見えた。全部で5人。みんな私服姿が新鮮で、それだけで少し気後れしてしまう。
入り口で一度深呼吸をしてから、私は遠慮がちにその席へと近づいていった。
「あの、お待たせ……」
声をかけようとした瞬間、クラスの女子とバチリと目が合った。
「あっ、烏丸さん!」
「本当だ、来てくれたんだ!うれしいー!」
「ほらほら、こっち側の席空いてるよ。座って座って!」
飛び込んできたのは、予想を遥かに超えた歓迎の声だった。
私は思わずパチパチと目を瞬かせ、差し出された椅子を交互に見つめてしまった。歓迎されるとしても、もっと「あ、烏丸さんも来たんだね」くらいのテンションだと思っていたのだ。
「あ、ありがとう……。お邪魔します」
恐縮しながら席につくと、すぐに冷たいお水が運ばれてきた。
会話のテーマは、夏休みの宿題の進捗から、最近買ったコスメ、クラスの男子のちょっとした噂話まで、目まぐるしく変わっていく。
最初は頷くだけの聞き役だったけれど、みんなのテンポの良いおしゃべりを見ているうちに、少しずつ肩の力が抜けていくのがわかった。
「そういえば、烏丸さんって夏休み何してた?」
ふいに、隣の席の女子から自然なトーンで水を向けられた。
「えっ、あ、うん。最近は、お気に入りの作家さんの新刊を読んでた……」
「へえ!なんて本?私あんまり読まないから気になる!」
身を乗り出して聞いてくれる姿に、胸の奥が少し熱くなる。
「えっとね、ミステリー小説なんだけど……。普段はちょっと怖い展開が多い作家さんなのに、今回はすごく切ない要素があって。最後の一行で、泣いちゃって……」
気づけば、自分でも驚くほどすらすらと言葉が溢れていた。
「うわ、面白そう。今度貸してよ!」
「私も読みたい!」
みんながごく普通に笑い合い、ごく普通におしゃべりをしている。
――その輪のなかに、私も確かに交ざっている。
冷たいストロベリーソーダをストローですすりながら、私は心の中で、小さく、だけど深く噛み締めていた。
喫茶店を出た私たちは、そのままフロアの奥にあるカジュアルなアパレルショップへと向かった。
店内には夏物セールのポップが並び、カラフルなハンガーがずらりと並んでいる。女子たちは「これ可愛くない!?」と声を弾ませながら、それぞれ思い思いのラックへと散っていった。
私はといえば、並べられたトレンドの服を前に、どこに視線を落ち着かせていいか分からず、少し離れたところからみんなの背中を眺めていた。
「あ、ねえねえ!烏丸さん、これ着てみない?」
ふいに、ワンピースのコーナーから声が上がった。
振り返ると、一人の女子が淡いパステルカラーのノースリーブワンピースを掲げて、目を輝かせている。
「え、私……?」
「そう!烏丸さんって小柄だから、こういうの絶対似合うと思うんだよね。サイズもぴったりだし!」
その声をきっかけに、散らばっていた女子たちが磁石のように私の周りへと集まってきた。
「本当だ、可愛い!あ、だったらこのシアーカーディガンも羽織ってみてほしい!」
「こっちのサロペットも絶対似合うって!烏丸さん、肌が白いからこの色が映えるよ!」
気づけば、私の腕の中には次々と服が積み重ねられていく。
完全に「烏丸コーディネート大会」が始まってしまっていた。
「……あの、えっと、そんなにたくさんは着られない、かも……」
両手いっぱいの布地を抱えながら、私は目を泳がせて戸惑いの声を漏らした。
一瞬、おとなしい子を揶揄って面白がっているのだろうか、という不安が頭をよぎる。
けれど、みんなの顔を覗き込んでも、そこには悪意やからかいのトーンは微塵もなかった。
ただ純粋に、私に自分の好きな服を着せてみたいという、キラキラとした無邪気な楽しさだけが溢れている。
「お願い、試着だけでも見てみたいの!」
「ね、試着室あっちだから!待ってるからね!」
背中を優しく押され、私は断る言葉を見つけられないまま、流されるようにフィッティングルームのカーテンの向こうへと足を踏み入れた。
試着室のカーテンを恐る恐る開けるたびに、外で待つ女子たちからパッと華やかな歓声が上がった。
「わあ、やっぱり! めちゃくちゃ可愛い!」
「その色、烏丸さんの雰囲気にすごく似合ってる!」
「いつも制服だから新鮮だけど、普段と全然雰囲気違うね!」
鏡に映る私は、見慣れないパステルカラーのワンピースを着ていた。
みんなのストレートな褒め言葉が気恥ずかしくて、私は落ち着かない手つきでスカートの裾を整えたり、カーディガンの袖をきゅっと握ったりしてしまう。
「あ、ありがとう……。でも、なんだか私じゃないみたい」
はにかみながらそう言うと、「それがいいんじゃん!」とみんなが笑った。
最初は勧められるがまま、言われた通りに試着室を往復していた。けれど、カーテンの向こうで次の服に着替えるとき、私は無意識のうちに、じっくりと鏡の前の自分を見つめるようになっていた。
