誰も分かってくれない
地獄の朝だった。クラスの、学年の、そして他クラスのグループLINEにまで、昨日グラウンドで撮影された『俺が傘で虚空と戦う動画』が爆速で大拡散されていたのだ。
一般人の目には、グラウンドで一人チャンバラをして狂喜乱舞している、ただの最悪な不審者にしか見えない。
ネット上の俺のあだ名に、既存の数々の悪名に加え、新たに『傘侍』という不名誉すぎる新称号が追加され、俺の社会的信用はリアルタイムで更地へとすり潰されていた。
登校した教室は、案の定、引き気味のヒソヒソ笑いに包まれていた。これまでの『関わっちゃいけない不審者』から『おもちゃにしていい変な人』へと底辺のままカーストが変貌したことを察し、俺は白目を剥きそうになる。
そんな俺の席のすぐ前には、昨日、音速のステルス撤退をかました佐藤が、何食わぬ顔で着席していた。
「おい、佐藤」
俺は佐藤の肩をがしっと掴み、怨念の籠もった小声で問い詰める。
「昨日、なぜ消えた。あの後、俺が一人で一級怪異をソロ討伐するまでどれだけ大変だったか分かってんのか……!」
「フッ、一ノ瀬。あれは『消えた』のではない。ギャルの視界に入った場合の戦略的撤退だ」
佐藤は眼鏡のブリッジをクイと上げ、1ミリも悪びれずに言い放った。
「カースト頂点のギャルに捕捉されるリスクを考えれば、あの撤退は極めて合理的だ。だからこそ君は恥をかき、僕には被害がない。完璧だろう?」
「どこがだよ!」
「まあ待ちたまえ」
佐藤は俺のスマホを奪い取ると、例の拡散動画をスロー再生し、コマ送りで確認し始めた。
「……よし、素晴らしいな。僕は一フレームも映っていない。これなら僕の級長としての品行方正な社会的信用は無傷だね」
「俺の信用が粉々になってるんだよ!なあ、何とかならないか?」
必死に縋る俺に対し、佐藤は読書に戻りながら即答した。
「断る。動画を拡散したのは僕ではない。被害者である君がギャルどもと直接交渉したまえ」
◇
佐藤がダメなら、発信源を叩くしかない。
俺は意を決して、唯一俺を信じているはずのギャル軍団の一人、ユナを体育館裏に呼び出した。
「お兄さんどしたのー? 上級生の男子に呼び出しとかマジウケるんだけど」
「ユナ、お願いだ。お前、あの時あのグラウンドに、ヤバい怪異がいること『感じて』ただろ?」
あざといインナーカラーのツインテールを揺らすユナに、俺は藁にもすがる思いで切り出す。
ユナは「あー………」と小首をかしげた。
「うん、なんかゾクゾクしたし、ヤバいモヤモヤいたよねー」
「だろ!? 俺はあの怪異を退治してたんだ!事情を知ってるなら、お願いだからあのチャンバラ動画の拡散を止めてくれ、消してくれ!」
勝機を見出した俺の言葉に、しかし、ユナは悪気ゼロの100%の笑顔で言い放った。
「え?アタシ、お兄さん信じてるよ? でも、それとあの動画が爆笑なのは別じゃん☆」
「お、俺はおもしろくねーよ!」
「え、なんでー? 今お兄さん、学校で一番バズってて人気者だよ!?」
ユナの瞳には、1ミリの悪意もなかった。彼女のなかでは「和哉が本物のヒーローであること」と「動画がおもちゃとして消費されていること」は完全に調和していた。
それどころか、ユナは落ち込む俺を励ますように、とびきりの笑顔で追撃をかけてきた。
「元気出しなよお兄さん! あ、そうだ、よっちゃんにも動画送ったら超ウケててさ、『ウチの学校のグループLINEにも回しとくわ☆』って拡散手伝ってくれたよ!」
「…………」
動画が消えるどころか、他校にまで流出し、社会的信用がさらに更地になったことを確認しただけだった。
◇
放課後、クラス中の笑い者として指をさされながら、俺は這う這うの体でオカルト部の部室へ逃げ込んだ。
「あ、あの……一ノ瀬くん」
部室の隅で、背を丸めて俺を心配そうに見つめていた烏丸さんが、か細い声で呟いた。
