第四話 付喪神(後編)
白沢は日本橋の金物屋を目指して歩いていた。そういえば数か月前に棟梁に会った時も道具箱から少し妙な気配がしたが、三十年くらいでなるわけがないと思い棟梁には言わなかった。
まあ、名前まで付けて三十年間愛情を注がれたと考えればそういう事もあるのかね。そう思いながら目指している金物屋はかつて棟梁が当時の親方にカンナを買ってもらったという店だ。
その店先を気まずそうにうろうろする着物の女性がいる、まだなりたてのせいか実体がはっきりしておらず、よほど霊感の強い人間でなければ見えないだろう。
歳の頃は本体と比例してか三十ほどにみえる、来ている服は高価なものではないが清潔そのもので、棟梁が毎日手入れしている賜物かもしれない。
白沢は驚かさないようやや遠めから声をかけた。
「お前さん甘奈さんだろ?」
女性は、はっと白沢を見て、
「あなた様は私が見えるんですか?」
と言った。
「まあね。あんたの主人と言うか旦那に頼まれてあんたを探しに来た」
「重吉さんに? 嘘! あの人はもうあたしが要らなくなったんですよ!」
女性は突然顔を覆って泣きながら、ひざまずいた。
白沢は頭をポリポリ掻きながら、
「ま、ここじゃなんだから向こうで話を聞こうじゃないか」
と言って、店から少し離れた橋の上まで連れてきた。いくら甘奈の姿は周りの人間に見えないと言っても、自分の言葉だけが周りに聞こえたら頭がおかしいのかと思われてしまう。
白沢と甘奈は橋から川を見下ろす形で立っていた。
橋の下は緩やかな川が流れ時折魚の跳ねる姿が見える。
甘奈が落ち着いてきた頃を見計らって白沢が話しかける。
「一体どういうことか聞かせてくれるかい?」
「私聞いたんです、あの人がいつも通り私の手入れをして、道具箱にしまってから言っているのを」
「もう、刃が駄目になって来てるな、このままじゃおまんまが食えねえ、愛着はあるし、高価なものだが買い替えるか」って、確かに刃はだいぶすり減って小さくなってるけどまだまだ切れ味はいいのに、
「それを聞いて腹が立って家を出て行ったのかい?」
すると、甘奈は首を横に振る。
「確かに腹は立ちましたよ。長年連れ添ってあたしに名前まで与えてくれたのに刃が駄目になったからって、簡単に捨てられるなんて悔しいじゃありませんか……でもあの人にとってカンナはなにより大事な道具です。私が満足にあの人の役にたてないと、おまんまも食べられなくなるって聞いたら、潔く身を引こうと……」
「それで、元居た金物屋に戻ろうと思ったのかい?」
甘奈はすっと空を見上げた。
「役に立てないならいっそ刃を溶かして、新しい道具に生まれ変わった方がいいんじゃないかと思いまして」
甘奈はここでふーっとため息をついてから言葉を続けた。
「でも、それには店の主人に事情を説明しないといけないけど付喪神となった今の姿ではこの店の主人には見えないみたいだし、かといってカンナの姿に戻って突然店の前に古びたカンナが落ちてたらどうされるかと思うと怖くて。そもそも私がいたのは先代の時だったんですが、今は居ないようで」
白沢は腕組みをしながら、うなずいていた。
付喪神と言うのは家具や道具など、大事に使われてきたものに精霊が宿ることだ。とはいえ、普通は百年ほどかかるものなのにこのカンナ(甘奈)は三十年程で付喪神になってしまった。確かに名前には大きな力があるが大工の棟梁がつけた名前にそれほど大きな力があるとは思えない。
おそらくは棟梁がこの道具にかけた愛情の深さとそれに応えようとするカンナ(甘奈)の愛情が奇跡に近いことを起こしたのであろう。
「なるほど、そういう事だったのかい。そんなら話は簡単だ、私と一緒に棟梁の所に帰ろう」
「だから私はもういらないっていわれたんです! 刃が駄目になったから、このままじゃおまんまが食えなくなるって!」
泣きじゃくる甘奈の目を真っすぐ見て白沢は言った。
「おまんまが食えなくなるっていうのは、たぶんそのままの意味だと思うよ」
甘奈はぽかんとして白沢を見返した。
——その日の夕刻、棟梁の仕事が終わるころ
白沢は風呂敷に包んだカンナ(甘奈)を小脇に抱え棟梁の家を訪ねた。
「棟梁、お前さんの相棒、いや女房を連れてきましたよ」
棟梁は部屋からおっとりかたなで飛び出してきて、白沢から風呂敷を受け取り、慌てて風呂敷をほどいた。
そこには棟梁が愛してやまない恋女房の姿があったのだ。
棟梁は泣いて喜んだ、まさしく逃げた女房が帰って来たがごとく延々と泣きながらカンナ(甘奈)を抱きしめていた。
「どこで見つかったかとかは言いませんよ。棟梁にとってそれはどうでもいいことだろう?」
「ああ、あっしはこいつが戻ってきてくれれば後のことはどうでもいい」
棟梁は心の底からそう言った。
「ところで棟梁先日この頃食うのをちょっと控えてるって言ってたのは継歯のせいだろう?」
棟梁は一瞬「あっ」といって顔を赤くした。
「ばれてたのかい。数年前に歯が悪くなっちまって、幸い根っこが残ってたんで継歯をしていたんですが最近どうも具合が悪くなって」
継歯と言うのは現代で言う差し歯のことで、虫歯ではあるが根っこが残っているので抜かずに歯の部分だけを別の素材で埋めることである。
江戸時代の中期には既に差し歯や入れ歯の技術が発達しており、その技術は西洋よりも発達していたともいわれる。
完全に余談ではあるが徳川家康も入れ歯だったことは有名である。
「でも大工の棟梁が歯が痛くて飯も食えねえなんて恥ずかしくて、でももういよいよ歯が駄目になってるんで、このままじゃおまんまも食えなくなるから、新しいのに変えようかと」
そう言った瞬間、棟梁は持っていたカンナ(甘奈)が少し熱くなった様な気がした。
「継歯についてはまたいい歯医者を紹介するからを紹介するから早いとこ行くんだね」
白沢はそう言って、また神田の診療所に足を向けた。
棟梁はそんな白沢の背中にいつまでも頭を下げていた。
つづく