(あ、私、こういう形のお洋服も変じゃないのかも……)
ほんの少しの自信が、胸の奥に芽生える。
そして、何着目かの試着を終えて、ハンガーの並ぶラックへ服を返しに戻ったときだった。ふと、一枚のブラウスが目に留まった。
それは、透け感のある黒いレースがあしらわれた、少し大人っぽいデザインのものだった。
今までの自分なら、「私には似合わない」「地味な私が着たら浮いてしまう」と、視界に入れることすら避けていたような、そんなお洒落な服。
でも、今は不思議と、怖さよりも「着てみたい」という気持ちが勝っていた。
私はそのブラウスを手に取ると、みんなの方を振り返って、小さく声をかけた。
「……あの、これも、着てみていいですか?」
それは、誰かに促されたわけでも、自分を変えようと大層な決意をしたわけでもない。ただ、この楽しい空気のなかで、自然と口からこぼれ落ちた一言だった。
「もちろん!!」
「えっ、烏丸さんそれ選ぶの、センス最高なんだけど!絶対可愛い、早く着てみて!」
弾んだ女子たちの声に背中を押されながら、私はさっきよりもずっと軽い足取りで、もう一度試着室のカーテンを引いた。
試着室に向かう前、ふと値札に目を落とした。
……私のお小遣いでは、とても買えそうにない。
それでも、一度着てみたかった。私はそのブラウスを手に、試着室へと向かった。
結局、あの大人っぽいブラウスは、今回は買わずに見送ることにした。
みんなはそれぞれお気に入りのショッパーを手に持っている。私は何も買わなかったけれど、不思議と寂しさや引け目は一切なかった。みんなで服を選んで、たくさん笑い合った記憶だけで、胸がいっぱいだったからだ。
「あ、ねえねえ! せっかくだから、みんなで写真撮ろうよ!」
ショップを出てすぐの開けた通路で、一人の女子がスマートフォンを取り出した。
画面がインカメラに切り替わり、みんなが自然と肩を寄せ合う。私は一瞬、自分がどこに立てばいいか分からず、少し後ろに下がってカメラの枠外へとはみ出しそうになってしまった。
「烏丸さん、こっちこっち! 真ん中おいでよ!」
すぐに気づいた女子が、私の腕を優しく引っ張って、みんなの真ん中へと招き入れてくれる。
右からも左からも、クラスの女子たちの体温が伝わってくる。ふわりと、シャンプーや柔軟剤の良い香りが鼻をくすぐった。
「いくよー、はい、チーズ!」
カシャ、と軽快なシャッター音が響く。
スマートフォンの画面に映った私は、やっぱり少し緊張した顔をしていたけれど、それでも自然に目を細めて笑っていた。
「あ、めっちゃいい感じ!これ、後でクラスの女子LINEに送るね!」
弾んだ声と一緒に、スマートフォンの画面を見せ合ってみんなが笑う。
その賑やかな声を聞きながら、私はそっと自分の胸に手を当てた。
ショッピングセンターの外に出ると、夕方の風が少しだけ涼しく感じられた。空は綺麗な茜色から、ゆっくりと藍色へと溶け始めている。
それぞれの帰る方向に合わせて、駅の改札やバス停へと向かう途中で、自然と解散の時間がやってきた。
「あー、今日は本当に楽しかったね!」
「ね!またみんなで遊ぼうねー!」
「烏丸さんも、また絶対来てね!」
手を振りながら笑顔を向けてくれるみんなに、私は少し照れくささを感じながらも、しっかりと彼女たちの目を見て答えた。
「……はい。また、誘ってください」
その言葉は、自分でも驚くほど自然に口から出ていた。
みんなと別れ、一人で電車に揺られている間も、胸の奥の温かさは消えないままだった。
帰宅して自分の部屋に戻り、ベッドに腰を下ろす。
ポケットの中で、スマートフォンが何度も短く震えた。画面を開くと、グループLINEにはさっき撮った写真が何枚も送られてきており、早くも「次はカラオケ行かない?」「あそこのカフェも気になる!」と、次の話題で盛り上がっている。
私は、みんなの真ん中で写っている自分の写真を、もう一度指で広げて見返した。
ピースサインをするみんなの隣で、私はやっぱり少しだけ肩が強張っていて、表情もどこか緊張している。お洒落なみんなに比べたら、私服だって少し地味だったかもしれない。
けれど、以前の私なら、そもそもこんな集まりに自分が参加すること自体、想像すらしていなかった。
(でも……今日は本当に楽しかったな)
次があるなら。もしまた誘ってもらえるなら、その時もまた、みんなの輪の中に行ってみたい。
騒がしく流れていくタイムラインの末尾に、私はそっとメッセージを打ち込んだ。
『……私も、また行きたいです』
送信ボタンを押すと、すぐに誰かから既読がつく。
今度はスマートフォンを裏返すこともなく、そっと机の上に置いた。
特別なことは、何もなかったけど――私にとっては、間違いなく、とてもいい一日だった。