「私、ちゃんと見てましたから……。一ノ瀬くんは、立派に戦ってましたから」
「烏丸さん……!」
唯一の味方の言葉に涙が出そうになる。すると烏丸さんは、真剣な表情でスマホを見つめ、机を挟んで座る佐藤のほうを振り返った。
「あの……佐藤くん。あの動画……私の呪術で、呪ってデータごと消去できませんか……?」
「フッ、電子データに干渉する高度な呪詛の反復か」
佐藤が眼鏡をクイと上げる。
「確かに一級呪術師クラスならサーバーごと呪って動画を物理的に消滅させたり、書き換えることも可能かもね。だが、君の今の能力では、まだ無理だ」
「しゅん……」
効果音が聞こえそうなほど落ち込む烏丸さん。
自分の無力さを悔やんだ彼女は、カバンから大切そうに取り出したコンビニの『ツナマヨおにぎり』を、そっと俺の前に押し出してきた。
これが現状、彼女の最大限のバフなのだろう。
「いや、それは烏丸さんの大事なオヤツだろ……」
俺は烏丸さんの限界の優しさに感謝しつつ、申し訳なさからそっと断った。
そこへ、がらり、と部室のドアが開く。
生徒会長・如月結衣が、生徒会室を抜け出してふらりと現れた。
彼女は迷いのない足取りで上座のパイプ椅子にドカリと腰掛けた。
「君たち、よくやってくれた。グラウンドの怪異は消滅したのを確認したよ。今回のことも部費に予算を上乗せしておく」
学校の秩序を守る冷徹な支配者からの、思いがけない高評価。おまけに部費の上乗せという最高の『アメ』まで提示された。
(今ならいける……! 成果を出した今なら、少しは我が儘を聞いてくれるはずだ!)
俺はここぞとばかりに交渉を持ち掛けた。
「如月先輩! お願いです、生徒会の権限とかを使って、あの動画の拡散を止めてもらえませんか! 先輩の依頼をこなした結果なんです!」
学校の生徒の最大権力者に、俺は最後の希望を託して直談判した。
しかし、如月先輩は長く美しい黒髪を指先で弄びながら、にべもなく即答した。
「断るよ、一ノ瀬。私は今回の鎧武者の件に関しては君たちを非常に高く評価している。……だがね、動画がバズっているのは完全に君個人の案件だ。私が君の羞恥心を守ってあげる義理はないよ」
「そんな……!」
「それに」
如月先輩は極上の笑みを浮かべ、俺の退路を完全に断つ言葉を告げた。
「あの動画、日和ちゃんのグループから発信されたものだろう? 君が妹と直接交渉すればいい。頑張ってね、傘侍くん」
完全に利用されるだけ利用され、用が済んだら切り捨てられた。
◇
すべての救いが消え去り、精神的にボロボロになった俺は、トボトボと家に帰り着いた。
せめて、家では美味しいご飯を食べて癒やされたい。俺はあの美味しかった生姜焼きの味を思い出し、淡い期待を胸にリビングのドアを開けた。
テーブルの上には、一人前の皿がポツンと置いてある。
「飯……!」と駆け寄った俺は、しかし、その皿の中身を見た瞬間に凍りついた。
そこに盛られていたのは、茶色い、見覚えのある粒々――『ドッグフード』だった。
「あの、日和さん?」
リビングのソファで、スマホをいじっている妹に、俺は震える声で尋ねる。
「それ、コテツのだから」
「……俺のは?」
「うちには侍なんていない」
一言、冷酷に切り捨てられた。つまり、俺の分は用意されていない。
俺の社会的死を知る由もない愛犬コテツは、俺の帰宅に大喜びしていた。
俺の片足に絡まるほどの至近距離まで近寄ると、嬉々としてマイペースに、その足元をくるくると、何度も何度も回り始める。
タカタカタカタカ……。
タカタカタカタカ……。
フローリングをリズミカルに叩く爪の音だけが、静まり返ったリビングに虚しく響き渡っていった。
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