第四十三話 狐の嫁入り【弐】
それは、真生が堺の宿屋で麒麟に会う一年半ほど前の事。
摂津の国(今の神戸と阪神間あたり)に住んでいる犬神の元に、弘法大師からの手紙が届いた。弘法大師ははるか昔に比叡山で入定(永遠の瞑想に入ること)しているため、もう直接会話することはできないが、代わりに世の中の困りごとを解決するために、犬神のような自らが生み出した人外の弟子に、手紙で指令を送っている。
どういう仕組みかはよくわからないが、全国の弘法大師ゆかりのお寺で願い事をすると、比叡山の弘法大師の耳に入り、式神ようなものを遣わして、連絡するのだ。
式神というと、陰陽道(神道)になってしまうので、あくまで「のようなもの」だ。
今日の手紙は目が覚めると枕元に置いてあった。
もっとも、寝る時は本来の犬神の姿で寝ていることが多いため、枕はしていないが、雰囲気としての枕元である。
真生は弘法大師の修行地でもある、大龍寺という寺に住んでおり、歴代の住職も弘法大師の代理人でもある、犬神を崇拝していた。
この大龍寺は再度山と呼ばれる山にあるお寺で、弘法大師が真言密教を学びに大陸に渡る前に修行し、また大陸から戻った後にも訪れたことから再び訪れた山山、つまり再度山と呼ばれるようになった。
真生が手紙を読むとなんでも、京の都で悪さをしている犬の妖がいるらしい。
その妖は犬と人間が半々のような、いわゆる狼男のような姿をしており、作物を食い荒らし、時には人家に押し入って若い娘をさらっていくこともあるらしい。
京の町奉行も討伐隊を組織し対処しようとしたが、妖とはいえ犬であり、【生類憐みの令】の対象になるのではないかと議論になっており、討伐隊は二の足を踏んでいる。
とりわけ綱吉の溺愛する【犬】ということになると、慎重になるのも致し方ない。
それで、神頼み、いや弘法大師頼みになったというわけだ。
早速真生はその日のうちに京に向かうことにした。
犬神である本来の姿で走ればすぐ着くため、昼間旅路の準備を整えてから夜が更けたあと出立し、京都までおよそ七十数キロを小一時間で駆け抜けた。
犬神真生の最高速度は時速百キロ近くになる。
日が変わる前に京都についた真生は、とりあえず朝までは知り合いの寺で過ごすこととした。
ちょうど、弘法大師の命で約九百年前に化け猫を封じた時のお札の効力が、あと一年くらいでなくなってしまうということで、新たなより強力な封印のお札の制作をこの寺の和尚に依頼していたので、そっちの用事も片付くというわけだ。
そもそも、この話を弘法大師に訴えてきたのもここの和尚だ。
今回の依頼は最初からお札を取りに来させるのも兼ねていたのかもしれない。
真生は翌朝改めて、和尚の話を聞いてみることにした。。
和尚は頭を剃髪しているが、口とあごには長いひげが生えており、お腹はでっぷりと出ていて達磨大師のような見た目だ。
精進料理ではとてもここまでのお腹にはならない。そもそもこの和尚は大の酒好きで毎晩のように酒を飲んでいる。いや、昼間も飲んでいるかもしれない。
基本的に僧侶は酒も禁止だが、般若湯と名を変えて飲んでいる人もも確かに多い。
ただここの和尚は夕餉の時には普通に弟子に「酒持ってこい」と言っているので、そもそも悪いこととも思っていないようだ。以前聞いた時には「酒ごときで身持ちを崩すような人間はそもそも僧侶をやめた方が良い」とのこと。
確かに和尚はお経も上手で、お祓いなどの腕も確かだ。だから真生は弘法大師以外では一部の人間しか作れないようなお札の制作を依頼している。
「で、和尚、その妖はいつから悪さをするようになったのですか?」
「最初に現れたのは三月ほど前らしいで。最初はおっかなびっくり畑の作物などを盗むだけであったが、人に見つかっても自分を攻撃してこないと見るや、行動がだんだんと大胆になり、ついには民家に忍び込んで、若い娘をさらう様になったということや」
事情を説明する和尚の頬はすでにちょっと赤い。まだ朝だが。
「和尚はその妖をみたんですか?」
「いんや、だいぶ用心深い奴の様で、逃げ足も速いそうでな、拙僧は見たことがない。
まあ、見た所で拙僧が捕まえられるわけではないしな。町奉行の者がどうにかしてくれと頼むので、弘法大師様にお願い申し上げたということや」
「でもそれやと、その妖を見つけるのは時間がかかるやもしれませんな」
「ところがや、昨日も若い女のいる所に忍び込もうとしたんやが、その家が飼っていた犬にびっくりして、逃げ帰ったそうや」
「そんな大きな犬やったんですか?」
「いや、小さい座敷犬や」
「そら、犬を嫌う妖は多いですけど、犬の妖なんでしょ? ましてや自分よりはるかに小さい犬に?」
「ま、そういう事らしい」
「それで、逃げる時に庭の茂みに引っ掛かって、けがをしたようや、その血の跡が向かった方向にあるのが、ここから半里(約二キロ)ほど離れた、山のふもとにある、荒れ寺らしいんや」
「荒れ寺ですか……」
色々と引っ掛かることが多い話だが、おそらくはさらわれた娘たちもそこに監禁されているのだろう。
一刻を争う事態にはちがいない。座敷犬を怖がるような妖によもや自分が後れを取るとは思えないが、一応寺でそれなりの準備を整えたのち、真生は単身その荒れ寺に向かった。
参に続く




