第三話 付喪神(前編)
白沢と言うのは中国起源の神獣でその姿は白い獅子とも目が九つある牛の妖怪のような姿とも言われるが、その実体は本人もよくわからないのかもしれない。とにかく今は人間の姿で黒い髪を後頭部で軽く結んでいる。
見た目の上での歳の頃は三十前後に見えるだろうか、独り者ならば嫁を取らぬかと周りがうるさいので、実は故郷に妻と子供がいるということにしている。
今日は朝から猫の爪切りをしている。長屋のおばあさんが買っている猫だが、白沢以外が爪を切ろうとすると暴れて人を怪我させるので、おばあさんはいつも白沢の所へ連れて来て爪切りをお願いしているのだ。
もちろん猫が白沢の前でおとなしいのは生物として圧倒的な格差があることを感じ取って降参しているからだ。それにしてもこういうのって医者の仕事じゃないよなあ、と思いながらも、満面の笑みでその様子を見ているおばあさんの前で白沢は粛々と猫の爪を切っている。
「ほら、おばあさん終わったよ」
白沢が猫を離すと猫は大きく伸びをして、おばあさんの元へ戻って行った。
「良かったねえ虎吉、きれいに切ってもらって。これでうちの柱も傷だらけにならなくてすむよ。ありがとうね白沢先生」
おばあさんはお礼として手作りのわらじと芋の煮っころがしを置いて帰って行った。結局のところこの煮っころがしの為に爪を切ってるようなものだな、と白沢先生が思うぐらい美味しい煮っころがしだ。
白沢は早速昼餉にすることにした。江戸時代初期までは食事は一日二食であったが、中期ごろから農村を中心に一日三食が主流になっていた。最も白沢は日本に来る前から三食おやつ付きで暮らしていたため、昼餉を食べるのは最近の事ではない。
朝のお味噌汁を温め直し、同じく朝炊いた白米とともに芋の煮っころがしを食べる。
芋の煮っころがしは表面は醤油と酒の味が程よく絡んでいるし、糖分で少し焦げになっている所も香ばしくてうまい。
煮っころがしは中まで味が染みてはいけない、辛くなりすぎるからだ。表面の味で中のまだ白い部分も一緒に食べることでちょうどよい味になる。それにしても長屋のおばあさんの煮っころがしはなぜこんなにうまいのか。真似をしようと挑戦してみたが、いまひとつ再現できない。
やっぱり素材が違うのかもしれない、おばあさんは江戸の外れの農家まで野菜を買いに行くと言っていたから、今度場所を聞いてみよう。
そう思いながら昼餉を楽しんでいる所に邪魔者が飛び込んできた。
「先生はいるかい?」
返事も待たず入って来たのは大工の棟梁だ。年は五十過ぎ、頭はおでこから剥げていて日焼けした肌はおでこと共に黒光りしている。
「いるけど、今、診療所は昼休憩時間だよ」
「だから来たんだよ、仕事の邪魔しちゃ悪いからな」
休憩の邪魔ならしてもよいのかと思ったが、この棟梁にそんなデリカシーを期待できないことはよく知っていた。
「棟梁も飯の時間じゃないのか? 肉体労働は腹が減るだろう?」
白沢が聞くと棟梁はばつが悪そうに頭を掻き、
「まあ、そうなんだけど最近はちょっと控えていてね」
「ふうん? ま、どっちにしろ今昼餉中だ。食べながら聞いてあげるから、そのまま話しなさい」
「はあ、では。あっしが愛用しているカンナのことはご存じだね?」
「ああ、棟梁が大事にしている大工道具じゃないか。しかも愛着がありすぎて、甘奈なんて名前まで付けて、名前を側面に彫り込んでいる。独身を貫いてる棟梁が道具に女の名前つけて持ち歩いてるって若いもんが気味悪がってた」
白沢は白米を口に運びながら返事をする。
自分の所の若いもんに気味悪がられている言われた棟梁は「あいつらめ」と舌打ちをしたが、そう思われても仕方がないのは自分でもわかっているのか、さして怒らず話を続けた。
「あれは、あっしが大工として親方に認められたときに買ってもらったカンナで、もう三十年以上使ってる相棒と言うか女房のようなもんさ。俺の得意な技術もカンナがけで、向こうが透けてみえるほど薄く削れたもんだ」
棟梁はエアーでカンナがけをしながら得意げに話す。
「確かに棟梁のカンナがけは天下一品だ。ここの看板の一枚板も棟梁の仕事だったな」
「そうだろう、でもそのカンナがな……」
急に棟梁の体が弱々しくなり、肩を落とした。
白沢は、味噌汁を飲みながらも、棟梁を心配げに眺める、そして棟梁は次の言葉を吐き出した。
「どっかに行ってしまったんだ……」
「無くした? それとも盗まれたってことかい?」
「わからない、でも昨日の夕方仕事から帰って来た時はきちんと道具箱に入っていたんだ。今日の仕事のために刃も調整して戻しておいたから間違いない」
「でもなくなった?」
棟梁はうなづき、さらに熱弁をふるう。
「俺は命より大事な道具箱は取られないよう、床下に隠してその上に布団と敷いて寝てるんだ。その状況で俺を起こさず盗むなんて無理だと思うんだよ」
「だから、どっかに行ってしまったと言ったのか、まるで神隠しだね」
白沢はようやく食事を終え、手をあごに添えて考えている。
「頼むよ、先生。あれがなきゃ仕事も手につかねえよ」
棟梁は深々と白沢に頭を下げた。
「先日の台風でこの診療所の屋根の一部が壊れてしまってね、それ以来雨が降ると雨漏りするんだ。謝礼は屋根の修理ってことで」
「もちろん、お安い御用だ」
白沢はこうして棟梁の頼みを引き受けることにした。
——その日の夕方
白沢は棟梁の家を訪れ、道具箱を見せてもらった。
「ん?」
白沢は思わず声を出す。
「どうした?」
棟梁が声をかけるが、白沢は難しい顔をして黙っている。続いて棟梁は
「どっかに行ったとは言ったけど、カンナに足が生えて家出したわけじゃないだろうしなあ」
と言うが、白沢は真面目な顔をして腕を組んで棟梁を見た。そして、
「家出かもしれんぞ」
と言った。
後編に続く




