俺の部屋が他校の女子高生の観光名所になった
セミの鳴き声が容赦なく降り注ぐ、夏休みのある日の午後。
エアコンの冷気が心地いい部屋で、よっちゃんは友達数人と床に寝転がりながら、だらだらとスマートフォンの画面を眺めていた。
「ほら、これ!前に話した人!」
よっちゃんが弾んだ声でスマホを突き出す。画面の中で再生されたのは、熱気あふれる地元の夏祭りの動画だった。
みんなが画面を覗き込んだ瞬間、その目が点になる。スピーカーから響くドンドコという激しい太鼓の音とともに映し出されたのは、凄まじい勢いでバチを振るう一人の男――和哉の姿だった。しかも、なぜか衣装を着ていない。
「え、何これ!?なんで上半身裸なの!?」
「太鼓叩いてるだけじゃん!いや、なんで脱いだ!?」
友達がたまらず腹を抱えて爆笑する。その反応を待っていましたとばかりに、よっちゃんは満足げに深く頷いた。
「でしょ?この人、マジで面白いんだって」
「知り合いなの?」
涙を拭いながら訊ねる友達に、よっちゃんは自慢げに胸を張る。
「うん。一ノ瀬和哉。一学期にカラオケで友達になったんだよね」
「カラオケでも何かやったの?」
「それがさー!」
よっちゃんは身を乗り出した。和哉という男のポテンシャルは、夏祭りだけにとどまらない。
「最初に部屋に入ってきた時からなんかテンションおかしくてさ。マイク持った瞬間に――」
記憶にあるカラオケでの和哉の奇行を、身振り手振りを交えて熱弁していく。友達はもう、次の展開が気になって仕方がないという様子で食い入るように話を聞いている。
「この時の動画もあるよ」
よっちゃんが指先で画面をスワイプすると、また新しい和哉の動画が再生される。友達は「ちょっと待って、嘘でしょ!?」と再び画面に群がり、笑い声が夏の部屋に賑やかに響き渡った。
「待って、毎回こんな感じなの!?」
友達はもはや限界といった様子で、お腹を押さえながら床の上を転げ回った。
「毎回っていうか、なんか持ってるよね、この人」
よっちゃんはふふんと鼻を鳴らし、画面をスマートにロックした。
「てか、この人って日和ちゃんのお兄さんなんでしょ?」
息を整えながら、友達が思い出したように訊ねてくる。
「そうそう。日和ちゃんのお兄さん」
「日和ちゃんのお兄さんがこれなの、ギャップすごくない!?」
「あはは、確かに」
友達が和哉の強烈なキャラクターに圧倒されているのを見て、よっちゃんの胸には満足感がじわじわと広がっていた。
彼女にとって、和哉の動画をこうして友達に見せるのは、自分が大好きな芸人のネタをおすすめする感覚と全く同じだった。自分の「推し」の面白さが完璧に伝わり、期待通りの爆笑をもぎ取れた。
よっちゃんは思い立ったようにスマートフォンを操作し、グループ通話で他校の友達のユナを呼び出した。
「今から行く!」
エアコンの効いた部屋でだらだらしているのはユナも同じだったらしく、二つ返事でよっちゃんの家にすっ飛んできた。
部屋のドアが開くやいなや、冷気に当たって生き返ったような顔をしたユナが輪に加わる。
「え、何の話?ひよりんのお兄さんの動画?」
「ユナちゃんも知ってるの!?」
先に動画を見ていた友達が驚いて声を上げると、ユナはフッと鼻で笑った。
「知ってるも何も、アタシ、動画いっぱい持ってるし!」
ユナはポケットから自分のスマホを取り出すと、得意げな手つきで画面をタップし、二人の前に突き出した。
「これとか、マジでヤバいから!」
画面を覗き込んだ女の子たちの目が点になる。そこには、雨の降る夕方のグラウンドで、なぜか傘を振り回している和哉の姿があった。次の瞬間、彼は鋭い掛け声とともに、誰もいない空間に向かって激しく傘を振り下ろした。
「ちょっと待って、何もないところ斬ってるんだけど!?」
「これも和哉くんなの!?」
友達の悲鳴のようなツッコミに、ユナは「まだまだ!」と再生を続ける。和哉は両手を上げて泥水の中にダイブし、見事なニースライディングを決めていた。
「ちょ、この人、泥だらけになってニースライディングしてる!」
「何これ、パフォーマー?なんかそういうのやってる人!?」
お腹を抱えてのけ反る友達を前に、ユナとよっちゃんは顔を見合わせてニヤリと笑う。
「動画、他にもあるよ!」
「えー、何してんの、この人!?」
ユナのアーカイブの数々に、部屋の中は爆笑の渦に包まれる。しかし、あまりにも強烈な動画を見ているうちに、女子たちの心境に少しずつ変化が起き始めていた。画面の向こうで全力でふざけ倒している和哉という存在が、だんだんと妙なカリスマ性を帯びて見えてきたのだ。
