激闘!クラス対抗バトンリレー!
体育祭のクライマックスであるメインイベント――全校生徒が総立ちになる「学年別クラス対抗バトンリレー」が始まった。
グラウンド中が割れんばかりの歓声に包まれる中、俺は観客席から1年生のレースを観戦し、応援していた。
異変が起きたのは、1年生たちが激走するゴール直前のトラックだった。
ザワッ、とグラウンドの土が不自然に波打って地面から、無数の「手の怪異」が這い出てきたのだ。
ぎちぎちと不気味な音を立てて蠢くそれは、体育祭の勝負が放つ極限の熱気に引き寄せられた怪異だった。レースが進むにつれ、その黒い手どもは明確な意思を持って動き始め、走っている選手たちの足首を掴もうと狙いを定めている。
(――まずい。このままじゃ全速力で走る生徒が足を取られて、大怪我をする……!)
しかも、最悪なことにレースはいよいよ佳境。最終組のアンカーへとバトンが渡ろうとしていた。
白組のアンカーは、水泳部のエースである清水青葉。
紅組のアンカーは、チア部で抜群の運動神経を誇る一ノ瀬日和。
このままでは、あの二人が標的になる。
俺は心臓を激しく脈打たせながら、白組テントの後ろへと全速力で走った。そこには、相変わらず日傘の下で優雅に文庫本を読んでいる佐藤の姿があった。
「おい佐藤! 日和と清水がヤバい! トラックに手が湧いてる!」
必死に詰め寄る俺に、佐藤は面倒くさそうに本から顔を上げ、グラウンドの怪異へと視線を向けた。
「なるほど」
パタン、と本を閉じる佐藤。だが、あいつの足は一歩も前に動かない。
「君の妹がアンカーか……君がやり給え」
「お前が行けよ陰陽師だろ!?」
「嫌だ。――急々如律令!」
バチバチバチッ!!
佐藤が呪文を唱えた瞬間、あいつが持っていた日傘が、見る見るうちに光輝く「霊刀」へと変貌を遂げる。
佐藤はその柄を俺に押し付けた。
「行け」
「クソッ!!」
俺は霊力が宿った日傘をがっしりと握り締め、二人の少女を救うため、全校生徒の視線が100%集中しているゴール前のトラックへと猛然と飛び出した。
いよいよアンカーにバトンが渡った。青葉と日和が、猛然とゴールに向かって激走してくる。
白組テントから日傘を持った俺がコース前へと全力疾走で乱入した。
「オラァッ!」
俺は手元の日傘を思い切り振り抜き、二人の足元に群がっていたドス黒い「手の怪異」を鮮やかに一閃した。
一撃のもとに怪異どもは綺麗に払い落とされ、霧のように霧散していく。
――しかし、俺は全力で日傘を振り抜いたその勢いを制御しきれなかった。
「あ、」
ズシャアッ!!!
勢い余った俺は、ちょうど、ゴールラインの手前数メートルの位置で、思いっきりうつぶせの状態で派手に倒れ込んでしまったのだ。
静止する時間。迫り来るトップランナー二人の足音。
直後、突っ込んできた日和と青葉は――一切躊躇することなく、俺の背中を、おそるべき脚力で力強く踏みつけてそのままゴールを駆け抜けた。
「ぶっ、ぶぇっ!!」
肺の空気がすべて引きずり出されるような衝撃。だが、地獄はそこからだった。
あまりにも堂々と、一切の迷いなく俺を踏み台にしていったトップ二人の姿を見て、観客席の誰かが「これ、新しい障害物だ!!」と大声で叫んだ。
「なるほど!」
「今回のリレー、障害物じゃん!」
「踏んでいいやつだ!!」
それを見た後続の選手たちも勘違いし、次々と俺の体を容赦なく踏みつけてゴールしていく。
「がはっ!?」
「あうっ!?」
「待っ……てぶっ!?」
競技終了後。
俺を踏みつけていった連中は、口を揃えて「いや、一ノ瀬さんと清水さんが普通に踏んでいったから、てっきり公式が用意した新しい障害物かと……」と語っていたという。
泥と無数の足跡まみれになり、ボロボロになった俺は、命からがら白組テントの椅子へと這い帰っていた。全身の骨がミシミシと言っている。
そこへ、リレーを終えて息を整えた青葉が戻ってきた。あいつは当たり前のように俺の隣に座ると、心底呆れたような顔で声をかけてきた。
「何やってんの?先輩」
「お前が……踏んだからだろうが……」
「だって急に目の前に転がってくるからさ――あ、ちなみに私が一位」
