序章⑤
変化の際、彼女はいつも両翼を閉ざした無防備な姿勢のまま突然空中に投げ出される。
くるくるともんどりをうちながらバランスを探り、タイミングをみはからってバサリと広げた。空中で回転が止まり、彼女はそのまま力強く羽ばたいた。首をめぐらして自身の体を確認する。真っ白な両羽根にも尾羽にも異常はない。
急激に広がった視界の中心に、王女が手をさしのべている。ハヅルは急降下してその腕にとまった。
エイが目を丸くしてその光景に見入っていた。
彼が見たのは、不意にその場から幻のようにハヅルのかき消える瞬間と、突然上空に出現した、王女の細腕にとまる鳥。
鋭く鉤状に曲がったくちばしと鉤爪を持つ、小さな白い猛禽の姿だった。
ツミの一族とロンダーン王家の秘密がこれだった。
彼らは鳥に変化することができる。
ロンダーン建国記にうたわれる、王家の祖を現在の国土へと導いた神の使い鳥の正体こそ、彼らツミの一族だった。
むろん、単に変化するだけではない。
力の強さや動きの素早さ、跳躍力や視力聴力が常の人間離れしていることももちろん、ツミの一族の大きな特徴ではある。
だが人間態の彼らはそれほど優れた身体能力をもっていても、一個の人間でしかない。その手/武具の届く範囲にしかその力を及ぼすことはできない。
しかし鳥態となれば事情は変わった。
変化したときの彼らの力は人知を越える。
魔法と呼ばれる、限られた種族しか行使できない力がこの世には存在する。
端的に言ってしまえば、『手を使わずにものに力を加える』力だ。
手で触れずにものを動かし、砕き、ねじり、押しつぶす。あるいは手で触れられないもの、空気や熱、光や水のような流体に影響を及ぼす。
肉体に依らないので筋力は関係なく、手指という形や二本の腕という数の限界もなく、視認できる限りにおいては距離も意味をなさない。
ツミの使うのはその魔法の体裁を持ちながら、人の魔法使いには決してなし得ない何倍もの威力を誇る力だった。それも魔法に必要とされる呪具や呪文は一切必要としない。
鳥の姿をとることで、彼らはその力を自在に操れるようになる。
ハヅルは王女の腕にとまったまま、ひと声鳴いた。
鳴き声と同時に、王女とエイを中心とした円形に薄い光の膜が浮かび上がる。エイを狙って投げつけられた鉄針が、その膜にぶつかった瞬間、あらぬ方向へ弾け飛んだ。
エイは慌てて避けようとしたのだが、王女は落ち着いたものだった。
光の膜はハヅルの力でねじまげられた空気の壁だ。人の魔法ならば結界と呼ばれる術にあたる。ロンダーンの王家の者は、ツミの力について熟知しているのだ。
彼女はハヅルを乗せた腕をかかげたまま歩を進めた。
広場の中心に立つと、彼女は周囲を囲うように一斉に姿を現した襲撃者たちに向かって、唇に薄く笑みを浮かべてみせた。
「ハヅル、彼らを捕まえてちょうだい」
王女の言葉に呼応して、鋭い銀笛の音のような、澄んだ鳴き声が通りに響き渡る。
次の瞬間には、何もかもが終わっていた。
※※※
白い鳥の見えない力によって地面に押し伏せられた賊の数は、建物の屋根の上に潜んでいたものも合わせて二十数人に及んでいた。
見えない、と言っても、賊を押さえつける空気の幕の形に、陽炎のように光の歪む空間が発生している。
エイが斬殺した数を合わせれば、四十名近くが襲撃に動員されたことになる。
それだけの賊を捕縛するのに十分な数の警備兵が来るまで、ハヅルは鳥態を保たざるを得ず、結果、騒ぎに集まってきた多くの一般人に姿をさらす羽目になってしまった。
『変化』は軽々しく行うべきではない、というのが一族の決まりだ。といっても具体的に罰則があるわけではないし、正当な理由があれば特に咎められることではない。
……のだが、ツミの者特有の刷り込みのようなもので、ハヅルは決まりに反した罪悪感に頭を抱えていた。
「大丈夫?」
エイが気遣わしげに彼女をのぞきこんだ。
三人は今、王宮から警兵庁に寄越された馬車に“連行”されつつあるところだった。王女はハヅルとエイの数歩前を警備長官と何事か話しながら歩いている。
ハヅルは顔を上げて、軽くエイを睨みつけた。
「あなたが飛び出さなければ、わざわざ変化する必要なんかなかったんだ。姫を連れて逃げるだけなら容易い話だったのに」
エイは心底すまなそうに頭を下げた。
「すみません。どうも剣を握ると熱くなってしまって」
「熱く……?」
背も凍るような冷徹な剣技を思い出して、ハヅルは首をかしげた。
「……姫も連中を捕まえたがっていたから、結果的には良かったんだろうが」
「怪我の功名になるかな?」
ほっと安堵の息をついたエイに、彼女は続けた。
「だからと言って、姫を危険にさらしたことには違いない。大体、あなたが怪我をしていたらいたで、王子に小言を食らうのは私なんだぞ」
「あ……本当にそうだね。ごめん」
彼は素直に、反省するようにうなだれた。
またしばらく沈黙が続いた。
「それはそうと、」
彼は突然話しかけてきた。
もうしゃべる気はないのだろう思って、黙っていたハヅルは驚いてしまった。タイミングもなにもあったものではない。
もしかしたら、とハヅルは思った。彼は単に話し下手なのでは……?
「君はアハトと違って、真っ白なんだね。不思議だけどとてもきれいだった」
率直に容姿を褒められて、ハヅルの頬がわずかに上気する。彼女はそれを悟られまいと顔をそらした。そうして相手の顔を見ぬまま、浮かんだ疑問を口にした。
「アハトの鳥態をどんな機会に見たんだ? 王子が戯れで変化しろと言ったってするものじゃないのに」
「もちろん、戯れなんかじゃないよ」
エイは静かな口調で言った。
「それではどこで」
ぽつりと、呟きのように彼は答えた。
「昨年、戦場で」
ハヅルはっと目を上げ、背の高い彼の顔を見上げた。
「彼に殺されかけたんだ、僕は」
あまり変化しない表情の中、彼ははっきりと、照れたように笑った。
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ツミの里にも建国の記録がある。口伝てに伝えられ、外の者が知ることのない神話だ。
西海の彼方に存在したアガラの島に、ツミの一族と人の一族が住んでいた。
ツミの長と人の長は互いに厚い友情で結ばれていた。ゆえに、海底の変動による島の滅びに直面して、ツミの長は島民の脱出船を遙かな大陸まで導いたという。
あとの流れはロンダーンで一般に知られるものと変わりない。
人の一族は一羽の鳥に導かれ、たどりついた地を我が領土と定め、今日まで続く千年王国を建国した。
ロンダーン建国記では、神の使いに比された鳥は、小さな白い猛禽の姿をしていたという。
そして、ロンダ―ン王家は、鳥使いの末裔とも言われている。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
序章を終えて次章から本格的にハヅルたちの物語が始まります。
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