「なんか……実物も見てみたいね」
友達の一人が涙目のまま、ぽつりと言った。
「わかる。どんな人なんだろ」
「動画だとすごいけど、普通に喋るのかな?」
その疑問に、よっちゃんは「ふふん」と腕を組んで、うんうんと深く頷いた。
「普通に喋るよ」
カラオケでの記憶を思い返しながら、よっちゃんは答える。と同時に、彼女の頭の中に楽しそうな悪巧みが浮かんでいた。動画の中の和哉は完全に異次元の住人だが、普段の彼は案外にまとも。その「普通に喋る実物の和哉」をみんなに引き合わせたら、一体どんな反応をするだろう。
「よーし、じゃあアタシがひよりんにアポ取る!」
ユナが手際よくスマホを操作し、日和へスピーカー通話で連絡を入れた。コール音が数回鳴った後、のんびりとした日和の声が響く。
「ひよりーん、今日って家いる?」
『いるけど、なに?』
いつも通りの気だるげで軽い返事に、ユナはよっちゃんたちと目配せをしながら言葉を続けた。
「よっちゃんたちと遊びたいんだけど、そっち行っていい?」
『いいよ』
実にあっさりと許可が下りる。ユナはニヤリと笑みを深め、本題へと切り込んだ。
「友達も結構な人数、一緒だけど、平気?」
『別にいいよ』
日和のその言葉を聞いた瞬間、ユナはスマホからパッと顔を上げた。
「……だって!」
ユナの合図に、部屋の空気が一気に沸き立つ。
「えっ、マジ!?」
「会えるの!?」
「えー、本物に会ってみたい!」
「いく、いく!」
女子たちの声が一段と弾む。
その盛り上がりを見て、よっちゃんも嬉しそうに笑う。
「じゃ、決まり!行こっか!」
みんなで一斉に立ち上がり、荷物をまとめ始める。和哉が今家にいるかどうかはまだ分からないけれど、あの「伝説の男」のホームグラウンドに向かうというだけで、退屈だった夏休みの午後が急に特別なものへと変わり始めていた。
◇
同じ頃。俺は、自宅の自室でベッドに寝転がり、エアコンの風を浴びながらのんびりと漫画を読んでいた。
夏休みも終わりが近づいているが、今のところ怪異に巻き込まれる気配は一切ない。驚くほど平穏な日々が続いていた。
「……やっぱり、この漫画は面白いな」
ページをめくる。指先が紙を擦る音だけが、静かな室内に響く。窓の外ではセミが鳴いているが、それすらも遠く感じられるほど、俺の午後は平和そのものだった。
コンコン。
不意に、部屋のドアが軽やかにノックされた。
「ん?」
俺は顔を上げた。妹の日和がわざわざ自分の部屋をノックしてくるなんて、極めて珍しい。何か頼み事でもあるのだろうか。
「どうぞー」
俺が声をかけると、ゆっくりとドアが開いた。
「……何?」
顔を出したのは、やはり日和だった。しかし、その表情はどこか他人事のように冷ややかだ。
「友達来てるから」
「……は?だから?」
日和の言葉の意味を咀嚼する間もなかった。彼女の背後から、ひょっこりと見覚えのあるギャルの顔が覗く。
「やっほー、お兄さん!」
「……ユナ?」
「久しぶりー!」
「……えっ?よっちゃん?」
動揺する俺の視界に、さらに見知らぬ女子高生たちの姿が次々と飛び込んできた。
ひとり。
ふたり。
さらにもうひとり。
「わー、本当にいた!」
「え、和哉くんってこの人!?」
「キャー!本物だー!」
「…………は?」
俺は、漫画を持ったまま完全に凝固した。
女子たちはどやどやと、遠慮という言葉を知らない勢いで部屋になだれ込んでくる。
「お邪魔しまーす!」
「うわ、ここが和哉くんの部屋なんだ!」
「普通の部屋だー!」
日和は特に気にする風でもなく、友達の後ろをついてきているだけだ。
ユナとよっちゃんも、友達に部屋を見せるようにして奥へと入ってくる。圧倒された俺は、漫画を持ったまま、ベッドの上を少し横へとずれた。
――が、それが悪手だった。
空いたスペースにユナが当然のように腰を下ろす。その隣にはよっちゃんが座り、他の女子たちも引き寄せられるようにゾロゾロと移動してきた。
俺は気まずさに耐えかねてさらに横へずれるが、女子たちもじわじわとこちらへ距離を詰めてくる。
それを数回繰り返した結果――気がつけば、俺は自室の壁際、一番部屋の隅っこへと追いやられていた。
(……おかしい)
俺は混乱した頭で思考を巡らせる。
ここは俺の部屋だ。俺が普段、誰にも邪魔されずに漫画を読んでいる聖域だ。なのに、なぜ俺が、一番邪魔そうで居心地の悪そうな位置に追いやられているんだ?
