大声
「き…綺麗です…!」
街の入り口となる高台から見下ろすアルカディアの景色。まばゆい陽光を反射して輝く青々とした海と、運河に沿って幾重にも立ち並ぶ色とりどりの建物群、そして港を行き交う白い帆船の群れが、一望のもとに広がっていた。
息苦しい灰色の街並みや、命懸けの逃走劇から解き放たれた瞬間だった。カータの瞳には、生まれて初めて目にする雄大な港町の景色が鮮やかに映り込んでいる。
「……ああ、本当に素晴らしい眺めだね。」
隣で目を輝かせるカータの横顔を見つめ、少し柔らかい笑みを浮かべる。身体に潮風が心地よく吹き抜けていく。
「君にこんな景色を見せてあげられて良かったよ。ここまで来られたのは……他でもない、君が私を守ってくれたおかげだからね」
そっとカータの胸元に手を当て、彼が肌身離さず着けてくれている、あの魔導障壁のネックレスを見つめた。
「ですが、見とれてばかりもいられないな。……よし、まずはヒルダさんに教えてもらった隠れ家……東区画の薬草店『静寂の葉亭』を目指そうか。街の熱気に飲まれないよう、手を繋いで行こう、ほら」
優しくカータに手を差し伸べながら、活気溢れるアルカディアの大通りへと歩みを進めようとすると、前の方から大きな声がする。
「助けてくれぇ!」
カータが嬉しそうに自らの手を重ねようとしたその瞬間、人込みを割って走り込んできたのは、息を荒らげ、身なりを乱した中年の商人だった。その背後からは、ガラ行儀の悪い大柄な男たちと、一人の青年が、怒号を上げながら執拗に追いかけてくる。
「逃げられると思ってんのか、おい! 借りたもんは利息をつけてきっちり返してもらおうじゃねえか!」
「待てっ! 来るな、あいにく今は持ち合わせが……!」
商人は必死に逃げ惑うあまり足をもつれさせ、ちょうど目と鼻の先で豪快に転倒してしまった。散らばる荷物の中には、珍しいハーブや調合用と思われる薬草の束が覗いている。賑やかな通りは一瞬にして静まり返り、野次馬たちが遠巻きに様子を伺い始めた。
「おっと……! 大丈夫ですか?」
とっさに商人へ手を貸して引き起こしつつ、素早く男と追手たちの間に入り込む。転がった荷物の中に混ざる薬草を見つつ、背後にいるカータへ短く視線を送り、集団を率いている青年に話しかける。
「……すみませんが借金取りの皆さん、街の真っ昼間から大騒ぎして追いまわすのは、少々不躾じゃないですかね?」
フードの深さを調整し、身分が割れないよう警戒しながらも、落ち着いた態度で男たちの前に立ちはだかる。
「おうおう。誰だあんたは。この街での取引に手を出そうってのかい?こっちも商売なんだよ!」
男たちは私を睨みつけると、頭に血を上らせ拳を鳴らした。
その威圧的な態度に周囲の野次馬たちはサッと距離を置くが、倒れていた商人は私の背中にすがりつくようにしてガタガタと震えている。大柄の男たちとは別に、男の粗暴な立ち振る舞いとは裏腹に、その目つきは鋭く、単なる街のならず者ではない無駄のない隙のなさがあった。
「手を出そうなんて滅相もない。ただ、大通りのど真ん中でそんな乱暴をされては、通りすがりの旅人も落ち着いて買い物ができないと思いましてね」
穏やかな微笑みを崩さないまま、さりげなく男たちの懐や腕の動きを観察する。そして、足元に散らばった薬草——その中にある「希少な変色性の乾燥葉」へ一瞬だけ視線を落とした。
背後に控えるカータへ、声には出さず「いつでも動けるように」と小さな視線で合図を送りつつ、男たちへ向かって足取りを半歩進める。
「それに、この男が背負っているのはただの雑品ではないようだ。……もし支払いが滞っているというなら、暴力で踏み倒させるより、彼が持つ『価値ある商品』で正当に清算させる方が、お互いにとって利口な取引だと思いませんか?」
手のひらを軽く広げ、敵意がないことを示しながらも、内部の魔力をいつでも展開できるよう指先にわずかに集中させる。
よく見りゃいい女だな。それじゃああんたが金をくれるのかい?いいか。俺らは金が回収できれば何だっていいんだ。あんたが払ってくれてもいいぜ?身体だって何でもなぁ…」
男は完全に頭に血が昇り続けているようで、とにかく金を回収したい様子だった、後ろの大柄な男たちはそんなことには気にもせず、ゲスな笑みを浮かべ卑しい視線を私と、その隣に立つカータへと向けた。
「……僕の連れに、ずいぶんと無礼な口を利いてくれますね」
ポケットの中で、小さな試薬の瓶の蓋をそっと緩めた。
「金で解決するなら話は早い。彼があなた方に負っている借金は、利息を含めていくらです? ……ただし、正当な書面と契約に基づいた金額でなければ、一銅貨たりとも払う気はありませんが」
言いながら、足元に散らばった薬草の中から、一束の「変色性の乾燥葉」を拾い上げる。
「それに……あなた方、気づいていないのですか? この男が持ち歩いている薬草の中に、加熱すると極めて強力な麻酔ガスを発生させる『眠り毒草』が混ざっていることに。もしここで乱暴を働いてその袋が破れでもしたら……困るのはあなた方の方ですよ?」
はったりと確信を織り交ぜた言葉を投げかけながら、相手の反応とスキを冷徹に見極める。
「眠り薬?それはありがたい。ガタガタ言わねぇでいいから払いな。こっちだって正式な仕事なんだ。払わねぇって言ったら今日ばかりは引いたっていいが、もう待てねぇんだよ。…しかし大きな声は、悪かったよ。俺らも悪人じゃぁねぇ。少々取り乱した。あんたにも悪いことを言った。オメェら引き上げだ」
男は舌打ちをひとつ漏らした後、私とカータ、そして商人に頭を下げた後、仲間たちに手で合図を送り、そそくさと人混みの奥へと消えて行った。どうやら悪い人間ではないようだ…それよりも問題は…。と思っているとカータが私に抱きついてきてプルプルと震えている。慌てて抱き返して頭を撫でてあげる。
大通りに静けさが戻り、遠巻きに見ていた野次馬たちも潮が引くように去っていく。
助けられた商人は、膝をガクガクと震わせながら何度も深く頭を下げた。
「た、助かりました……! 本当にありがとうございます! あのままじゃ身ぐるみ剥がされるところでした……。私の名前はトニ、この街で行商をやっている者です」
そう言って必死に散らばった荷物をかき集める男——トニの手元を見逃さなかった。彼が大切そうに抱え直した鞄の隙間から、穏健派の暗号印が刻まれた木札が覗いている。
「怪我がなくて良かったです、トニさん。……ですが、大通りであそこまで追い詰められるとは、ずいぶんと大変な状況のようですね」
かがみ込んで落ちた薬草を拾い集めるのを手伝いながら、トニだけに聞こえる低く落ち着いた声で話しかける。
「商人さん。その荷物の中身……そしてその木札。もしかしてあなたは、ただの行商人ではないのでは? 差し支えなければ、少し静かな場所でお話を聞かせてもらえませんか。僕たちは『静寂の葉亭』を探している旅の者なのですが」
「静寂の葉亭」の名を口にした瞬間、トニの表情が大きく変わったのを私は見逃さなかった。




