南風之宮にて②
「そもそもツミに伝わる話には、アガラの船を導いたご先祖様が白かったなんて一言もないんですから」
「まあ。そうなの?」
不満顔のハヅルに対して、そう驚いた様子で言ってから、王女は香茶を一口飲みこんだ。
一族の口伝では、アガラからやってきたツミの長の鳥態について、『ツミの中のツミ』、『一族で最も美しいツミ』だと表現されている。
美しい、と言い切るならば、それは濃く鮮やかな褐色にくっきりとまだら模様の浮かぶ羽根を持っていたという意味だ。
人間態での美醜の感覚は普通の人間と似たようなものだが、鳥態に関しての一族の基準はそうなっていた。真っ白い羽根には決してそんな形容はされない。白の中で色合いの良し悪しが語られることはあっても。
ツミの間では、姿の美しさは鳥態と人間態両方での総合点で評価される。おかげでハヅルやアハトは、人間態では極上と言ってさしつかえない容姿をしていても、里での評価はまずまずといったところだった。
「どうして話が曲がってしまったのでしょうね」
「人の基準では白い方が神秘性が増すのだと教わりました」
王女はなるほどと頷いた。
「それはそのとおりかもしれませんね。褐色の猛禽ならば、わたくしたちの目には普通の鳥ですもの」
色彩が普通だとなぜ神秘性が失われるのか、ツミの感覚ではよくわからない。ハヅルは首をひねりながら、香茶のカップを手にとった。
ちょうどそのとき、扉の向こうから女の声がした。
「王女殿下。おくつろぎのところを失礼ながら、お約束のニースス市長が参りましたので……」
「あら、もうそんな時間でしたね」
扉を開けて入ってきたのはいつもの女官ではない。
長い頭巾で髪を隠し、広い袖に身体の線の出ないゆったりとした長衣の裾をまとった、神官見習いの娘だった。
「宮の司様が先に応接室にてお迎えになっております。どうぞ、お出ましくださいませ。ご案内いたします」
彼女は伏し目がちに、丁寧に腰を折ってお辞儀をした。
ハヅルは四日前から、王女の神殿参拝の供として、ロンダーンの南方神殿『南風之宮』に来ていた。
ロンダーンには全国に無数の神殿があるが、国土の四方に配置された四つの大神殿は、建国の祖神を祀るとして、王家によって直轄されている。
時代によっては、未婚の王族が四方のいずれかの宮の司として派遣されるのが不文律ともなっていた。南風之宮では、先々代の司を先代の王の従姉姫が務めていたという。
南風之宮の司は王女を気に入っているようで、何か行事があるごとにミルハーレン王女を指名して招待状が送られてくる。
全てにはとても出席できないので、よほど重要な行事でないかぎりは代理を送るのが常だ。しかし今回に関しては渡りに船だった。騒がしい王都にも、王女本人の姿がなければどうしようもない。
そういうわけで、もともとは代理の派遣を予定していたものを、急遽王女本人が出席することになったのだ。
行事自体は一週間後なのだが、それに先だっての準備の儀式がいくつか必要で、こうして何日も前から滞在していた。
宮の司の歓待ぶりは、過剰と言ってもよいほど手厚いものだった。朝食会、午餐、晩餐と、神域とも思えぬ贅沢な趣向をこらした食事や演芸が催され、日中のわずかな空き時間にも王女に挨拶をしたいという近隣の有力者が引きも切らずに訪れてくる。王宮にいるよりもよほど華やかなほどだ。
王女は公務としてそつなくこなしてはいたが、ハヅルの目にも少々疲れを感じ始めているのがわかった。
「どうせ、姫を宮の司の次期に据えて、修築の予算増額でも狙ってるんです」
四方のどの神殿を訪れてもそうした意図は見え隠れするのが常だったが、南風之宮は特に顕著だった。
ただ、それも詮無いことではあった。この南風之宮では、つい一昨年に傘下にある国境沿いの町のいくつかが隣国の侵略に遭ったこともあり、参拝客や奉納から得られる収入が激減している。昨年などは年中神事のいくつかを中止、規模を縮小せざるをえなかったくらいだ。
