第八十三話 春から夏へ【前編】
梅雨も終わり江戸には蒼々(あおあお)とした空が広がっていた。
江戸の人々が暑そうに胸元をはだけ、団扇や扇子をあおいで涼をとろうとする光景があちこちで見られた。
白沢の家の縁側には金魚の風鈴がつるされており、いくばくかの涼を部屋の中に届けているようだがやはり暑いものは暑い。
「もう、本当に暑いわねえ、汗でお化粧が崩れちゃう。これだから夏っていやだわ」
白沢の家の縁側に座って何やら裁縫のしているのは春の女神である佐古姫だ。
「ちょっと~! このおばちゃんめっちゃ感じ悪いんですけど~」
座敷で胡坐をかいている若い女の子が佐古姫を指さして、不満を漏らす。
「ちょっと! だれがおばちゃんよ! あんただって年は同じぐらいでしょう?」
「関係ないじゃん、大事なのは見た目よ、み・た・め!」
確かに桜色の着物を着て落ち着いた雰囲気の佐古姫に比べ、この女の子は夏の海のような鮮やかな青い着物を着て肌は褐色に日焼けしており、髪の毛は金色がかっていてより若く見える。人間の見た目で言うなら十五、六と言ったところだろうか。
着物の丈も短く、現代風に言うとギャルのような感じである。
「筒姫様、いまから引き継ぎの儀を始めるんですから、もめごとを起こさないで下さいよ」
白沢が料理を運びながら声をかける。
「はいはい」
返事をしたのは夏の女神である筒姫だ。筒とは井戸の事を指し、水を司る神様とも言われている。
「『はい』は一回。佐古姫様もあまり挑発しないでください。」
「分かっていますよ、春の引継ぎ式の時には白沢さんにお世話になりましたから」
佐古姫はなんとか気を落ち着かせて、穏やかな声で返事を返す。
佐古姫は春の女神で、今年の春を江戸に運んできた時に冬の女神である宇津田姫が花見をしたいと言って駄々をこね、それを白沢が解決したという出来事があった。
今回は何も女神の間でもめてはいないのだが、佐古姫は前回の宴会がよほど楽しかったらしく、今回も白沢の家で宴をしながら季節の引継ぎをすることを希望したのだ。
「さ、出来ましたよ」
佐古姫は手を止めて、ごく小さな作業着を膝に乗った小人の影丸に差し出した。
「おおこれはかたじけない、素晴らしい出来です、これで暑い夏もしのげましょう」
影丸は出来上がった作業着を広げて布地の感触を確かめながらうなずいている。
「本当は裁縫は秋の女神のたっちゃんの方が得意なんだけどね、私もなかなかの腕でしょう?」
佐古姫のいう「たっちゃん」とは、秋の女神で、佐古姫と対の女神に当たる龍田姫の事である。
龍田姫は裁縫や染物が得意であることでも知られているが、佐古姫はどちらかというと、はた織機で布地を織るのが得意なため、そう言ったのだ。
とはいえ、一寸ほどの小人用の浴衣を器用に仕上げる技は、さすが神様というべきだが、そもそも服を作るのって神様にお願いするようなことなのか? という気もする。
現在白沢の家で住み込みで医術の勉強をしている小人の影丸は、一寸(約三センチ)ほどの大きさで、着る服が限られていた。元々影丸たち小人たちは全員洋風の服を着ていたが、長袖長ズボンは仕事をするにはいかにも暑苦しくて動きにくい。
そこで白沢は佐古姫に半袖半ズボンの作務衣のような作業着の製作を依頼したのだ。白沢も手先は器用だが、さすがに一寸の作業着を作るのは難しい。
「そろそろ準備はできたか~?」
楽しげな声とともに入って来たのは隣で麒麟堂という貸本屋を営んでいる麒麟とその仲間達だ。
白沢と同様、唐の霊獣である麒麟と化け猫のお玉、そして弘法大師の札から生まれた犬神の真生とその妻である妖狐の理子、肩書だけでも説明が面倒な人外の面々であった。
麒麟は手土産に鰈の干物と焼き海苔を携えていた。さほど珍しいものではないが、酒のあてとしては最高の品だ。
それに加えて、白沢と旧知の中である九尾の狐もいつもどおり、挨拶もそこそこに家に上がり込んで来た。
右手には酒が入った大きな徳利を抱えている。
九尾の狐は普段茶屋を営んでいるが、今日は琥珀という従業員に店を任せている。この琥珀という従業員も正体は夢を食べるという獏であるため、ここまで人間はだれ一人として登場していない。
そして、裏庭の方からは蝉丸たちが小人の姫を連れて縁側から上がって来た。
前回とは違って洋風の椅子の様なものに座った姫を、神輿のように担いでいた。
「白沢殿、久方ぶりでござる。姫もすっかり元気になられゆえ、お礼もかねて山上仕った」
相変わらず洋風のいでたちとマッチしない言葉遣いである。
「蝉丸殿、言ってくだされば私もお迎えに上がりましたのに」
影丸が姫を担いだ蝉丸の前にひざまずいた。
「いやいや、お主は白沢殿から医術を学ぶという重大なお役目があるのじゃ、雑事は我々に任せるがよい」
「影丸、元気にしておりましたか?」
神輿の上から姫が声をかける。
後で聞いたことだが、姫の名前は「ナタリー」というそうだ。
何故か姫だけは見た目通り西洋風の名前である。
「はい、白沢殿にもよくしていただき、息災でございます」
「それは重畳」
姫は続いて白沢の方を見て深々とお辞儀をした
「白沢様、お久しゅうございます。おかげさまを持ちましてすっかり元気になりました」
「それはなにより、でもくれぐれも無理はなさらないようにしてくださいね」
(まあ、神輿に担がれて移動する人が無理するわけないか)
白沢はそう思いながらも、医者としてあるべき振る舞いをするのだ。
その後ろで、筒姫が目をキラキラさせてナタリーに膝立ち歩きですり寄って行く。
「え~! むっちゃかわいんですけど~! 」
次回に続く