どうやらリレーは白組の、青葉の勝利で終わったらしい。
ふと、遠くの紅組テントに目をやると、日和がめちゃくちゃ悔しがっているのが見えた。
日和は間違いなく、「ウチが負けたのは、あいつ(兄)が急に足元に転がってきたせいだ」と、責任転嫁をするだろう。
俺は、今夜の夕食は「食パン」を覚悟した。
それでも――。
(……まあ、いいか)
夕暮れの茜色が、広く静かになったグラウンドを赤く染めていく。
誰もスマートフォンを持っていない、レンズが1枚もない空間だった。怨霊を払い、誰も大怪我をせずに無事だった。
俺は一人、静かな満足感に浸っていた。これでいいんだ、と。
「――これにて体育祭を閉会します」
体育祭の終了を告げる閉会式。
夕日にその美しい黒髪をきらめかせながら、壇上に立った生徒会長・如月結衣先輩がマイクに向かってそう告げた。
その、たった一言。
それだけで、グラウンドを埋め尽くす全校生徒から、割れんばかりの拍手がわっと沸き起こった。
泥と足跡にまみれた体操服のまま、拍手の渦の中に身を置きながら、俺は壇上の彼女を見上げていた。
(やっぱり……如月先輩はすごいな……)
彼女の圧倒的なカリスマ性。その美しい終わりをぼんやりと眺めながら、俺の理不尽まみれで、だけどほんの少しだけ報われた体育祭は、静かに幕を閉じたのだった。
◇
「おはよう、前田」
体育祭の翌日。
全身の痛みに耐えながら教室に入り、右隣の席の前田に声をかけた瞬間、俺はそいつから見たこともないような「深い同情の目」を向けられた。
「……おい、一ノ瀬。これ見ろよ。昨日の体育祭のネットニュース」
「……?」
不穏な空気を感じつつ、前田から差し出されたスマホを見る。
それは、校内に掲示される新聞部のネットニュースバージョンだった。
そこに躍っていたのは、大きな見出し。
『激闘! クラス対抗バトンリレー!』
そして、その文字のすぐ真下に、とんでもなく鮮明な写真が掲載されていた。
ファインダーの中には、真剣な表情で激走する白組アンカーの清水青葉と、紅組アンカーの一ノ瀬日和。
そして――その二人の少女の足元に、見事にぶっ倒れている俺の姿。
しかも、ちょうど二人に同時に背中を踏みつけられている瞬間が最高画質で捉えられていた。
俺の思考は完全に固まった。
「……なんで?」
掠れた声が漏れる。記事の本文には、こう書き添えられていた。
『白組、2年の一ノ瀬和哉がコース上乱入、突然倒れ込み、リレー選手の進路を塞ぐというハプニングも発生した』
俺はわなわなと震える手で新聞を握りしめた。
そうだった。盲点だった。
確かに昨日の体育祭では、生徒のスマートフォンは完全に禁止されていた。だが――当たり前だが、学校の部活動である新聞部や写真部には、『体育祭の撮影許可』が出ていたのだ。
俺は昨日の夕暮れ時、一人で静かに満足していたアホな自分を思い出す。
スマホはない。誰にも録画されていない。今日は安全だ。そう思って、一人で勝手に報われた気になっていた。
「……俺の、わきの甘さだ」
天を仰ぎ、俺は自分のあまりの詰めの甘さを深く深く後悔した。
「……なるほど、これは見事だね」
絶望する俺の背後から、ひょっこりと佐藤が顔を出した。スマホを覗き込み、眼鏡の奥の目を細めている。
「同時に踏まれているシーンをとらえているなんて、大した写真技術だよ。しかし一ノ瀬君、よくこれだけ綺麗に踏まれて、丈夫なもんだな」
佐藤の隣から、いつの間にか烏丸さんも写真を見つめていた。
「すごいね。ほとんど同時に踏まれてる。この時点では同着だったのかな」
烏丸さんに言われて、俺は改めて写真を凝視する。
言われてみればそうだ。青葉の足並みに対して、日和の足が心なしかワンテンポ遅れて俺の背中に乗っているように見える。
これ、もしかして……日和のやつ、俺を踏むのを一瞬躊躇したんじゃないか?
「ふむ。踏むのを躊躇したのかもな」
「!そ、そうかな?」
いくら日和とはいえ、実の兄が目の前で転倒したのだ。日和の中にも、兄を踏むことへの良心が、一瞬だけでも働いたのでは――。
「僕だって、汚いものは踏みたくない」
「お前と一緒にするな!」
俺の社会的信用回復への道は。今日も遠かった。