彼女の小声での言葉に、王女は否定はせず、ただ苦笑してみせた。
ハヅルは神殿が苦手だ。
大概の神殿は魔族の力を減じる地形に沿って建築されており、南風之宮も例外ではない。
ツミの一族の能力にはどうやら魔族と共通するものがあるようで、神殿の立地する、神域と呼ばれる地形の内部ではうまく変化ができないのだ。
人間態のときの身体能力にはいささかの衰えもないが、いざというときに変化して力を使えない状況というのはなかなか緊張を強いられるものだった。
加えてもう一つ。
神殿が、というよりも、この南風之宮を苦手とする理由がハヅルにはあった。
案内された応接室の前には宮の司が待っていて、王女の姿に深く頭を垂れた。
ハヅルは王女の背中ごしに、彼女をこわごわとのぞいた。
頭巾の上から銀の円盤を鎖で連ねた略式の冠をつけ、濃い青の長衣は見習いたちと同じような形ではあるが布の量と質は格段に上で、襟周りと袖口に金糸の豪奢な縫いとりがされている。
神官らしくごく薄化粧しかしていないが、整った濃い眉に彫りの深いはっきりした顔立ちは、年相応に刻まれた皺を考慮にいれても美女の部類と言ってよかった。
ただその造作以上に、濃い鳶色の目のもつ眼力の強さが何よりも印象深い。
笑うことがあるのかと疑わせるような雰囲気を持つ、厳めしい女だ。そこらの男よりも背が高く体格もがっしりとしているので、布の量が多く足下まで裾広がりの神官装束もあいまって、彼女はやたらと大きく見えた。
「こちらでございます。王女殿下」
彼女は厳しい顔つきを、可能なかぎり愛想良く笑みの形にゆがめながら王女に手をのべた。
当然、ハヅルは王女の後についていこうとしたのだが……
「これ、鳥娘。お前はいけません」
姿形にぴったり合った、低く厳しい声音が叩きつけるように言った。
ハヅルはぴくりとこめかみを震わせた。
「宮の司殿。そんな呼び方はやめていただきたい」
「鳥娘を鳥娘と呼んで何が悪い。お前はツミの者でしょう」
悪びれもせず、宮の司はハヅルを見下ろしながら言い放った。
つまるところ、ハヅルはこの南風之宮の司が苦手で仕方ないのだ。
四方神殿は建国の祖を祀る場でもある。その司の地位につく者は、ツミの一族についての秘密ごとを、全てでないにしろ知らされていた。
他の神殿の宮の司は、ツミの一族と知れば敬意を払うのが通常だ。
表向きは王宮の庭番として契約されている、武技に優れた傭兵部族というのが彼らの立場だったが、神殿にしてみればロンダーン建国にあたって使わされた御前神の子孫である。約束された王権の守護者なのだ。
だというのに。
「まったく、ツミの頭領はなにゆえこんな幼いひな鳥を王女の守護になど……」
まったくひそめる気のない大きさの声で、彼女はぶつぶつと言った。
「司様。この娘はまだ幼いけれど、ツミの次期副頭領にもなろうという名家の者なのですよ」
さすがにあまりな言いぐさと思ったのか、王女が眉をひそめながら諫言した。
宮の司は困惑したように額をおさえた。表情は、怒っているようにしか見えないのだが。
「殿下がそのようにおっしゃるのではしかたがない」
やっと礼儀を尽くす気になったかと、ハヅルがほくそ笑んだところで、宮の司は真顔で言った。
「鳥娘。お菓子をやるから向こうで待っておいで」
ぶち、と何かが切れる音を、ハヅルは確かに聞いた。
「……司殿、」
「なんです」
ふんぞり返って聞き返した宮の司に、ハヅルは痛烈な一言をぶつけてやろうと口を開いた。
だが結局、彼女は何も言えずに終わった。王女がにこやかにこう言ったのだ。
「ハヅル、外で待っていなさい」
ハヅルは目を瞠って王女を見つめた。
王女はわざわざ宮の司に背を向け、彼女に向き直った。
「奥の院でも見学してきたら? 確か去年、お前のご先祖様の像を白石で新造したのですよ。お前に似て真っ白い、とてもきれいな像よ」
王女の肩ごしに、宮の司の勝ち誇った顔が目に入ってハヅルは歯噛みした。
王女がすまなそうに目配せしたのも、あまり慰めにはならなかった。




