第七十六話 桜の姉妹【朝桜】
今回は朝、昼、夕、夜の四部作。
季節外れの桜の話をお楽しみください。
白沢は山の神が住む奥多摩の山の中で、山の神と卓を囲んでいた。
周りには遅まきながら山桜が満開となっていた。
「まったく、勘弁してくださいよ。気軽に神様なんてよこさないでください」
「わっはっは! すまぬすまぬ。宇津田姫があまりに言うこと聞かないのかないもんで、もういやになってしもうての」
白沢と山の神の間には太い杉を輪切りにした立派な円卓があり、卓の上には山で獲れた山菜や鴨の肉などが並んでいる。
もちろん酒もある。
山の神は徳利から白沢の盃に酒を注ぎながら、春と冬の女神のいさかいを白沢に押し付けたことを謝っている。
謝ってはいるが、本当に悪いことをしたとは思っていないようだ。
考えてみればこの山の神も神様だ。全く神様というのは皆自分勝手なものだと白沢は思いながら、盃を空にした。
空になった盃にまた山の神が勢いよく酒を注ぐ。
しかし注がれた酒は盃の一番上でぴたりと止まり、一滴もこぼれることはなかった。
その山の神はというと盃も使わず、大きな徳利をそのまま口に付けて飲んでいる。
野生の獣は本能のまま生きるが、野生の神というのも本能のまま生きるのだろうか。 自分もまあ神属性の霊獣ではあるが、彼らを見ていると自分はずいぶん人間側になったように思う。
同じく卓を囲んでいる山の神の娘であるお舞。
彼女も江戸に来た当初は周りのことなど気にせず、傍若無人な振る舞いをしていたが、ふた月もすると周囲にも気を配るようになり、人間らしい振る舞いをするようになっていた。
社会経験というものは大事である。
「まあしかし、無事に春が来てよかったの。おかげでこの山の山菜も味わうことができるからのう」
お舞が言う様に卓の上には採れたての山菜のてんぷらが並んでいる。
たらの芽にふきのとう、こごみやたけのこ等、春の山菜が香ばしく揚げられており、酒にも大変合う。
本来山菜はあく抜きをしないと食べられない。それがとても面倒くさいのだが、油で揚げるとそれだけであくが飛ぶのでそのまま揚げて食べることができる。
たけのこも土の中の日が当たる前の物を掘り出してすぐなので、そのままでも大丈夫だが、短時間でカラッと揚げたい為、たけのこだけは揚げる前に軽く湯がいて柔らかくする。
また、揚げたてのてんぷらは町中のてんぷら屋では天つゆだが、ここでは塩か山椒味噌で食べる。
「うん、美味しい」
白沢がてんぷらを一口噛みしめると春の香りが口いっぱいに広がり、まさに口福である。本当に山菜というものは脂と相性がいい。
「ほんに、うまいのう」
お舞も相好を崩す。
これらの山菜は、ふもとの村に住んでいる山師の小次郎と一緒に白沢とお舞が採ってきたものだ。
先日の礼がしたいからと山の神に招待されたのはよいが、山菜の調達は自分たちでよろしくときた。
肉と酒は山の神が用意するというが、山菜担当の白沢達は前日の夜中に診療所を発って、そのまま寝ずに早朝から山菜取りをすることになった。
まあ働かざる者食うべからずだ。と白沢は自分で納得し、てんぷらにまた箸を伸ばす。
「それにしても山の神殿、この山には寒桜もあるじゃないですか? それで花見をすればよかったじゃないですか?」
「わしもそう言ったんだが宇津田姫は本当に面倒な奴での、人のいない山の中でやっても寂しいし、寒桜は地味で花見に向かぬとか申してな」
「だからって私の所じゃなくてもよさそうなもんですが」
「わっはっは! まあ白沢殿なら桜が無くても何とかすると思っての、しかし庭の桜を咲かせるとは流石じゃの」
尚、江戸時代中期では現代主流となっているソメイヨシノはまだ開発されていない。
ソメイヨシノは江戸時代の後期に開発された桜で、母をエドヒガシ、父をオオシマザクラとした日本固有の栽培品種である。
そのためこの頃江戸市中にある桜はヤマザクラ、エドヒガン、オオシマザクラなどの野生の在来種だった。
白沢の庭にあったのは桜の中でも長寿と言われるエドヒガシで、白沢が江戸に住む前からあったものだ。白沢があの場所にあった民家を改築して診療所を開いたのは、あの桜に一目ぼれしての事でもあった。
今回の騒動のおかげでいざというときのために取っておいた青龍の札を使ってしまったが、今年もあの桜を観ることが出来たのでまあよしとするしかない、と白沢は思う。
それというのもエドヒガシは長寿ではあるが、昨年は少し花を咲かせる力が弱っていたように思え、今年も無事に咲くか心配していたところだった。
今回青龍の札と佐保姫の力でかなりの生命力を蓄えたので、まだ永く花を咲かせてくれるであろう。
そう思いながら白沢が盃を口に運ぼうとすると、山桜の花びらが盃の中にひらりと舞い降りた。
(山の中の桜も良いものではないか)白沢は静かにその盃を口に運んだ。
しかしながら、そのことで白沢の庭の桜に不思議なことが起きていた。
昼桜に続く




