想い
パチンと指を鳴らして火をつける。火が薪に移り、心地よい爆ぜる音が響き始めた。
「きょ……今日はご主人様が先に入ってください……。僕が外で薪をくべて、お湯の加減を見ておきますから」
「いやいや…大丈夫だよ、私が見るから」
「僕……ご主人様にいっぱい迷惑かけたから……恩返しです!」
胸を張って言い張る小さな相棒に、私は苦笑を漏らした。
「……わかった。じゃあ、お言葉に甘えるとしよう」
脱衣所で服を脱ぎ、湯気の満ちる浴室へと足を踏み入れる。
湯船にお湯が溜まるのを待ちながら、まずは手桶の水で軽く汗を流した。長旅の疲労が少しずつ解けていくのを感じていると、外の小さな小窓の向こうから、元気な声が飛び込んできた。
「ご主人様ー! お湯の加減、熱すぎないですかー!?」
「ちょうどいい温度だよ、ありがとうカータ! もう薪は足さなくて大丈夫だからね」
「わ…わかりました!」
外から聞こえるパタパタという足音と、一生懸命な声がなんとも微笑ましい。彼なりに私を気遣ってくれるその優しさに、胸の奥がじんわりと温かくなった。
肩まで湯船に浸かり、「はぁぁ……」と深いため息をつく。湯の温もりが身体の芯まで染み渡っていくようだ。
と、その時だった。
カチャリと静かに浴室のドアが開いた。
「……ご主人様。あの……お背中、流します」
見ると、小さなタオルをぎゅっと握りしめたカータが、顔を真っ赤にして入ってきたのだ。
湯気でしっとりと濡れた金色の髪が額に張り付き、大きな瞳が揺れている。
「か、カータ!? 私は自分で洗えるから大丈夫だよ。君は部屋で休んでいなさい」
「いやです……! 僕、助手ですから……ご主人様をお世話したいんですっ」
健気な心意気は本当に嬉しいのだが、いかんせん刺激が強すぎる。
カータは石鹸を泡立て、小さな手で私の背中に手を伸ばそうと一歩踏み出した――その時だった。
濡れた石畳に足を取られ、「にゃっ!?」とカータの身体が大きく宙に浮く。
「危険だ……っ!」
私は咄嗟に湯船から立ち上がり、滑り込んできた小さな身体を腕の中でしっかりと受け止めた。
どばしゃん!とお湯が大きな音を立てて豪快に跳ね上がる。
「……っ、あ……」
私の胸の中にすっぽりと収まったカータは、目を丸くして息を呑んでいた。
湯煙の中、濡れた髪から滴が滴り落ち、細い首筋や華奢な肩のラインが露わになっている。おまけに、水分を含んだカータの甘い匂いが、お湯の熱気で何倍にも強調されて鼻腔をくすぐった。
肌からダイレクトに伝わる、柔らかく温かい触感。
カータの小さな手が、落ちまいとしがみつくように私の濡れた首元へ回される。
「ご、ご主人様……ご…ごめんなさ…っ」
「……怪我はないかい?」
「はい……。ご主人様の胸……すごくトクトク言ってます……」
密着した胸元から、激しく打つ心臓の鼓動が伝わってしまったらしい。
濡れた猫耳がぴくぴくと震え、カータの熱い吐息が私の首筋にハァと当たる。
理性のタガが静かに小さく外れる音がした。
「……ふぅ。怪我がないなら良かった」
湯船の縁に降ろされたカータは、安堵したように胸を撫で下ろした。
だが、濡れた猫耳をぺたんと寝かせ、泡のついた手で自分の鼻の頭をちょこんと触る姿があまりにも無防備で、愛くるしすぎる。
私は少し低い声を出し、意図的に真面目な顔を作ってカータを見下ろした。
「……ところで、カータ」
「ひゃいっ!? は、はいご主人様!」
「大丈夫だから外で待っていなさいと言ったはずだが……私の言いつけを聞かなかったね?」
そう言って、わざと厳しめの目つきでじっと睨みつける。
