怪異は映らない、けれど俺の奇行は事実である
部室でのあの理不尽な交渉から二日後。
俺たちは夏休み別荘遠征の出発地点である、巨大な名古屋駅の雑踏の中にいた。
「あ、いたいた。おはよう、烏丸さん」
「ひゃっ!? あ、い、一ノ瀬くん……お、おはよう、ございます……」
集合場所に一番乗りしていた烏丸に声をかける。相変わらず小柄な彼女は、駅を行き交う人の波に完全に埋もれてしまっていた。俺が目を離すたびに周囲の人に視界を遮られ、何度も見失いそうになる。まったく、放っておけない。
そうして烏丸さんと合流してしばし待つと、駅の喧騒を割って、凛とした声が響く。
「待たせたね、諸君」
大きなスーツケースを引いて現れたのは如月先輩だった。
白い帽子に、涼しげな夏服。そして何より、眩しいほどのショートパンツ姿。俺の視線は、吸い寄せられるようにその完璧な夏の脚へと奪われる。眼福すぎる。
「あとは佐藤だけだな」
呟いたそのときだった。
「僕ならとっくにいるよ」
「うおっ!?」
真後ろから不意に声をかけられ、俺の心臓が跳ね上がった。振り返ると、佐藤が平然と立っている。
「全員が集まるまで近くで見ていた」
「声をかけろよ!」
全く、合理主義者め。
「さあ、行こう」
全員が揃ったところで、如月先輩が前を歩き出す。その堂々たる背中を見ながら、俺はふと烏丸の方を見た。彼女はすでにコンビニのツナマヨおにぎりを、ハムスターのように小さく食んでいる。
そんな日常の風景を眺めつつ、俺の脳裏にはある疑問がよぎっていた。
(……そういえば、この旅行って学校公認の部活動なんだよな?)
顧問はいない。正式な部長もよく分からない。実質的にこのオカルト部を動かし、学校のシステムを裏で利用しているのは、部外にいる如月先輩だ。なのに交通費や遠征費はきっちり学校予算から出ている。
「どうした、一ノ瀬?」
「いえ……なんでもないです」
振り向いた先輩の鋭い瞳に射抜かれ、俺は慌てて首を振った。深く考えたら負けな気がする。
名古屋から三重方面へ向かう特急列車に乗り込み、さらにローカル交通へと乗り継ぐ。目指すは海辺の町だ。
車窓の景色は、高層ビルが並ぶ都市部から郊外、そして緑豊かな山間部へと目まぐるしく変化していく。トンネルをいくつか抜けると、徐々にきらめく青──海が見え始めた。
「一ノ瀬くん、海、綺麗……」
「ああ、最高だな!」
俺と烏丸は窓の外の絶景に目を輝かせ、純粋に旅行の雰囲気を楽しんでいた。一方、隣の佐藤は車窓の美しい海に全く興味を示さず、膝の上で難解そうな本を黙々と読んでいる。ぶれない男だ。
そんな俺たちの様子を、如月先輩は少し離れた席から眺めていた。普段の鋭い表情をやや崩し、どこかニヤニヤとした笑みを浮かべている。
(……なんだ、この顔?)
やがて、海を望む岬の高台にある如月家の別荘へと到着した。
贅沢な二階建ての邸宅で、海を見渡せる広い庭と開放的なテラスが備わっている。
「すごい……」
「えっ、これ、本当にタダで泊まれるの……?」
烏丸が感嘆の声を漏らし、俺は想像以上の規模に口をあんぐりと開けた。佐藤だけは相変わらず興味なさそうに荷物を置いている。
学校の費用で交通費や調査費が出るうえに、宿泊費もかからない。怪異を発見する探査機として酷使される運命と引き換えとはいえ、かなり恵まれた遠征であることを俺は身に沁みて実感していた。
別荘で一息ついた後、俺たちは昼食を食べに街の方へ歩いた。入ったのは、昔から営業しているような、地元の風情が残る古い定食屋。四人とも大人しく昼食定食を注文し、料理を待つ。
その時、俺の後ろの方に座っている客たちの会話から、今回の調査対象である建物の噂話が聞こえてきた。
「あそこの建物、最近特にオバケのうわさがひどいらしいぞ」
「あのお騒がせYouTuberが勝手に侵入して、心霊動画を公開したからだろ?動画の端に変なものが映ってるって話題になってるしな」
だが、その話を聞いた俺は、心の中で鼻で笑う。
(動画の端にオバケねえ……)
昼食が終わり、別荘への帰り道。横を歩く如月先輩が、前を見据えたまま俺に問いかけてきた。
「先ほどの定食屋での話、一ノ瀬、君はどう思う?」
「100%やらせです。本物の怪異は写真や映像には写りませんから」
俺は即座に断言した。
「そもそも、怪異を視覚的にハッキリ見たという人は殆どいないはずです。おそらく、個人の微細な違和感が、ネットを介して尾ひれがつき、噂として巨大化しただけでしょう」
我ながら完璧なオカルトの専門的知見だ。俺は少しドヤ顔になりながら、フッと自虐的な笑みを漏らした。
「ネットのデマや切り取りのせいで、実態以上に話が大きく膨らんで大拡散される。──ハハッ、まさに、俺の社会的信用がSNSで毎日のように地に落とされているのと同じ構図ですよ」
上手いこと言った。自分の不憫さを交えた完璧な着地だ。
そう満足感に浸る俺を、如月先輩はフッと可笑しそうに見つめ、静かに、そして容赦なくトドメを刺した。
「……だが一ノ瀬。君の場合は、すべて事実じゃなかったっけ?」
「……はい。事実です」
俺の場合は、デマでも何でもなく、客観的に見れば、現場を押さえられただけ。
真夏の眩しい青空の下、己の業の深さを改めて突きつけられた俺は、ガックリと肩を落としてトボトボと歩くしかなかった。




