第六十五話 雑煮(後編)
麒麟の言葉に九尾の狐は「はあ~」と大きくため息をつく。
「なんや、正月早々に陰々鬱々(いんいんうつうつ)として。そんなんやと福が逃げるで」
「麒麟の兄貴、福って逃げるもんなんか? 福に足とかないやろ?」
お玉の問いに麒麟は大きくうなずく。
「『笑う門には福がきたる』ゆうてな。笑顔で暮らしとったら逆に向こうから福が来るんや。足はないけど飛んでくる」
「へーさすが兄貴は博識やな」
麒麟は「まあね」と言って得意げに胸を張るが、白沢がそれを押しのけるように話を戻す。
「で、店の方は開けてるのかい?」
「そっちは理子に任せとるから大丈夫なんやじゃが、雑煮の売れ行きが悪くての。このままでは餅や鶏肉が大量に余りそうなんじゃ。今日はどの店も雑煮を出しとるが似たり寄ったりでの」
江戸の雑煮と言えば蒲鉾とか鶏の肉に小松菜などを添えるのが一般的であり、九尾の狐が経営する「九十九茶屋」でも鶏の肉を入れていた。
「鴨を使うことも考えたが、高くつくじゃろ? ちょっともうけを考えると厳しくての」
九尾の狐の言葉に思わず麒麟が笑う。
「はは、すっかり商売人になっとるな」
「それはそうじゃ、商売でやるからには儲けがないとの」
ここで、成り行きを黙って見ていた真生が口を開く。
「今日ここで食べた茄子の雑煮はええんやないですか? ちょうどさっき仕入先に会ったばかりですし」
「おお、真生今日初めて口を開いたと思ったらええこと言うな、いけるんちゃう?」
「茄子じゃと? ちと季節外れじゃし、地味ではないか?」
「いや、今江戸では脚気が流行っているから、野菜を食べることで予防になると宣伝すれば、江戸っ子は飛び付くかもしれないよ」
白沢の言う通り、江戸の町では脚気という病気が流行っていた。体がだるくなり足がむくんだりして最悪心不全を起こす病気である。
江戸では白米を腹いっぱい食べるのが裕福な証拠とされており、山盛りの白米にほんの少しのおひたしや漬物でご飯を食べるため、ビタミンが不足していた。
特にビタミンBが不足すると脚気の原因となるため、ビタミンBが豊富な茄子が予防に最適というわけだ。
白沢の言葉に九尾の狐の顔がパッと明るくなる。
「そうか、江戸の庶民は味だけでなく情報を食べるという事じゃな。夏に鰻を食べる土用の日と同じ理屈じゃな。さすが白沢じゃ」
その後、茄子の雑煮の試食をした九尾の狐はこれに焼いた鶏肉を加えて売り出すこととした。
「ところでこの茄子の仕入れ先というのはどこじゃ?」
「ほら、あの江戸の外れの寺に住んでいる獏和尚の畑だよ」
「ほう、 あやつそんなこともしていたのか? まあよい、今からさっそく仕入れに行ってまいる」
「あ、ついでに一つ頼みがあるんだけど」
白沢が今にも診療所を飛び出ようとする九尾の狐を引き留めて、耳打ちをした。
そして、三が日はこの茄子と鶏肉の雑煮が大あたりし、九十九茶屋は毎日大盛況であった。
あまりの人気に三が日が終わってからも人気メニューとしてしばらく残っていたそうだ。
茄子の方は流石に在庫が無くなるが、要はビタミンBが豊富な季節の野菜を食べることが大事なので、これからも脚気予防シリーズとして、季節の野菜を使った雑煮を定番メニューにするそうだ。
茶店の店先の看板には「九十九茶屋名物 長生き雑煮」という文字が躍っている。
長生きとは大げさではあるが、さほど間違ってもいない。宣伝文句だからそんなもんであろう。
そして、もう一つお店に変化があった。
茶店には九尾の狐と理子のほかにもう一人、十四歳くらいのかわいい娘が働いていた。すこし頬のふっくらした健康的な娘だった。
——それはあの日、獏和尚の所に九尾の狐が茄子を仕入れに行った時の事。
「いやいや、私の育てた茄子をこんな良い値で買って頂けるとは有り難いことです。今は畑にこのあるだけしかないですが、春に向けてもっと畑を拡張しておきます」
「うむ、頼んだぞ、それともう一つ白沢から頼まれていることがあってな。おぬしの子供……琥珀と言ったか? 茶屋で雇ってくれまいかという事なんじゃが?」
獏の親子は九尾の狐の言葉に目を丸くする。
「この子の食い扶持の事もあるので、仕事を頂けるならありがたいことですが、さすがに茶屋で働くにはうちの琥珀は目立ちすぎるような……」
横で子供も獏は気まずそうにうつむく。
いくら獏が人に似ていると言っても鼻は人とは思えないほど長く、口元は常に隠しておかないといけない。お寺であれば被り物でごまかせるが、茶店で覆面はいかにも場違いである。
「わしを誰だと思っておる。わしの尻尾を貸してやる故、少し練習すればすぐに人間に化けられるわ」
そう言って、九尾の狐はまたも軽々しく自分の尻尾をひょいと外し、獏の子供につけた。
「ウチの店で働いている時は貸してやる。店の奥に引っ掛けておくから店に出る前につけるがよい。ではさっそく練習じゃ」
まるで自分の尻尾を社給の貸与品の事のように言って、九尾の狐は琥珀に化け方のレクチャーを始めた。
——話は九十九茶屋の店先に戻る。
という訳で、その日から琥珀は「九十九茶屋」で働いている。
それを店の外から見守っているのは白沢と麒麟だ。
「それにしても……」
「琥珀は女の子やったんやな」
「自分のこと『僕』って言ってたから、てっきり男の子かと思ってたが、日本語を覚える時の教材でそうなったみたいだね。まあ、今さら直すのもややこしいので、そのままにしてるらしい」
「ま、なんにせよ、店は繁盛してるし、琥珀は食い扶持が見つかったし、良い一年に始まりなんちゃうか? 縁起のええ初夢というのもまんざら迷信じゃなかったな」
「我々も明日から仕事だ。帰って準備しますか」
「ほんま、休みが過ぎるには早いな」
そんなことを言いながらも、二人は満足そうに家路についたのだった。
エピソード終了 次回エピソードに続く