カータは「っ……!」と肩を揺らし、自分が叱られると思ったのか、大きな瞳を涙目で潤ませて縮こまった。
「ご、ごめんなさい……っ! 僕、お手伝いがしたくて……っ」
「手伝おうとしてくれたのは嬉しい。だが、転んで怪我でもしたらどうするんだい?しかも女の人のお風呂に無断で入ったのは ……お仕置きが必要だな」
「お、おしおき……? ……っ!?」
おびえてギュッと目を瞑るカータ。
その健気で怯える表情の可愛さに内心で悶絶しながら、私は大きな手でカータの両頬を「むにゅっ」と挟み込んだ。
「――お仕置きは、これだ」
むにゅりと潰れてあひる口になったカータの頬を、指先でこれでもかとわしわしと揉みしだき、さらに濡れた柔らかい猫耳の付け根を指先で優しくくすぐり倒す。
「んぁぁっ!? あはっ、ご、ごしゅじんさまぁっ! くすぐったい、あははっ……っ!」
予想外の「お仕置き」に、カータは顔を真っ赤にしてパタパタと手足をバタつかせた。
弱点である耳の付け根を指でくるくると撫で回されるたびに、ビククッと背中を跳ねさせ、とろけた声を漏らして身悶えする。
「うぐぅ……っ、んぁっ、もう、許してくださいぃ……っ!」
涙目で必死に私の腕にしがみつき、降参するように「ふにゃふにゃ」と崩れ落ちるカータ。
困り果てて真っ赤な顔で上目遣いに見つめてくるその表情は、破壊力という言葉では収まらないほどに淫らで、愛らしかった。
(っ〜〜〜!! 可愛すぎる……っ! )
限界を迎えた私は手を放し、息を荒くしているカータをそっと抱き上げると、今度はお湯の中に一緒に入れてやった。
「……まったく。これに懲りたら、次からは大人しく待っているんだよ」
「…はぁい」
湯船の中で私の胸に顔をうずめるカータ。
その小さく温かい抵抗を全身で受け止めながら、私は満足感と愛おしさで胸をいっぱいにする。
湯船の温もりが身体の芯まで染み渡る中、胸元で「ふはぁ……」と安心しきった息をつくカータを抱きかかえる。
出会ってから、まだほんの数日しか経っていない。
かつての私なら、見ず知らずの誰かをこれほど自分の生活の深くまで踏み込ませることも、その言動に一喜一憂して心をかき乱されることも決してなかったはずだ。
人は苦手だった。人と関われば関わるほど、自分の不器用さや歪さが浮き彫りになり、傷つき、いつしか深い山奥で調合に明け暮れることでしか自分を守れなくなっていた。
だが、この子は──。
濡れて束になった髪、湯気で真っ赤になった小さな耳、そして私の服をギュッと握りしめる小さな手。
見返りも求めず、ただ私を頼り、私という存在をそのまま受け入れて笑ってくれる。
(……決めた)
胸の奥で、静かに、けれど二度と揺らぐことのない確固たる決意が固まるのが分かった。
(私はこの子が望む限り、ずっとそばにいよう)
数日前に出会ったばかりの小さな存在が、私が何年もかけて頑丈に築き上げてきた心の壁を、こんなにもあっけなく、あたたかく溶かしてしまうなんて。
「……ご主人様?」
急に静かになった私を心配したのか、カータが湯船の中から上目遣いに覗き込んできた。
「……なんでもないよ。お湯が冷めないうちに、上がろう」
そう言って、私は精一杯優しくカータを抱き上げ、大きなタオルでその小さな身体を包み込んでやるのだった。
【モルガンの日記】
献身的な性格。それでいて…そばにいることが苦ではない。耳ももふもふで─(他ににも色々と書かれているが、ペンで線が引かれていて見ることができない)
と…とにかく、私は彼を好意的に受け止めることができた。
色々と大変な日が続いた。とりあえずゆっくりしたい…今日はもう寝ることにする。




