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第五話 九尾の狐と柴犬の約束(前編)

基本二部構成で書いているのですが、今回はちょっと長くなったので三部構成になります。

挿絵(By みてみん)

 今日は休診日、白沢は朝餉も食べずに二度寝をしていた。日はもう高い。うつらうつらしながら休みと言うものはありがたいものだと白沢は思った。

 そもそも休みがなぜありがたいかと言うと仕事をしなくてもいいからだ。逆に言うと仕事が無ければ休みもない。毎日することが無ければ休む必要がないからだ。

 なので、いやだいやだと思いながらでも仕事はしなければならない。休みを楽しむために。

 白沢がそんなことを考えながらやっと体を起こしたところへ、診療所の入り口に覚えのある気配のものが立っていた。

 がらりと引き戸を開けて入って来たのは細面の町人だ。しかし、普通の町人ではない、この近所にある草分稲荷神社に住む九尾の狐だ。白沢と同じく霊獣とされ(妖怪と解釈されることもあるが)稲荷信仰とも強く結びついている。

 そんなこともあって、時折町人に化け白沢の所に遊びに来ては酒を飲んだりしているわけだが、いつもと少し雰囲気が違う。

「入ってくる前に声位かけただどうです?」

「そんなことしなくても、おぬしなら十間前からでも気配でわかるであろう」

 十間とは昔の長さの単位で一間が約1.82メートル、なので十間は18.2メートルくらい、大体野球のピッチャーマウンドからホームベースくらいの距離である。

「そういうこと言ってるんじゃないよ、気遣いの問題だろう?」

 白沢が布団から立ち上がりながらそう言うと九尾の狐は「今度からそうする」とうそぶく。たぶんしない。


「それはそうとどこか体調でも悪いのかい? いつもと様子が違うようだが」

 九尾の狐は今度も何も言わず診察室のある土間から畳敷きの部屋に上がり込み、よいしょと座って話し出す。

「実はそのことで相談があるのだよ」

「大抵のことは自分で解決するおぬしからの相談か、なんだかもう気が重くなってきた」

 白沢は布団をたたんで隅に重ねながらため息をつく。

「わしの体調が悪くみえたのは尻尾のせいじゃ。なんか足りぬと思わぬか?」

 町人には化けていても隠しきれないオーラは九尾の狐そのもので白沢にも本体が見えている。そういわれた尻尾を数えてみると、

「ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー……?」

 なんと九尾の狐の尻尾が八本しかなかったこれでは八尾の狐だ。尻尾はキツネの霊力そのものであり、多いほど力が強いとされている。なので、世の中には二尾の狐や三尾の狐などもいるのだが四尾以上はほぼおらず、それだけに九尾の狐は群を抜いて圧倒的な力を持っているとされている。


 白沢は眉間にしわを寄せて、

「おまえさん、九本目の尻尾はどうした? 腹が減りすぎて食べたのか?」

「わしは蛸ではない」

 九尾の狐(今は八尾であるがややこしいので九尾の狐として話は進める)も眉間にしわを寄せて否定する。

「大体わしらは腹とか減らんじゃろ、楽しみとして油あげは食べるが別に食べなくても死にやせん、おぬしの様に毎日三食、食うておるほうがおかしいのじゃ」

「それはおぬしの言うとおりだが、そもそも私が日本に住み着いたのは食事の美味しさにびっくりしたからだ。四季ごとにいろんな食材が巧妙な調理法で料理として出される。私もいろんな国の食事は食ったが、日本が最高じゃ。秋に焼いて食べる秋刀魚などは本当に言葉に出来ないうまさで……」

「わかったわかった、それはそれでよいとして、そろそろ相談ごとに入らせよ」

「ああ、そうだった。で?」


 ——それは一昨日の話

 九尾の狐が住む草分稲荷神社に一匹の犬がやって来た。といってもこの神社の社はとある武家の邸内に祭られていたため、どっかからか忍び込んできたことになる。

 この犬は今でいう柴犬だが当時はそこまでの分類はない。このころ徳川将軍五代目の綱吉が出した生類憐みの令により、特に戌年だった綱吉にちなんで犬が大事にされていた時代であった。それまで猟犬か野良犬、せいぜい番犬までだった犬を愛玩動物として飼うことが流行っていたのだ。

 今でいう畜件登録、つまり犬の素性と犬の飼い主の関係を証明する登録が始まったのもこの頃だ。

 チワワに似た小さい犬を座敷で飼うこともあったが、それは大名とか大金持ちのすることで、この頃はまだ放し飼いになっていることが多かった。

 この柴犬もその一匹ではあったが、首に風呂敷を巻いており、三津屋と言う屋号が入っている。三津屋と言うのは神田にあるちりめん問屋で、大店とまではいかないがそれなりに古くから続いている店であった。

 柴犬の巻いている風呂敷はこの犬が三津屋の飼い犬だということを示しているらしい。

 神社に入ってきた犬はご神体の方ではなく、近くにある大きな石の上に向かって「わん」と吠えた。

「驚いた、お前はわしが見えるのだな」

 犬はもう一度「わん」と吠えた。

 動物には化けるとまでは行かなくても、人間並みの知能を持った者や霊感が強い者がいる。特に犬は動物の中でも霊力が強く、かつて桃太郎が鬼退治のお供に選んだほどである。この柴犬も特別霊感が強く頭が良いようであった。

 さて話は戻るが、九尾の狐は犬の言葉も理解するので、ここからは犬にも人間の言葉を喋ってもらうこととする。


「あなた様が霊験あらたかな草分稲荷のお狐様でしょうか?」

 確かにここは稲荷神社だがこの九尾の狐を祭っているわけではない。同じ狐で霊的にも親和性がある稲荷神社は九尾の狐にとって居心地がよく、またここは武家屋敷内にあるため参拝客も家人以外はほとんどなく、静かであることが快適であったのだ。

 この神社の眷属にも許可は取っているが、いくら眷属といえど九尾の狐に逆らえる狐などいるはずもなく、悠々自適に居候させてもらっているというのが本当であろう。

 もちろんいいこともある。強力な九尾の狐が住んでいることによって、この神社を中心に邪気が取り払われており、治安が守られているというわけだ。

 とはいえ、面倒くさいので、

「いかにもそうじゃが、お前はわしに何か用か?」

 と答えると、

 犬はお座りをして事の次第を説明した。


 この犬の名は茶太郎、三津屋の主人が飼っている犬である。

 事件が起こったのは三日前、三津屋の一人息子が神隠し、つまり行方不明になったことだ。

 両親は七歳の息子がいなくなったことにひどく落ち込み、夜も寝むれぬ状態でその日から店も閉めている。金目当ての誘拐であればお金の要求があるだろうからいくらでも払うつもりであるが、なんの連絡もないので天狗さらいではないかと考えていた。

 この時代子供が神隠しにあうことを天狗さらいともいい、天狗が子供を連れ去ったと思われていた。

 もちろんほとんどの場合は天狗は関係なく、人間がさらったものと思われるが、いずれにせよ犯人から連絡が無ければどうしようもない。どこかに売り飛ばされたりしていたら帰ってくる可能性は少ないと考えなければならない。

 さすがにこの柴犬の茶太郎もそこまでのことはわかっていないがとにかく、主人が悲しんでいるのを見ていられず、以前近所の犬から聞いたことがある霊験あらたかなこの神社の神様に助けを求めてきたのだ。

                                      中編に続く



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