おはよう
前に登場したサンゴシュバコウという植物を、クルマバソウに変更しました。すみません。
パチリ、と目を覚ました瞬間、部屋を満たす光の角度に違和感を覚えた。
カーテンの隙間から差し込む光は、朝の柔らかいものではなく、明らかに頭上高くから降り注ぐ強い黄金色――昼の光だった。
「……ん……? あ、朝……日……!?」
ガバッと跳ね起き、枕元の時計を見つめる。
針が指し示す時刻は、正午を大きく過ぎていた。
(っ〜〜〜〜〜!? 嘘だろう、寝過ごした……ッ!?)
規則正しい生活を誇り、毎朝日の出とともに起きて薬草の仕分けをするのが日課だったこの私が、まさかの大寝坊である。長旅の疲労もあったのだろうが、何より昨夜「あの決意」をしたことで、長年自分を縛っていた張りつめた緊張の糸が完全に切れてしまったらしい。
慌ててベッドを飛び出し、リビングへと急ぐ。
「か、カータ……! すまない、寝坊をして――」
パッとドアを開けた私の目に飛び込んできたのは、リビングのテーブルで、ちょこんと首を傾げて私を見つめるカータの姿だった。
その膝の上には宝物のノート、鉛筆と薬草図鑑。そしてテーブルの上には、冷めないように布が被せられたスープの深皿と、焼き立てのパンが並んでいた。
「あ……ご主人様! おはようございます……!」
カータはパッと顔を輝かせ、ピンと立った猫耳をぴこぴこと揺らした。
「カータ……君がこれを作ってくれたのかい……?」
「はい! ご主人様、すっごく気持ちよさそうに眠っていたので……起こしちゃ悪いなと思って。本を見ながら、がんばって温め直しました!」
「えっへん」と言いたげに胸を張っている。
朝早く起きて自分を起こさないよう静かに過ごし、拙い手つきでお昼ご飯を用意して待っていてくれたのだ。
(……!! )
私は自分の不覚を恥じるのも忘れ、膝から崩れ落ちそうになるのを必死で耐えながら、カータの頭をわしわしと撫で回すのだった。
「ありがとう。…いただきます」
ご飯をいただいていると、カータは買ったノートを私へと向けてきた。
「ご…ご主人様…これ」
照れくさそうに差し出されたノートのページを開くと、そこには鉛筆で丁寧に描かれた植物の絵が並んでいた。
まだ筆圧が安定しておらず線はたどたどしいが、葉のギザギザした形状や茎のつき方など、薬草の特徴が実に的確に捉えられている。図鑑をじっくり観察しながら、一筆一筆真剣に書き写したことが痛いほど伝わってきた。
「これは……『月見草』と『銀鈴草』かい? ここまで特徴を捉えて描けるなんて……すごいよ、カータ。」
「へへ……! ご主人様の本を見ながら描いたんです。いつか名前も文字で書けるようになりたくて」
誇らしげに目を輝かせる姿に胸が熱くなる。
「そうだ、カータ。昨日ヒルダから受け取った手紙を覚えているかい? 依頼が入っているはずなんだ。来月の納品物を確認したいから、見せてくれるかな」
「はいっ! これですね!」
カータが大事にしまっていた手紙を取り出して渡してくれる。
封を開けて目を通すと、急ぎの注文や、必要な薬草のリスト、調合してほしい薬がずらりと並んでいた。
手紙の束の底に、もう一通、封蝋のされていない小さな羊皮紙が紛れ込んでいるのに気づいた。
ヒルダ独特の、崩れた筆跡で書き殴られた短文だ。
『追伸。王都の騎士団や貴族連中からの薬の注文が、ここ数か月で異常な勢いで跳ね上がっている。おかげで民間への供給を絞らざるを得ない状況だ。どこかで戦争でも始まるのか、それとも別の“何か”か……詳しい理由はまだ掴めないが、ただ事じゃない。山奥にいるからと高を括らず、当面は身の回りに警戒しておきな。』
「……王都からの大量注文、か」
手紙を指先でじっくりとなぞりながら、思考を巡らせる。
ただの病の流行なら、特定の解毒剤や解熱剤に注文が偏るはずだ。だが、ヒルダの書きぶりから察するに、遠征や戦闘を前提とした汎用的な傷薬や精力剤、あるいは軍用薬品の買い占めが行われている可能性が高い。
(……ふむ、来月までにかなりの量を揃える必要があるな。明日からは本格的に材料の採取と調合に入らなければ。はぁ。厄介ごとが起きなければ良いが…)
私の雰囲気が急に変わったのを察したのか、膝の上のノートを抱えたカータが、心配そうに猫耳を寝かせて覗き込んできた。
「ご主人様……? むずかしいお顔をして、どうしたんですか……?」
重苦しい思考を意識して振り払い、私はカータの柔らかい頭をそっと撫でてやった。
「なに、少し昔の知り合いからの小言だよ。……大丈夫、何も心配いらない。さあ、約束通り文字の勉強を始めようか」
「あ……ご主人様、お仕事、お忙しいですか……?」
「いや、大丈夫だよ。それにね、君と約束しただろう? 納品の準備も大切だが、君との時間も同じくらい大切だからね」
そう言うと、カータの表情がパッと華やいだ。
「本当ですか!? やったぁ! ご主人様、よろしくお願いします!」
「あぁ、任せなさい。まずは……さっき君が描いてくれたこの薬草の名前から、一緒に書いてみようか」
一抹の不安はあるが、私には守りたいものもできた。今はそれを噛み締めてもバチは当たらないだろう。
こうして、工房の柔らかな昼光の中で、二人の小さな「教室」が幕を開けるのだった。