ちらりと部屋のドアへ視線を走らせる。しかし、出入り口付近にも女子たちが固まって楽しそうに喋っている。
(……逃げ道がない)
いつも命の危機を感じる怪異に追い詰められたときとは、まったくベクトルの違う恐怖。言語化できない強烈なプレッシャーが、俺の精神を容赦なく削っていく。
そんな俺の困惑をよそに、女子たちのボルテージはさらに上がっていく。彼女たちはポケットやスクールバッグから、いっせいにスマートフォンを取り出し始めた。
「ねえ、和哉くん。一緒に写真撮ってもいい?」
きらきらとした視線を向けられ、俺は面食らった。
「……写真?」
「うん!」
「えっと……別にいいけど」
「やったー!」
俺が気圧されながらも頷いた瞬間、目の前にカメラレンズが突きつけられる。
最初は言い出しっぺの女子とのツーショット。パシャリとシャッター音が響くと、すかさず「次、よっちゃんも入ろうよ!」と声がかかる。よっちゃんと友達を交えたスリーショットへとなだれ込む。
「次、あたしも入っていい?」
「じゃあ、こっちのスマホでも撮ろうよ!」
女子たちの連係プレーは見事だった。メンバーを素早く入れ替え、スマホを持ち替え、まるで人気タレントの撮影会さながらのスピード感で次々と写真が量産されていく。
「はい、チーズ!」
「もう一枚!」
「今度はこっちのスマホで!」
「え、私も一緒に撮りたい!」
俺は完全にキャパシティをオーバーし、ただ言われるがまま、レンズに向かって引きつった笑顔を向けることしかできなかった。
その様子を少し離れたところから見ていたよっちゃんは、腕を組んで満足そうに笑った。
「いやー、来てよかった!」
ユナも撮影されたばかりのスマホの画面をタップし、プレビューを確認しながら深く頷いた。
「うんうん、いい感じ!」
(……何が?)
女子たちの間で一体何が完結し、何に満足しているのか、俺にはさっぱり分からなかった。ただ、自分の部屋の片隅で、嵐のような女子高生のエネルギーに揉みくちゃにされながら、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
ひとしきり写真を撮り終えると、女子たちはすっかり満足した様子で手際よくスマホを片づけ始めた。嵐の去り際は、驚くほどに突然だった。
「じゃ、そろそろ帰ろっか!」
「うん、楽しかったー!」
「和哉くん、ありがとね!」
「……あ、ああ」
突然の解散宣言に、俺の返事はどうしてもワンテンポ遅れてしまう。よっちゃんがドアの手前でくるりと振り返った。
「じゃあね、和哉!」
「お、おう……」
ユナもその隣から、いつもの軽いノリでひらひらと手を振る。
「またねー!お兄さん!」
最後に日和が、何もかも他人事といったいつものフラットな調子で言った。
「じゃ、行こ」
「はーい!」
女子たちは、来たときと同じような圧倒的なボリュームで、どやどやと部屋を出ていく。
「お邪魔しましたー!」
「バイバーイ!」
廊下を駆けていく賑やかな足音と、楽しげな話し声が少しずつ遠ざかっていく。やがてパタンと玄関のドアが閉まる音が響き、家の中に完全な沈黙が戻ってきた。
静寂。
俺はゆっくりとベッドに座り直す。
「…………」
そして、誰もいない部屋でぽつりと呟いた。
「……俺、いったい何だったんだ?」
やがて、気を取り直して机の上の漫画を開く。……開いたのだが。
「…………」
なんだか、どうしても落ち着かない。ふと、部屋の中を見回してみる。いつもと同じ机。いつもと同じベッド。いつもと同じ本棚。
なのに、妙にそわそわするのだ。気のせいか、空気がいつもより軽いというか、華やかというか。
「……なんか、女子臭くないか?この部屋」
鼻をかすめる微かなシャンプーや柔軟剤のような甘い香りに、俺はたまらず立ち上がり、ガラッと窓を大きく開けた。
ぶわっと吹き込んできた熱い夏の風を全身に浴びながら、ようやく大きく一息つく。
「……ふぅ」
何も恐ろしいことは起きていない。怪異の影すらない。それなのに、心からの本音が口をついて出た。
「……俺の平穏な夏休みを返してくれ」




