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ログアウトできない世界で、俺は一度もログインしていなかった  作者:


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第4話「正しい人間」

 アシスト・コードの業務に慣れてくるにつれて、ログ社会の裏側が少しずつ見えてくるようになった。


 クライアントの多くは、自分のログに悩んでいる人間だった。


 過去の失言が信用スコアを下げていて、就職できない人。


 若い頃の軽率な行動が、今も記録され続けている人。


 何かの手違いで誤ったログが生成され、取り消しを求めている人。


 親族のログの影響を受けて、自分のスコアまで下がってしまった人。


 ログは公正だとよく言われる。


 誰かの主観ではなく、事実だけを記録するから。


 でも湊には、それがひどく残酷なものに見えた。


 人間は変わる。過去の自分と今の自分は違う。


 なのにログは変わらない。


 ある日、三十代の男性クライアントと対応した。


 十年前に会社を倒産させた記録があり、それが信用スコアを下げ続けているという。


「あのときは事業環境が本当に悪くて、ほかの選択肢がなかった。今は別の仕事でやり直しているのに、十年前の記録が全部に影響する」


 男性の声には、怒りよりも疲れの方が多く混ざっていた。


 湊は「申請書の書き方でスコアへの影響を最小化できる場合があります」と答えた。


 それが業務だから。


 でも本当は知っていた。


 この人のログを書き換えることができる。


 そう思った。


 でも、しなかった。


 「記録された事実である以上、修正の申請は受理できません」という回答をクライアントに伝えなければならないとき、いつも少し胸が痛かった。本当は、直せるのに。


 会社の同期に田辺という男がいた。三十代前半で、真面目で仕事の丁寧な男だ。声は小さく笑い方は控えめで、誰かに頼まれれば必ず応じる。残業も厭わない。でも信用スコアがD+で、社内の重要プロジェクトに入れてもらえない。


 理由は七年前に起こした軽微なトラブルのログで、もう解決済みの話で当事者同士は和解しているのに、記録だけが残っている。和解済みという付記はあるのに、スコアへの影響フラグが解除されていなかった。


 システムの処理漏れか担当者の入力ミスか、そういう些細なことで、田辺はずっと割を食っていた。


 あるミーティングでプロジェクトの担当者リストが共有されたとき、田辺の名前はなかった。「また外れた」と田辺は小さくつぶやいた。本人は気にしていないふりをしていたが、湊には聞こえた。隣の席だったから。


 その言葉が、一日中頭から離れなかった。


 俺なら直せる。夕食を食べながら考え、シャワーを浴びながら考え、布団に入ってからも考えた。自分のログを書き換えることと他人のログを書き換えることは違う、全然違う、それはわかっていた。


 でも田辺は悪いことをしていない。七年前のトラブルだって相手も和解している。記録だけが意地悪く残っているだけだ。だから、これは正しいことかもしれない。誰かを傷つけるわけではない、傷ついている人を助けるだけだ。


 その夜、マイログアプリを開いて他人のログに鉛筆マークが表示されるか確認すると、表示された。


 田辺のログの中の、七年前のトラブル記録を開いて確認すると「和解済み」という付記がすでにあり、信用スコア計算への影響フラグだけが外れていなかった。フラグを消した。


 翌週、プロジェクト担当者の追加候補として田辺の名前が挙がった。スコアの再計算で基準をクリアしたらしく、田辺は少し驚いた様子だったが素直に喜んでいた。「ようやく」と小さく言って、珍しく笑顔を見せていた。


 湊はそれを遠目に見ながら息を吐いた。よかった、誰かが救われた。そのことが、素直に嬉しかった。


 でも昼休み、ふと気づいた。さっき自分は、田辺に「こういうログがあるけど、消していいか」と聞いたか。聞いていない。田辺は何も知らない。


 自分のログが書き換えられたことも、なぜスコアが変わったのかも、何も知らないまま喜んでいる。それは、本当に正しいことだったのか。考えかけて、やめた。


 結果はいい、それでいいと自分に言い聞かせながら、残りの弁当をひとくち食べてスマホをしまった。


 夕方、帰り際に田辺の席の横を通ると「ありがとうございます」と田辺が頭を下げてきた。プロジェクトに追加してもらえたことへのお礼らしかった。「頑張ってください」と言って、その場を離れた。


 「ありがとうございます」の言葉が、夜道でも耳に残っていた。

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