【閑話】美味しいご飯はいかが?
アルカディアに出発する少し前のこと…
アジトの地下から古い調合道具を引っ張り出し、隠れ家全体の防衛術式を点検し終えたところで、ふと静けさに違和感を覚えた。
足音がない。
逃走劇の緊張が解け、丸一日泥のように眠ったあとのカータは、すっかり元気を盛り替えさせていたはずだ。つい先刻まで私の後ろをちょこちょことついて回っていた気配が、いつの間にか消えている。
(……どこへ行った?)
嫌な予感が胸をよぎり、背筋に冷たい汗が伝う。追手の影か、それとも強硬派の罠か。焦燥感に駆られ、腰のナイフに手を伸ばして玄関へと向かった、まさにその時だった。
バタンッ!
重い木扉が威勢よく開き、小さな影が跳び込んできた。
「ご主人様! すごいもの、見つけました!」
「っ……! カータ!」
血相を変えて構えかけた私だったが、飛び込んできた姿を見てその手をピタリと止めた。
そこにいたのは、敵の刺客などではなく──鼻の頭に泥をちょんとつけ、両手で大事そうに何かを抱え込んだカータだった。ピンと立った猫耳を誇らしげに誇示し、興奮で太くなった尻尾をぶんぶんと左右に振っている。全身から「褒めて!」と言わんばかりのオーラが溢れ出していた。
「勝手に外へ出るなと言っただろう……! 一体何をして……」
呆れと安堵が混ざった溜息をつきながら、体格差を埋めるようにゆっくりと腰を落とし、カータと目線を合わせた。注意しようと目つきを鋭くしたものの、泥だらけの手で大切そうに差し出された「戦利品」を見て、言葉を失う。
カータの手の中にあったのは、青々とした瑞々しい香草の束だった。
「裏の岩陰に、いっぱい生えてたんです! これ、前に工房で見たことあるやつだと思って……! お肉と一緒に使えませんか!?」
目を輝かせて見上げてくるカータから香草を受け取り、目と鼻でサッと検分する。茎を指先で少し潰し、立ち上る香りを確かめた。
「……これはタイムと、ワイルドガーリックだな。毒性はない……いや、それどころか極上品だ。時期としては遅いのによく見つけたな、カータ」
「ほんとですか!? えへへ、ご主人様のお手伝い、できた……!」
褒められた瞬間、カータの耳が嬉しさのあまりピクピクと跳ね、パタパタと勢いよく揺れる尻尾が私の脚にすりすりと巻きついた。その愛らしい反応に、表情が自然と緩んでいく。
「ああ、大手柄だ。……よし、今夜はこの香草を使って、とびきりの晩ご飯にしよう」
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アジトの小さな厨房に、途絶えていた温かな火が灯す。
棚に眠っていた保存食の塩漬け肉。これまでは生き延びるために泥のように噛み砕くだけだった素朴な食材をカータの「戦利品」によって、極上のごちそうへと姿を変えていく。
「さて…どうしようか…!」
カータが摘んできたガーリック草を、すり鉢で丁寧に叩き潰す。立ち上る強烈で芳醇な香りに、カータが「うにゃ……っ」と鼻をくしゃくしゃにさせた。それを隠れ家に残されていた上質な油脂と混ぜ合わせ、厚切りにした塩漬け肉の表面へたっぷりと塗り込んでいく。
温まった鉄鍋に肉を投入した瞬間──
**ジュウゥゥゥゥッ……!**
激しい音とともに、香ばしい脂の匂気とガーリック草の刺激的な香りが、狭いアジトいっぱいに弾けた。表面がこんがりと狐色に焼き上がり、ジューシーな肉汁が溢れ出す。
続いて、ワイルドタイムを束ねて麻糸で縛り、煮込み鍋へ放り込んだ。
硬く締まった塩肉の塊と、ヒルダが置いていった上質な赤ワイン、そして根菜を一緒に放り込んでコトコトと弱火で煮込む。やがてワイルドタイム特有の爽やかで甘い香薬の気が広がり、肉の臭みを完全に消し去っていく。ワインのコクが染み込んだスープは、一気に深みのある琥珀色へと変わっていった。
「うわぁ……ご主人様、すごくいい匂いです……!」
鍋の横でつま先立ちになり、目を丸くして鼻をヒクヒクさせているカータ。モルガンはその頭を優しく撫でながら、一皿の盛り付けに手をかけた。
「カータ、猫人族にはこの塩肉は少々塩分が強すぎる。……少し待ちなさい」
モルガンはカータの分の肉だけを鍋から取り出すと、丁寧にお湯にくぐらせて余分な塩気を抜いた。さらに、ナイフとフォークを使って、カータが食べやすいよう一口大の大きさに小さく小さくほぐしていく。
「はい、どうぞこれはカータの分だ」
「ありがとうございます、ご主人様!」
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木製のテーブルの上に、香ばしく焼き上がった香草焼きと、湯気を立てる熱々の煮込みスープが並べられた。
待ちきれない様子でフォークを手に取ったカータが、小さくほぐされたお肉を口に運ぶ。
「んん〜〜〜っっ……! おいしいっ!!」
一口噛み締めた瞬間、カータの瞳が溢れんばかりの感動で輝くのが見える。よかった。美味しくできたみたいだ。それを見た私もガーリック草の旨味とお湯で調整された絶妙な塩加減、そして柔らかな肉の旨味が口いっぱいに広がる。
カータの耳がパタパタと羽ばたくように動き、背中の尻尾がごきげんに揺れる。
「美味しいです、ご主人様! お肉がすっごく柔らかくて、スープも温かくて……!」
夢中でほおばり、口のまわりに少しスープをつけながら満面の笑みを浮かべるカータ。その姿を見つめながら、モルガンも自分のスープを一口、口へと運んだ。
ワイルドタイムの香りが鼻腔を抜け、温かいスープが胃に染み渡っていく。
逃亡の恐怖、父の真実を知った時の衝撃、冷たい夜の記憶──胸の奥に澱んでいた硬い結び目が、湯気とともにじんわりと解けていくようだった。
「……そうか。お前が香草を見つけてくれたおかげだな」
「えへへ……僕、もっとたくさんお手伝いしますね! ご主人様をずっとお世話できるように!」
鼻が高くなったカータが、胸を張って無邪気に笑う。
モルガンは微かに目を細め、自分の手からスープを一口、ふーふーと息を吹きかけて冷まし、カータの口元へと運んでやった。
「……焦らなくていい。君が立派に育つまでは、私もしっかり頑張るから…」
「ん……あむ。久々に食べるご主人様のご飯……やっぱりおいしい……!」
モルガンから差し出されたスープを嬉しそうに飲み込み、カータは満足そうに目を細めてモルガンの腕に体を寄せてきた。
小さな隠れ家の中には──香草の豊かな香りと、スープの湯気、そして互いを愛おしむ温かな体温で満たされていた。
【モルガンの日記】
アジトについて何日か経ったが、追手の気配は今のところない。ここまでの道のりとしてもそこまで遠いわけでもないと言っていたため、とりあえずは一安心…だろう。
久しぶりにカータに料理を振る舞った。研究だの何だのと忙しくしていた私に料理を作ってくれるカータも愛おしいが、やはり自分が作ったものを美味しいと食べてくれる人がいるというのは嬉しいことだと、こういう状況になると改めて思う。…もう少し料理の勉強をしてもいいかなと…思ったりして…。(日記の最後はぐちゃぐちゃに黒塗りされ読むことができなくなっている)




