↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
25/41

ただ見えるだけの怪異と、電波のないギャル妹

朝食が終わって、しばらくすると、今日は付け爪もしていない、アクセサリーもすべて外している日和が、畳の上に大の字になって寝転がっていた。


スマホの電波も届いていない、暇つぶしのための娯楽も何もないド田舎。俺は呼吸で上下する日和のお腹を眺めていた。


そんなに田舎がいやなら、俺が行きたくないと言った時に賛成してくれればよかったのに、と恨めしく思う。


普段なら、スマホの世界に没頭することで俺を100%視界から抹消できている日和だが、暇すぎてついに、目の前にいる俺を直視した。


日和が寝たまま俺のほうをちらりと見る。


「……ねえ。ウチ、マジ暇すぎて死ぬんだけど。おい、ウチをド田舎観光に連れてけ」


「え? 俺が?」


俺を誘うなんて珍しいこともあるもんだ、と思ったが、考えてみればここは日和のスクールカーストを気にする必要もないド田舎。俺というカースト最底辺の兄を連れまわしても知り合いに見られる心配はない。


かくして、俺は妹の退屈を紛らわすためのお供に任命され、有無を言わせぬ圧力のまま、怪異がうじゃうじゃいる田舎の外へと強引に引きずり出されることになった。


◇


田舎のあぜ道を歩きながら、日和はギャル服のまま、古い石垣の前にしゃがみ込んだ。


「あのトカゲ超ちっちゃ! ウチのこの服と同じ色じゃね!?」


野生のトカゲを見つけて興奮したらしい。あまりの退屈からの解放感と大自然の魔力によって、日和は完全に無邪気な子供に戻っていた。いつもはマツエクとバチバチのメイクで武装しているのに、今はすっぴんに近い顔でトカゲを追いかけている。

 

好奇心旺盛な子供に戻った日和は、あぜ道に突っ立っていた俺の元へ駆け寄ってくると、俺の腕にガシッ と両手で抱きついてきた。


「ねえ見てよ、あのお地蔵さん、無茶笑うw」


(……え?)


日和が、あの日和が、自分から俺の腕に抱きついている。

兄としての人生に、突然ボーナスステージが始まった。


日和に引っ張られて見に行くと、確かに近所のおばちゃんみたいな、ほんわかとした笑い顔だった。


「面白いじゃん」


そう言ってくっついてくる日和、ボーナスステージ継続中だった。

これだけで、今日ここへ来た価値があった。

 

感動で涙ぐみそうになった俺の視界に、お地蔵さんの背後から、どろり、と溢れ出す凄まじい密度の霊圧が飛び込んできた。


現れたのは、ぬうっと鎌首をもたげる、家一軒分はあろうかという超巨大な大蛇の怪異。


俺は、その圧倒的なビジュアルと霊圧に心臓が破裂しそうになる。


「ひ、日和ィィッ! 離れろ、後ろにヤバいのがッ!!」


俺は半狂乱になりながら、必死の形相で日和の体を突き飛ばして大蛇の前に立ちはだかった。


日和は、あぜ道で目を丸くしたあと、その瞳から無邪気さが急速に消え失せ、いつもの凍りつくような冷酷なジト目が俺を射抜く。


「は? 突き飛ばすとかマジ意味不明なんだけど。あ、暇すぎて一瞬脳みそバグったわ。マジ近寄んなキモ」


「あ、いや、違うんだ日和、俺はお前を守ろうと――」


「喋りかけないでくれる?」


一瞬でボーナスステージが強制終了し、俺はあぜ道に取り残された。大蛇は何もしてこないのに、俺だけが勝手に慌てて、一人で自爆した形だった。


◇


次に日和が見つけたのは、集落の端を流れる、小さな渓流だった。


アウトドアに1ミリも向いていない厚底サンダルで、日和は楽しそうに川岸へ駆けていく。


「えっ、すごい奇麗じゃね? そこ泳いでいる魚見えるわ」


そう言って、日和は、ぴょんと飛んで川の石の上に、ギャル特有の謎の身体能力でヒラリヒラリと楽しげに渡り始めた。足元が滑る気配すら一切ない。


だが、川の中央まで日和が進んだその時、俺の目がまたしても絶望的な光景を捉えた。


川底の不気味な澱みから、水に濡れた半透明の巨大な人間の『腕』が、どろりと這い上がるように伸びてきたのだ。


対抗する手段なんて、俺は何も持っていない。けれど、ただそこに現れただけの巨大な腕に、俺の脳内は再び最悪の結末を予想して大パニックに陥る。


「日和ッ!!今すぐ止まれ、足元から手が来てるッ!!」


 俺は妹を救うためだけに、まだ冷たい川の中へに入り、激しく水を跳ね上げながら、急いで日和の足元へと特攻する。


「はぁ、はぁ……! 逃げろ日和! 俺が食い止め……!」


そんな兄の命がけの奮闘の横で、日和はとっくに何事もなく、涼しい顔で向こう岸へとヒラリと着地していた。


岸の上から、日和は本日一番の冷たいジト目を向けた。


「……何してんの、マジで」


川底の腕は何をするでもなく、俺は冷たい川の中にわざわざ自分から飛び込み、一人で激しく水をバシャバシャと跳ね上げて大騒ぎしていた。


◇


結局、俺たちは祖父母の家へ帰ることにした。


水を滴らせ、歩くたびに靴をジャボジャボと鳴らしている俺を横目に、日和は「まあ、スマホ使えない割にはウケたし、いい暇つぶしになったわ」と、それなりに満足そうに髪を弄っていた。


