第八十八話 白沢病気になる【其の壱】
今回は話数未定の見切り発車です。
長くなりそうなので来週にまたがるかもしれませんが、よろしくお願いします。
病気になった白沢の運命はいかに?
白沢はまどろんでいた。
目は覚めているのになぜか意識がぼんやりしている。
なにか自分の存在自体がぼんやりしているようにも感じる。
誰かが話しかけているような気もするが、聞こえる声がなぜか遠くに聞こえる。
「……」
「……」
よく知っている声の様な気がするが、声が遠すぎて何を言っているのかわからない。
どれ仕方がない、起きるか…白沢は体を動かそうとした。
しかし体は動かない。
自分の体が自分でないような、いや、体だけではない、いまそう考えている自分の意識すらも自分とは少し離れた所にあるような……。
どうもいけない、また眠くなってきた。とりあえずもう一度寝ることとしよう。
「……」
「……」
「……」
まだかすかに何か聞こえるが、もう眠くて仕方がない。白沢は深い深い深海に沈むように眠りについた
——
「白沢殿! 起きぬか白沢殿!」
白沢に向かって何度も叫んでいるのはお舞だ。
その声に異変を感じて部屋に飛び込んで来たのは、隣にある貸本屋の店主で、白沢の旧友でもある麒麟だ。
麒麟は診療所の扉を勢い良く開け、そのまま縁側がつながっている奥の部屋に飛び込んだ。
部屋の中央には布団が敷いてあり、そこに白沢が仰向けになって寝ている。
顔色は青白く、眉間にしわが寄っており、大量の汗をかいている。
その白沢にお舞が馬乗りになり、両手を白沢の頬にはさむように添え大きな声で呼びかけている。
「お舞ちゃん、どないした?」
「白沢殿が朝からずっと目を覚まさん! 疲れて寝ておるだけかと思ったが、声をかけてもゆすっても苦しそうに呻くのみじゃ! 白沢殿は風邪さえかかったことがないのに一体どうしたことか……」
麒麟は直ぐに白沢に駆け寄って、右手を白沢の額に当てる。熱は少しあるようだが意識を失うほど高くはない。脈も少し早い程度であったが、顔色はというとすこぶる悪い、熱があるというのに青白く、それでいて悪い汗をかいている。
麒麟の中でなにか胸騒ぎがする。
「ひとまず医者を呼ぼう。江戸一番の医者は……白沢か……。とにかく少しでも腕のいい医者を連れてくる。お舞ちゃんは白沢のそばにいて引き続き声をかけてくれ」
麒麟は白沢の家を飛び出すと今度は隣の自分の店に飛び込んだ。
貸本屋である店の中には化け猫のお玉と犬神の真生が店番をしていた。
二人とも勢いよく飛び込んで来た麒麟に驚いたが、この二人もお舞が叫ぶように白沢の名前を呼んでいたのを聞いていたので、すぐさま白沢に何かあったことを理解した。
「兄貴! 白沢先生に何かあったんか?」
お玉と真生は心配そうな顔で麒麟を見る。
「ああ、詳しいことは後で話す。すまんけどお玉は九十九茶屋に行って九尾殿を呼んできてくれ、あの御仁も医術に詳しいからな。真生はうちの店から医学書を探して白沢の家に持って行っといてんか」
「おう、まかしといて」
「承知しました」
こういう時の二人の行動は早い、お玉は脱兎のごとく走り出し九十九茶屋へ向かった。
真生はすでに医学書の場所を把握しているようで、本棚から次々と本を抜いていく。元々この貸本屋では医学書も多く所蔵しており、白沢を含む本職の医者も借りていくほどだ。
麒麟はその顧客の中から特に腕がいいと思われる医者の家に向かった。
その医者は但馬(兵庫県)の養父という所から江戸に出てきた医者で、探している本や会話の内容から腕がいい医者であると認識していた。
白沢程ではないにせよ、評判もなかなか良い。
ちなみに現代でも腕の悪い医者の事を“やぶ医者”というが、一説によるとこの“やぶ”という言葉は養父地方の事を指しており、本来ここは腕のいい医者がいることで有名なのだが、それを悪用したいい加減な医者が「自分は養父の医者の弟子だ」と噓をついて患者を集めていたらしい。しかし実際には腕はよくないので信用を失い、結果的に養父の医者は腕が悪いという風評が広がったことによるものだそうだ。
但し、この説は諸説ある中ではあまり有力な説ではないそうだが、この説が一番面白いので筆者はこの説を支持したい。
それはさておき麒麟はその医者の診療所につくとそのまま飛び込んで、まだ他の患者がいる中でその医者を担ぎ上げ、一人で喋って、強引に連れ去ってしまった。
「すんまへんな! 急患なんや先生連れてくで! え? それやったらしゃーないって? おおきに!」
残された患者はあまりの速さにただ茫然とその後姿を見送っていた。
「ちょっとちょっと、麒麟堂さん! どういうことですか⁈ 私はまだ診療中なんです!」
担ぎ上げられたまま医師は必死の抗議する。
「急患やってゆうたやろ、事によると白沢の命があぶないかもしれんのや」
「白沢ってあの白沢先生の事ですか?」
「そや、他にそんな名前の奴おらんやろ」
「でも、あの方白沢というのは通称で、本名ではないでしょう?」
「そんな誰も覚えてない事どうでもええんや、喋っとったら舌かむで!」
「ひいっ!」
麒麟はさらに速度を上げては白沢の家に向かった。
其ノ弐に続く




