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ログアウトできない世界で、俺は一度もログインしていなかった  作者:


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第6話「選択の重さ」

 田中のログを確認したのは、翌朝の始業前だった。早めに出社して誰もいないオフィスでスマホを開くと、担当外れの記録が昨日の日付で入っていた。


 本人の評価には関係ないはずだが、社内での位置づけが変わったことは事実として残る。それが今後に影響しないとは言えない。


 何かできることがあるはずだと思って、田中のログに鉛筆マークを探した。ある。担当外れの記録を「本人希望による異動」に書き換えようとしたが、田中は本人希望ではない、それは嘘だとやり直した。


 「組織再編に伴う一時異動」にしようとして、この記録自体を消すことはできないかと消した。翌日、田中の様子は変わらなかった。


 そうか、と思った。ログを書き換えても、田中の気持ちが変わるわけではない。田中は担当を外されたことを知っていて、ログがどう記録されていようがその事実は田中の記憶の中にある。三回書き換えたが、三回とも何かが違った。


 ログを書き換えることで状況は変えられる、でも田中が経験したことは変えられない。田中の中にある「外された」という感覚は、ログとは関係なくそこにある。


 夕方、給湯室で凪と二人になった。凪はコーヒーを淹れていた。湊が入ってきても振り返らず、カップを両手で包んだまま窓の外を見ていた。


「田中さんのこと、気にしていますか」


「……はい」


「何かしようとしましたか」


 湊は答えなかった。凪はゆっくりコーヒーをひとくち飲んだ。


「黒瀬さん。聞いていいですか」


「何ですか」


「今あなたがやろうとしていること——それ、あなたが選んだって言えますか」


 静かな声だった。責めているわけでも試しているわけでもない、ただひどく真剣な問いだった。田中を助けたいのは本当だが方法が、と言いかけると「方法の話じゃないんです」と凪は言った。


「あなたが誰かのために何かをするとき、それはあなたが本当に選んでいますか。それとも、選ばないといけない気がしているだけですか」


 湊はうまく答えられなかった。選ばないといけない気がしている——その言葉が、胸のどこかに刺さった。


 あのとき田辺のログを書き換えたのも、木村のために加藤のログを変えたのも、今田中のログを直そうとしているのも、本当に自分がそうしたくてやったのか。


 それとも、見てしまったから放っておけなくなって、結果的に選ばないといけなくなったのか。その区別が、よくわからなかった。


「……田中さんを助けたいのは本当です。でも自分のためかもしれない。見てしまったことへの罪悪感かもしれない。区別がつかないんです」


 凪はカップを置いた。「正直に言えましたね」と言った。意味があるのかと聞くと「わかりません。ただ、さっきより少し正直だと思いました」と返ってきた。


「凪さん」


「はい」


「凪さんはどうして、そういうことを俺に聞くんですか」


 凪はカップをカウンターに置いて、湊の方を向いた。「あなたが気になるから、だと思います」と言った。「ログがない、という意味で、わたしは少し特殊です。あなたも、たぶん少し特殊だと思う。何がどう特殊なのかはまだわかりません。でも、同じ匂いがする」と。


 それだけ言って、凪は給湯室を出た。湊はしばらくそこに立っていた。同じ匂い。凪のログが四件しかないことと、自分がログを書き換えられることが、どこかでつながっている——あの感覚と同じことを、凪も感じていた。


 その夜、もう一度だけ田中のログを開いた。今度は担当外れの記録は触らずに、田中のこれまでの業績記録を丁寧に確認した。小さな実績がいくつかあって、適切に評価されていないものが二件あった。


 フラグの設定が甘かっただけで記録自体は正確だったから、正しく修正した。書き換えた、というより、補正した。そういう言い方をすれば少しだけ罪悪感が薄れた。


 保存ボタンを押すと画面がちらついて更新完了の表示が出た。これでよかった、と自分に言い聞かせた。でも今夜は、いつもより時間がかかった。


 アプリを閉じて天井を見た。凪の言葉は答えをくれなかった、ただ問いを残していった。それ、あなたが選んだって言える? まだ、その答えを持っていなかった。

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