先を歩く日和の後ろを、びしょ濡れの俺がトボトボとついていく。

あぜ道の脇にある草むらから、朝と同じ無数の「目」がこちらを覗いていた。


俺は、ふと足を止める。


小さい頃の俺は、あの目が全部、自分を食べに来るのだと思っていた。


だが今は違う。

都会の怪異につきまとう、耳の奥を引っ掻くような不快なノイズがない。鼻を突く腐臭も、肌を刺す呪気もない。

地蔵の背後の大蛇も、川底の巨大な腕も、ただそこに居ただけだった。


襲ってこない。

ただ、そこに暮らしている。


――ストレスの多い場所にいる動物だけが、凶暴になる。あれと同じか。


人間の負の感情が渦巻く都会の怪異は、どこまでも凶暴で、悪意に満ちている。けれど、この大自然に囲まれた田舎の怪異たちは、人間を襲う理由も、狂う理由もないのだろう。


俺は、草むらの目に向かって、ほんの少しだけ手を挙げてみた。


「……何してんの、マジで」


日和が振り返り、怪訝そうな顔をする。


「いや、ちょっと、挨拶」


「キモ」


俺が自分の目だけで気づいた、孤独で、けれど少しだけ優しい発見。

そんなこととは無関係に、日和はのんきに田舎を満喫している。日和はただの純粋な退屈しのぎだ。


祖父母の家に辿り着き、縁側に腰を下ろす。そこでは、祖父が酒を美味そうに煽っていた。


「爺ちゃん。ここの怪異、全然襲ってこなかったよ」


俺が濡れた足を拭きながら言うと、祖父は目を細めて笑った。


「そりゃそうだ。あいつらは、ただここで暮らしとるだけだからな」


縁側の向こうで、遠くヒグラシの声が響いていた。


◇


昼食を済ませ、自宅へ帰る準備をしていた時のこと。

出発までのわずかな合間、俺は一人、祖父母の家の敷地奥を見つめていた。

 

そこには、小さな神社がある。

 

それは、今までここで見てきたどの怪異とも違っていた。

霊感100%の俺の視界に『それ』が映った瞬間、理屈抜きで理解した。

 

ピタリと足が止まる。

本能が警報を鳴らし、強制的に視線が逸らされる。

ドクン、と心臓が波打ち、内側から凍りつくように冷えていく。

都会で一級怪異と対峙したときでさえ、ここまで怖くはなかった。


一目見て、関わってはダメだと分かる。街中で包丁を持った狂人を目撃した瞬間に、本能的な拒絶を覚えて全力で目を背けるように。

 

お地蔵さんの大蛇とも、川底の巨大な腕とも根本的に違う。

ただただ、「関わったら、終わる」。

それだけが、確信として脳を支配していた。


「……あれ、何なの?」


震える声で呟くと、いつの間にか背後に立っていたおじいちゃんが口を開いた。

その顔から、いつもの豪快な笑みは一切消え失せている。


「知らん。ワシが生まれる前から、ずうっとそこにある」


傾きかけた夕日が、境内に重苦しい影を落とす。

おじいちゃんは小さな神社をじっと見つめたまま、低く、掠れた声で言った。


「近寄らにゃ、何も起こらない。昔からそう言われとる」


ただ、近付かない。

それだけが、この土地で脈々と受け継がれてきた唯一のルールだった。


自家用車に乗り込み、俺たちは都会への帰路についた。

山道を抜け、車が走り出してしばらくすると、隣に座る日和が声を弾ませた。


「マジ電波ある!」


(……ああ、電波が入ることで、ギャルに戻るんだな)


すっぴんでトカゲを追いかけ、俺の腕に無邪気に抱きついていた『妹』が、バリ3の電波とともに『ギャル』へ戻っていく。


日和はスマホ画面の向こうのタイムラインへと没頭し、俺の存在は再び視界から100%抹消された。

いつもの日常に戻っていく車内で、俺だけが、遠ざかる窓の外を振り返っていた。

遠ざかっていく、あの小さな神社。

その薄暗い奥から、今も何かが、俺の後ろ姿をじっと見つめている気がした。


今回の旅で、俺が得た答え。

怪異のすべてが敵というわけじゃない。

だけど。人間が、決して関わってはいけないものも確かに存在する。


流れる景色の向こうに、あの禍々しい気配を置き去りにしながら、俺は静かに目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。