私の手で。私達の手で。
「パビリオンに行くんですか?」
「あぁ。父の蔵書にヒントがあるかもしれない。昔、父は各地に蔵書を寄贈していた…あまりに持ち歩けないほどの文献と植物の絵を描き続けていたからね」
「あの…ご主人様…なんでそこまでしてクルマバソウにこだわるんですか?」
「…父ができなかったことを、なんとかしたいんだ。それがないと…前に進めない気がしていて」
「…わかりました」
「それでなんだが、カータ君には──」
「僕も行きます」
「…すまないがカータ。ヒルダからの手紙で、ここ最近は王都の強硬派が動きを強めている。だから…」
「だからこそです。私も一緒に…いさせてください。ご主人様を一人にしたくないです」
「…わかった。一緒に行こう」
呆気ないほどすんなりと折れた自分に、モルガンは心の内で苦笑した。かつて「効率」と「正解」だけを追い求めていた自分なら、危険が予測される同行など一蹴して一人で向かっていただろう。
だが、あの嵐のような夜を経て、互いの醜さも弱さも曝け出した今のふたりにとって、離れ離れになることこそが何よりの不合理だった。
「本当ですか……!?」
カータの丸い瞳がぱっと輝き、三角の耳がピンと嬉しそうに跳ねる。断られると身構えていたのだろう、ギュッと握りしめられていた小さな拳が、安堵とともにゆるゆると解けていった。
「あぁ。ただし、私の指示には絶対に従うこと。それから……強硬派の手がどこまで伸びているか分からない。王都の手前までは極力目立たぬよう、裏道を進む」
「はい! ご主人様の足引っ張らないように、僕、なんでもしますから!」
頼もしい返事とは裏腹に、今にも跳びはねそうなカータの尻尾を横目で見ながら、モルガンは作業台の上の荷造りを進めた。今のままではきっと私は父に囚われて、前に進めないのだ。
「父ができなかったこと」を証明するために向かう旅だ。クルマバソウの不安定なマソを解き明かす鍵は、きっとそこにある。かつての自分なら、それを「完璧な薬学の完成」という意地のためだけに追っていただろう。
父を超えるため。それ以上に今度こそ「大切なもの」を傷つけず、カータと共に歩むための答えを探すために。
モルガンは軽く旅用の鞄を肩に担ぎ直すと、待ちきれない様子で靴を履くカータの頭に、そっと大きな手を乗せた。
「行くぞ、カータ」
旅支度を整え、静まり返った工房を後にする直前。モルガンはふと足を止め、胸の奥から湧き上がる静かな感慨に浸っていた。
(……あのまま一人で、冷たい過去から逃げ続けるだけの人生だったら、私は一生この因縁と向き合うことすら拒んでいただろう)
傷つき泥に塗れても、まっすぐに自分を信じ、愚かな自分をも抱きしめてくれた小さな存在がいる。そして、あの子がいたからこそ…またクルマバソウの可能性を探ることができている…かつての父のように。
そして何より、温かな光との出会いがあったからこそ、怯えていた過去や父の残した足跡に、もう一度自分の足で踏み出す勇気をもらえたのだ。
「……ご主人様? どうかしましたか?」
門のところで旅用の小袋を肩にかけ、モルガンを振り返るカータ。その耳が不思議そうにぴくりと揺れる。
「……いや。何でもない」
モルガンはふっと柔らかく目を細めると、いつもよりずっと力強く、まっすぐな足取りでカータの元へと歩み寄った。そして、その愛おしい頭を静かに、けれど万感の思いを込めて撫でる。
「ただ……君に感謝していたのだ、カータ」
「えっ……急にどうしたんですか……?」
意図が分からず照れくさそうに顔を赤らめるカータの手をぎゅっと握りしめ、モルガンはパビリオンへと続く道を遠く見つめた。自分一人では絶対に辿り着けなかった未来へ。二人でなら、どんな過去の影も、王都の暗雲も、きっと乗り越えていけるのだと信じながら。




