カイルという人物
「静寂の葉亭」——その名を私が口にした瞬間、トニの瞳が大きく見開かれた。
先ほどまでの怯えた表情から一転、彼は驚きと警戒の入り混じった眼差しで私とカータを交互に見つめ直す。そして周りに誰も聞き耳を立てていないかを素早く確認すると、声をひそめて身を乗り出してきた。
「な……なぜ、その店の名をご存知なのですか? あれは一般の観光客や商人が立ち寄るような場所では……」
トニの視線が、身に纏うマントの隙間や、カータへと注がれる。彼は何かを察したように息を呑み、胸元の木札をそっと服の内に隠した。
「……やはり、心当たりがおありのようですね」
柔らかく微笑みながらも、フードの影から覗く瞳に確かな意思を宿らせ、トニに向かって静かに囁いた。
「私たちはパビリオンから来ました。ギルドの幹部……ヒルダさんからの紹介状を持っています。本当なら直接お店へ伺うつもりだったのですが、道中であなたがお困りのようでしたのでね」
「ヒ、ヒルダ様の手紙を……!? それは本当ですか!」
トニの顔に明らかな安堵と、かすかな希望の色が浮かぶ。
「……助かりました。実は私、その『静寂の葉亭』へ納品に向かう途中だったのです。ですが、最近この街に逃げ込んできた『穏健派の貴族様』のゴタゴタに巻き込まれましてね……店の方も今、ただならぬ事態になっているのです」
トニは散らばっていた荷物を素早く鞄に詰め込むと、立ち上がり、私たちに向かって深く頭を下げた。
「お二人さん、命の恩人だ。街の噂や、今起きている騒動についても道中で説明しますから……どうか、力を貸していただけませんか?」
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トニの案内のもと、二人は活気あふれる大通りを抜け、入り組んだ路地裏へと足を踏み入れていく。
「私が商品を卸している方がカイル様と言いまして、穏健派の末席にその名を並べる貴族様です。王国軍での功績を認められ、騎士の称号を昨年に拝されたのですが…少々変わったお方でして…」
「ほう… ?変わったお方」
「そうなんです…何でも、品質の保証された品物でないと買わないと…このアルカディアでは多くのものを取り扱っておりますが、何せ商人が多く、私のようなものでは品質保証を行ってくれるギルドへの納品と買い付けになるのですが、このところどこも品薄が続いておりまして…」
「…では何故カイル様との取引を続けているのですか?」
「それは…家族のことで…」
そういうとトニは苦い顔をする。
「ささ。詳しい話は中で」
トニに促されるようにして足を踏み入れたのは、薬草特有のツンとした青臭さと、乾いた土の香りが充満するこぢんまりとした家屋だった。壁には乾燥中の薬草が何束も吊り下げられ、奥の作業台には使い込まれた蒸留器や天秤が整然と並んでいる。どうやらここは、トニの自宅兼、調合・保管を行う作業場でもあるようだ。
トニは入口の戸締りを念入りに確認すると、深々とため息をつき、椅子を勧めてくれた。
「失礼します……。ふむ、外観の質素さに反して、とても手入れが行き届いた良い作業場ですね。保管されているハーブの保存状態も素晴らしい」
椅子に腰掛けつつ、部屋の様子を観察しながら静かに語りかける。
「さて……トニさん。先ほどの続きを聞かせてもらえますか? 品質に過剰なまでにこだわる『カイル卿』という騎士貴族、品薄が続くギルド、そしてトニさんのご家族のこと……。僕たちで力になれることがあるかもしれません」
トニは言葉を詰まらせながら、胸の内を絞り出すように語り始めた。
「……実は、私の幼い娘が重い『魔力拒絶症』を患っていましてね。定期的に純度の高い特別な鎮静薬を投与しなければ、命に関わるのです。そして……その薬を調合・提供してくださっているのが、他ならぬカイル様なのです」
トニの手に力がこもる。
「カイル様は元々、王国の軍医として前線におられた方で、独自の医療技術をお持ちです。静寂の葉亭というのは、彼の住んでいる屋敷の名前でして。なにぶん完璧主義者なお方で『不純物の混ざった粗悪な薬草で調合した薬など、患者への冒涜だ!』と、粗悪品の買い付けを絶対に許さないのです。もし私が質の良い素材を納品できなくなれば、娘の薬を作ってもらえなくなる……」
「なるほど……。だからこそ、あの質の良い薬草にこだわり、借金をしてまで買い付けようとしていたのですね。……ですが、なぜこのアルカディアで急に薬草の品薄が起きているのです?」
「穏健派の亡命貴族たちがこの街に雪崩れ込んできたせいです。彼らは自身の保身や軍事用として、市場の高品質な薬草や魔導具を『買い占め』しているのです。しかも、その裏で貴族同士の主導権争いが勃発しており……カイル様ご自身も、穏健派内部の反発分子から『暗殺の標的』にされているという噂まであります」
そこまで話すと、トニはすがるような目で私達を見つめた。
「……ヒルダ様の紹介状を持つお方なら、この街の異常な状況を打開できるかもしれない。モルガン様……どうか、カイル様にお会いしていただけないでしょうか?」
(まずいな…。身を隠している間に事態は急変していたらしい…が。)
そういって考えていると、カータが私の裾をぐいっと引っ張り唇を私の耳に近づける。
「ご主人様…!あの人、嘘をついている匂いはしないです…僕、できることがあるなら、なにか…」
そう言って私の方をじっと見ている。
「……分かった」
小さく吐息をつき、私はカータの頭にぽんと手を置いた。耳元に残る少年の吐息と、真っ直ぐな瞳。彼特有の鋭い嗅覚——そしてそれ以上に誤魔化しようのない純粋な善意が、私の迷いをそっと後押しする。
「カータがそう言うなら、信じてみる価値はあるかもしれない。それに、カータがそこまで言うのを止める理由もない」
視線をカータから外し、前方にいる人物へと戻す。まだこちらの様子を伺うように、硬い表情のまま佇んでいる。
「わかりました。ぜひ協力させてください」
私達はトニから詳しい話を聞くことにした。




