第六十六話 ブラウン&ホワイト【其の壱】
茶太郎は三津屋というちりめん問屋で飼われている柴犬だ。
茶色い毛をして体はやや小柄であるが、敏捷性はありそうな肉付である。
そして、ちりめんというのは呉服や風呂敷に使われる布であり、表面に凸凹あって立体的に見えるのが特徴でおしゃれな江戸っ子にも人気であった。
この茶太郎という柴犬はこの家の跡取り息子である小一郎の誘拐事件で、九尾の狐に出会ったことをきっかけに霊力を得て、人間の言葉を喋れるようになった天才犬である。
もっとも、このことを知っているのは白沢を始めとした人外の者達と小一郎だけで、飼い主である三津屋の主人夫婦にも内緒であった。
それというのも店の主人夫婦二人とも極めて真面目な常識人であるため、自分の飼い犬が喋るということに恐れおののくであろうということ。
へたしたら妖がとりついたと思われて、お祓いに連れて行かれるかもしれない。
しかし、息子の小一郎は違う。今年十歳になるこの子供は幼いころから利発でしかも度胸が据わっている。誘拐騒ぎの時も人質になっているにもかかわらず、少しも動じる所がなく、食事も三食きっちりとっていた。
また、幽霊や妖のことなど不思議なことにも興味があり、茶太郎が人の言葉を喋ることが出来るとわかったときは目を輝かせて喜んだものだ。
とはいえ茶太郎は最初、小一郎にも言うつもりがなかった。
人の言葉が喋れるとばれると、これまで犬だからすっとぼけられていたことも、いちいち詰められることになるかもしれない。
場合によっては自分専属の隠密として使われるかもしれない。
たとえば自分の留守の間に、両親が何を話しているかなど教えてくれとか言われるのも厄介だろう。
だから小一郎にも当初は内緒にしていたのだ。それなのに小太郎は薄々気が付いていたようで、ある日うたたね中の茶太郎に、「茶太郎危ない! 蛇がいる!」と叫んだ。
茶太郎は思わず、「ぎゃー! 助けてくださいワン!」と返してしまった。
茶太郎は見事に罠にはまったわけだ。
どうやらたまに寝言で人の言葉で喋っているのを聞かれていたらしい。
とまあ、結局秘密がばれて、案の定ある時は愚痴の相手をしたり、またある時には気になる女の子の好きなものを探ってくるとか、仕事が増えたことは間違いないがそれなりに平穏な日々を送っていた。
しかし状況は少し変わる。
以前江戸中の猫を束ねる組合、通称「江猫組」の組長である化け猫のお玉が、空き家に小さな子犬が捨てられているのを保護したことがあった。
その子犬たちは結局茶太郎が小一郎を介して両親、つまり三津屋の主人とおかみさんに新しい飼い主を見つけてもらうようにお願いをのだ。
小犬は五匹。
何と言っても老舗ちりめん問屋の主人夫婦であるから顔は広い。
一匹二匹と順調に裕福な家庭に引き取られていったが、最後の一匹は残念ながら貰い手が見つからなかった。
そこで、三津屋の主人夫婦は新しい飼い主が見つかるまでその子犬を預かることにしたのだ。
小犬は健康状態も良く活発であったが、ちょっと活発が過ぎてやんちゃであった。
初めて店に来た時も他の犬は静かに座っているのに、この一匹だけそわそわして落ち着きがないなと思っていたら、いきなり店のちりめん生地に飛びついて、引っ張りまわした挙句、自分がぐるぐる巻きのミイラになってしまった。
やさしい三津屋の家族は笑ってみていたが、このやんちゃな性格も引き取り手が居なかった一因とも言えた。
で、その面倒を仰せつかったのが茶太郎であった。
「うちの両親は商売で忙しいから、茶太郎がめんどう見てあげてね。子犬が何か困ってるようなことがあったら翻訳して僕に伝えて」
「いや坊ちゃん、僕は子犬なんて育てたことがないワン」
小一郎の依頼に茶太郎は困惑する。
「何にでも初めてはあるものだよ。将来茶太郎に子供が生まれたときのために練習と思ってやればいいじゃない」
「そんなことあります? それに子犬の翻訳なんてことも出来ないワン」
「何言ってるの? 犬同士なんだから大丈夫でしょ? 茶太郎は人の言葉もしゃべれる天才なんだから、よろしく頼むね!」
茶太郎は困った。子犬がもう少し大きくなれば動物語コミュニケーションをとれると思うが、今は人間で言うと赤ん坊が相手にしているようなもので、高度なコミュニケーションなど求めるべくもない。せいぜい喜怒哀楽がわかるくらいである。
ただ体はもう結構動くので、いわば巨大な赤ん坊が縦横無尽に駆け回るようなものなのだ。考えただけでもぞっとする。
どうやって説明したらわかってもらえるか、茶太郎が考えているうちに小太郎は子犬を押し付けてどこかに行ってしまった。
茶太郎は早速庭の隅で穴を掘って遊んでいる。なにかを隠す穴であろうか。
基本的に茶太郎は本来は放し飼いで外出も自由にできるが、この犬はまだ子犬ということもあって、しっかりとした囲いのある庭で飼われている。
おかげで茶太郎も外に出る時は、いちいち小一郎か店の主人に声を掛けないといけなくなったので、不便この上ない。
まあ、そもそも子犬の世話を頼まれている以上、勝手に留守にも出来ないのだが、これでは気分転換に遊びに行く事も容易ではない。
いずれ新しい飼い主に移譲する予定なので子犬の名前はまだない。
とはいえ、呼び方がないと不便なので茶太郎はとりあえずこの犬の事を「シロ」と呼ぶことにした。
ご想像のとおり白い犬だからだ。
まあ安直ではあるが名前など個体を識別するための記号の様なものであるからして、凝る必要はないと茶太郎は思った。自分だって茶色だから茶太郎だし。
其の弐 に続く




