第七話 九尾の狐と柴犬の約束(後編)
「ちくしょう! いったいどうなっていやがんだ」
あごひげを生やした男は苛立たしげに言った。
「おい、落ち着け」
もう一人の男が言う、こっちは口ひげを生やしている。
「そんなこと言ってももう五日だぞ、呉服屋のガキをさらってから何度も身代金をよこすよう文を投げ込んでいるのにまるで相手にされねえ」
「お前確かに美津屋の息子なのか?」
顎髭の男は部屋の隅にいる子供に声をかける。
「そうだよ、家は三津屋だよ」
子供はあやとりをして遊びながら返事をする。
人さらいの男たちと子供、合わせて三人が座っているこの部屋は六畳ほどの狭い部屋であった。まあ、なんとか夜は川の字で三人寝られるくらいの広さであろう。
「じゃあなんで、お前の所の親父は、お前を迎えに来ないんだ? 最初は百両よこせと文を送ったが反応がないものだから、毎日十両ずつ値引きしてとうとう半分の五十両になっちまった」
百両は今でいう一千万ほどであろうか。
「うちそんなお金持ちじゃないもん。飼っている犬も普通の犬だし、金持ちだったら“ちん”とかを飼ってると思うもん」
ちんとは江戸時代にはやった日本固有の愛玩犬でいわゆる座敷犬であるが、大店や武家など裕福な家がステータスとして飼っていることが多かった。
三津屋で飼われているのはご存じのとおり和犬で今でいう柴犬である。
「うそつけ! 美津屋と言えば江戸でも五本の指に入る大店じゃないか。そんな店が百両くらいの金だせないわけがないだろう!」
「僕にそんなこと言われても……それよりお腹減空いた」
「なんだと、昼餉にそばを食べたばかりじゃないか、俺なんかなずっと一日二食でしのいでるんだ。痩せるためじゃないぞ、金がないんだ! それなのにお前は毎日三食くいやがって、百両手に入ると思ってるから食わせてやってるのに!」
そこに口ひげの男が口をはさむ。
「しかし確かに妙だな、今日も文を投げ込む際、店の様子をうかがっていたが、いつも通り商売していたふつうそんな気分になるもんかね」
子供はそんな話も特に気にする様子もなくあやとりを続けている、足元には、かるたやけん玉もあり、顔色も良い。中々存外に丁重に扱われていたらしい。
「まったくだ、お前の親父には人情ってものがないのか、あんなぶくぶく太ってるくせに息子のために百両も出せないなんてケチくせえにもほどがある」
あごひげの男の言葉を聞いた子供はそれには反応し、眉をひそめて言った。
「うちの父ちゃんは太ってなんかいないよ。ほっそりしてて、いつもお客さんに病気じゃないかと心配されるほどなんだ」
「ええ? 俺が見た主人はでっぷりと太っていたぞ、息子がいなくなったせいで食べ過ぎるようになったのか?」
「そんな、ばかな。なにか話がおかしいぞ」
人さらいの二人は顔を見合わせ、子供の方を見る。
「お前の家は呉服屋なんだよな?」
「呉服ってよくわからないけど、前にも言った通り店には布がいっぱいあるよ」
「出来上がった着物は無かったのか?」
「見たことない」
「呉服屋に服がない?」
あごひげの男が考えている横で、口ひげの男が何かを思い出して慌てている。
「俺今思い出したんだが、神田には三津屋って言う店もあって、確かそこはちりめん問屋だったと……」
あごひげの男は目を見開いて、子供を見た。
「なんだと! まさかお前、美津屋じゃなくて三津屋の息子なのか?」
「だから最初からそう言ってるじゃない」
子供はあきれたように言った。
「お前ちゃんと確認せずにこいつをさらってきたのか!」
口ひげがあごひげに詰め寄る。
「でも、みつやの息子だって言うから!」
「ばかやろう! どじ踏みやがって」
そんな二人を三津屋の息子は冷たい目で見ている。
