都会の怪異、田舎の妖怪、神社の「?」
三連休が明けた月曜日の放課後。
オカルト部の部室には、いつもの三人しかいなかった。
佐藤は、机に向かって熱心に本を読んでいる。
烏丸さんは、部室の隅で安心しきって、コンビニのツナマヨおにぎりをハムスターのように小さく食んでいた。
俺は、パイプ椅子に深く腰掛け、大きく息を吐いた。そして、完全に背もたれにもたれ切って天井を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……田舎で変なものを見た」
「フッ、いつものことじゃないか」
佐藤は本から目を離さないまま、冷淡に鼻で笑った。
「君の霊感は100%なのだからね。どこへ行こうが周囲の有象無象を目撃してしまうのは日常茶飯事だろう。いちいち報告しなくていい」
「違うんだよ。今回はレベルが違うんだ」
俺は天井を見つめたまま、あの父方の実家の敷地奥で目撃した『それ』について、静かに説明を始めた。
祖父母宅の敷地の奥、誰も近づかない小さな神社。
そして――都会の一級怪異すらおもちゃに見えるほどの、理屈抜きの拒絶感と禍々しい霊圧。一目見た瞬間に脳が最大の警報を鳴らした、あの圧倒的な禁忌の存在。
俺が話し終わる頃には、部室の空気が完全に凍りついていた。
さっきまでページをめくっていた佐藤の手が止まり、パタン、と静かに本が閉じられた。眼鏡の奥の瞳には、一流の陰陽師としてのガチの緊迫感が宿っていた。
「へえ」
佐藤が低く呟く。
「……近寄ったのか」
「いいや、全力で逃げた」
「正解だ」
あまりにも迷いのない、即答だった。
「わかるのか? 爺ちゃんには、近寄らなければ何も起こらないとしか言わなかったんだが」
「わからない」
「どっちだよ」
「わからないから逃げて正解だと言っているんだ」
佐藤はいつも通り、平然と言い放った。
「僕は知識があるだけで、この世の怪異に対して万能ではない」
「一流陰陽師の発言か、それ」
「だから僕は生き残っているんだよ」
勝てない勝負、理解できない領域には絶対に近寄らない。佐藤の確かな生存戦略には、妙な説得力があった。
俺はゴクリと唾を飲み込み、さらに問いかける。
「……プロのお前でも分からないのか」
「分からないね」
「怪異なんだろ? あの神社にいたのは」
「それも分からない」
「え?」
佐藤は平然とした動作で机の上のマジックペンを手に取ると、スッと立ち上がり、部室のホワイトボードの前に移動した。
キュキュッと小気味いい音を立てながら、ボードの中央に大きく円を書く。
『超常存在』
「そもそも一ノ瀬、君は混同している。僕たちが普段相手にしている『怪異』というのは、ただの総称だ」
「へえ……」
「厳密には、その下には色々あるんだよ」
佐藤は大きな円の下からさらに三つの矢印を伸ばし、その先にそれぞれの単語を書き記していった。
『妖怪』
『怪異』
『?』
佐藤は『妖怪』の文字をペン先でぐるりと丸で囲んだ。
「まず妖怪、これは自然と強く結びついている存在だ」
「河童とか、天狗とか?」
「そう。妖怪は人間がいなくても存在する。大自然環境のパーツの一部、という認識でいい」
「じゃあ……自然の一部ってことか」
「そういう認識でいい」
「じゃあ、陰陽師も妖怪は祓ったりしないのか?」
「人間に被害を出さない限り、山の野生動物を排除しようとはしないだろ?」
「なるほど、分かりやすいな……」
俺は、あの田舎の道端で出会った地蔵の背後の大蛇や、川底の巨大な腕を思い出していた。彼らは自然の一部。そういう認識でいいのだろう。
続いて、佐藤は隣の『怪異』という文字を大きく丸で囲んだ。
「次が怪異」
「今までのやつ?」
「ああ、僕たちが相手にしてきたのは、ほぼ全部これだ。呪いも含む」
「怪異は妖怪と違って、人間の感情に強く影響される。……いや、人間の感情そのものが原動力であることが多いだろう」
佐藤は淡々と、ホワイトボードに言葉を並べていく。
「恐怖。怒り。嫉妬。未練。後悔」
「なるほど」
「だからこそ、人間が大勢いる人口の多い都市部に多いんだ」
さらに佐藤は『怪異』の下に、キュキュッと力強く一本の線を引いた。その下に別の文字を書き足す。
『怨霊』
「そして怨霊は怪異の中でも特に厄介だ。人間の死や深い絶望といった、強すぎる感情がそのまま残ったものだからね」
すると、部室の隅で空気のようにツナマヨおにぎりを食んでいた烏丸さんが、珍しく小さく口を開いた。
「……私、それ分かります」
「え、烏丸さん、分かるのか?」
俺が振り返ると、烏丸さんは真剣な目を覗かせ、小さく頷いた。
「うん……。近くにいるだけで、耳の奥がキーンとしたり、すごく気持ち悪い感じがします」
「なるほど……」
烏丸さんならではの生々しい感覚に、俺は少し納得した。
ここまでは分かる。オカルト部の範疇として理解できる。
「じゃあ……あの神社のやつは?」
俺の質問に、佐藤のペンの動きが止まった。
夕暮れの斜光が差し込む部室が、水を打ったように少し静かになった。
佐藤は無言のまま、ペン先でホワイトボードの一番右にある『?』を指した。
「これだ。わからない」
「またかよ」
「少なくとも怪異ではない気がする」
「じゃあ、妖怪は?」
「それにしては、君の生存本能が拒絶しすぎている。違和感がある」
「怨霊は?」
「もっと違う。怨霊はどこまで行っても人間の枠の模倣だ。君が感じたのは、そんな矮小な規模のものではないはずだ」
「じゃあ何なんだよ」
「わからない」
佐藤はあっさり答えた。ボードのペンを置き、腕を組んで天井を仰ぐ。
「分類なんてものは人間の都合だ。人間の知識では分類できないものなんて、いくらでもある」
俺は再びパイプ椅子に深くもたれかかり、天井を見上げた。
「結局、あれはなんだったんだよ……」
「わからない」
「お前、今日それしか言ってなくない?」
「わからないものをわかるとは言えないからね。プロとして当然の対応だ」
何の手がかりも得られないまま、部室に沈黙が流れる。
俺は、あの田舎の電波の圏外のなかで起きた、あの『ボーナスステージ』の瞬間をふと思い出し、少しだけ頬の筋肉を緩めて切り出した。誰かに話したかった。
「……そういえばさ、日和の性格が、ちょっと丸くなった気がするんだよね」
――沈黙。
佐藤が本気で信じられないものを見るかのような、完全な真顔で聞き返してきた。
「……あのボスギャルが?」
「うん」
「君の気のせいだろう」
1ミリの迷いもない、即答だった。
「いや、でも、前よりは話が通じた気がするっていうか……大自然マジック?」
「さっき、廊下ですれ違った時に思いっきり罵倒されていたじゃないか。丸くなったようには見えない」
「正論やめろ」
佐藤は腕を組み、冷酷に現実を突きつけてきた。
「彼女は変わっていない。電波が死んでいただけだ。バリ3に戻ったギャルに、君という存在を許容するスペースなど残されていないよ」
烏丸さんがぽつりと呟いた。
「一ノ瀬くん……それ、多分考えない方がいいと思う」
「何がだ、烏丸さん」
「たぶん……後から変わってないことが分かって傷つくだけ」
「……やめて」
俺は即座に否定した。けれど、その否定の声だけは、なぜか少し弱かった。
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