ついにあごひげは立ち上がって、
「こうなったらしょうがねえ、三津屋だって大店ではないにしろそれなりの店だ、そっちに脅迫文を送って五十両巻き上げよう」
「ばか、値引きしたままになってるじゃねえか、百両だ! 百両!」
そう言って口ひげが立ち上がった瞬間、部屋の戸が勢いよく開いた。
そこに立っていたのは九尾の狐であったが、普段と違うのは九尾の狐は町人の姿でも、人から見えないようにしている姿でもなく、体長三メートルほどの大きな狐の姿を現していた。
その後ろから白沢が顔を出しにこやかに言う。
「いまからこの狐に食われるのと、その子供を返して奉行所に自首するのどっちがよい?」
あごひげと口ひげからその返事を聞くことはできなかった、二人は泡を吹いてその場で失神していたからだ。
対して子供は目を輝かせ、
「かっこいい~」
と言っていた。
人さらいが隠れていた家は江戸の裏町の隅にあった。腹巻の匂いをもとに場所を特定するのは白沢はもちろん、九尾の狐にも容易なことであった。
そのため、三津屋を出てから人さらいのアジトに着くまで、およそ半刻のさらに半分。つまり三十分ほどの超スピード解決であった。
それから白沢は人さらいを奉行所に届けた後、子供を茶太郎と入替えに行った。人さらいが捕まったのと、茶太郎が化けた子供が帰って来たタイミングにタイムラグはあったが、その辺は白沢が上手くごまかして、子供は先に自分で逃げ出して戻ってきていたということにした。主人は元気になった息子を見て喜んでおり、事件の仔細など気にしていないようだった。
小さいが利発な三津屋の息子には事情を話し、三津屋の主人をだますのに協力してもらった。人をだますのはよくないがこういうのは方便と言うことでゆるされたし。
また、三津屋の息子は化けられるようになったと聞いた茶太郎に興味津々であったが、茶太郎が九尾の狐に尻尾を返したことで、化ける能力はなくなり、非常に残念がっていた。たぶん自分の身代わりに寺小屋に行かそうとか考えていたのであろう。
しかし一時的にせよ、九尾の狐の霊力を体に宿していた茶太郎は以前よりもさらにかしこくなり、人語を完全に理解するようになっていた。
このことで茶太郎はある事件で白沢の探し物を協力する事にもなるのだが、それはまた別のお話。
——その夜の白沢の診療所の裏庭を望む縁側にて
「あんな町中で正体を現さない方がいいんじゃないか?」
白沢は再び町人の姿になった九尾の狐の盃に酒を注ぎながら言った。
「ちょっとわしの手をわずらわせた人さらいに腹を立てておったのな、つい。それでも小さくまとめたほどじゃぞ、本気を出せば十間を変える大きさになるからの。
十間とは以前も言った通り十八メートルちょっとくらいである。
「あの、人さらい共、目を覚ましたらなんていうだろうか? まあ、大きな狐に脅されたって言っても誰も信じないだろうけど」
白沢が心配すると、
「脅したのはお主じゃ。それにあいつらからわしの記憶は消しておいたから心配ない」
「なんだ、便利なものだな」
「直近の記憶しか消せないがの、人は起きているときの記憶は一時的な場所にあって、寝る時に初めて頭に記憶を焼き付けるようになっとるんじゃ」
「それは知ってるけど、だからって記憶を消せるって恐ろしいね」
「本来神とは恐ろしいものじゃ、おぬしだって似たようなもんじゃ」
今度は町人姿の九尾の狐が白沢の盃に酒を入れる。
「しかしなんじゃな、やっぱり酒と言うものはとっくりとおちょこよりも、お銚子と盃で飲むに限るな」
「こればっかりは平安時代の方がよいな」
白沢も同調する。
今宵は下弦の月が二人を照らしていた。月の光は時折その者の本性を暴き出すという。部屋の中に伸びる二人の影は大きな獣の様であった。
続く




