第四十二話 狐の嫁入り【壱】
今回は犬神、真生のお話。
あまり感情を出さないタイプの真生のキャラクターが少し感じられる話だと思います。
時は江戸時代中期、徳川将軍五代目綱吉が世を治めていた時代、今でいう東京の神田に名医がいることで名高い診療所があった。なんせ人間はもちろん、犬や猫、果ては鳥の病気まで治してしまうと評判の医者、それが伝説の霊獣であり、この診療所の医者である白沢である。
その白沢のいる診療所の隣には、大陸に住んでいた時からの旧知の仲である麒麟が貸本屋を営んでいる。
麒麟とは世に平和をもたらすとも言われる霊獣である。元々がどんな姿かは有名な大手ビールメーカー【K】のラベルを見ていただくとよいでしょう。
その貸本屋には二人の従業員がいて、一人は元盗人で化け猫のお玉、もう一人は弘法大師のお札から生まれた犬神の真生である。
二人とも麒麟との出会いをきっかけに最近になって上方から江戸に出て来て、麒麟が経営する貸本屋【麒麟堂】で働いている。
やんちゃなお玉とは違い、真生は極めて常識的な性格で、上方で宿屋で働いていたことがあり、一通り商売のことも心得ている。
そのため、店主の麒麟は真生に店を任せて外出することも多かった。本の仕入れに行く事もあるが大抵の場合は、大好きなそばを食べに行っているときである。
秋も深まり、行きつけの蕎麦屋が十一月から新そばを出し始めたので、このところは毎日のようにそばを食べに行っていた。
そして今日も店番をしている真生の元に、珍客がやってくる。
「ちょっと、お玉、そんなところで丸くなってないで本棚の片付け手伝ってや」
お玉は猫なので寒さに弱い。今日は朝から完全に猫の姿になって、小上がりの座敷で丸くなっていた。毛が生える分猫の姿の方が多少暖かいらしい。
「今日はアカン、朝から雨やしめっちゃ寒いやんか、麟太郎の兄貴に火鉢出してくれってゆうたけど、『今から火鉢なんかに頼っとったら、睦月(一月)には家を燃やなあかんようになるわ』って訳のわからん事言うて出してくれんし」
お玉は猫の姿でも流暢に人の言葉を喋ることが出来る。
お玉は昔盗人をしている所を真生に封印され、約九百年本の中に閉じ込められていたため、真生の事は大層嫌っているが、江戸に来て長い時間一緒にいることで、それなりに普通に話すようになっていた。
「でもまあ、まだ霜月(十一月)やからなあ。火鉢は早いんとちがうか?」
「そやかて、今日みたいに雨降って寒い日はだけでも出して欲しいわ」
「お、そんなこと言ってる間にだいぶ明るくなって来たわ、雨はまだ降ってるけど」
「ほんまや、狐の嫁入りやな」
狐の嫁入りというのは、怪異のような言い伝えもあるが、ここでお玉が言っているのは、【天気雨】の事である。
空は明るいのに雨が降っているのが、何やら狐に化かされているような感じがすることから、そう言われているという説がある。
二人がそう話していると、店の前に一人の若い女性が立っていた。
この時、真生はその若い女性に背中を向けていたが、なにが立っているかを瞬時に理解した。
「真生はん、探しましたよ」
その若い女性は年の頃は二十代前半に見え、整った顔立ちで背はすらっと高く、白と赤が基調の着物を着ていた。
すでに、そこにいるのが何者かはわかっているうえで、真生は恐る恐る振り向き、その女性を見た。
「理子さん……、どうしてここに?」
普段冷静な真生の声が少し震えているように聞こえる。
「なんや、真生。この姉ちゃん知り合いか?」
「あらあら、かわいい子猫ちゃんがいると思ったら、化け猫かいな。はじめましてわては真生はんの妻の理子ゆうもんです」
はんなりとした喋り方は京のものの言い方だ。
「ほう、妻ねえ」
お玉が猫の状態のまま、にやついた顔で真生を見る。
「ちょっと理子さん、いい加減なこと言わんといてください、私は結婚なんかしてませんよ」
「つれないことをおっしゃいますな、真生はん。京都での長い同棲生活を思えば夫婦同然やないですか」
「そうゆうとるぞ、真生」
お玉がさらにちょっかいをかける。
「京ではあんなに毎日一緒に居たのに、ちょっと仕事があるからとかゆうて堺に行ってから半年、一向に京に帰って戻って来はらへんから、堺まで行きましたんやで。そしたら、働いとった宿屋を辞めて江戸の麒麟堂とか言う貸本屋におる、ってゆうさかいびっくりしてもうて。わては、真生はんが居はるところやったら、どこでもついていくんやから、遠慮のうゆうてくれんと」
「だから京のあれは成り行き上同じお寺に世話になってただけで、一緒に住んでいるというのは語弊がありますし、それも一年間だけやないですか」
「わてにとっては何十年に思える濃密な月日でしたよ」
「んな無茶な」
なんとなく、かみ合わない会話をしている所に、傘を差した麒麟が蕎麦屋から帰って来た。
「なんや、面白そうな話をしとるな」
「これはこれは、麒麟堂の御主人、真生がお世話になっております、妻の理子でございます」
「だからそれやめてください」
「それはどうもご丁寧に……」と言いかけて、麒麟はじっと理子の顔をみる。
「おんや? あんた妖狐やな? それにしても綺麗に人に化けるもんやな、妖気も全く感じへんし」
「まあ! 私の正体を一目で見破るなんていけずな人ですね、あんまり女性にもてへんでしょう?」
理子は袖で口元を隠してコロコロと笑う。
「おかげさまで……ってなんでやねん! もてるわ、もてまくっとるわ」
麒麟は久々の上方のノリに上機嫌で突っ込む。
「なかなか、おもろい嫁やないか」
「だから違いますって」
「いかにも私は妖狐ですが、殺生石のかけらから生まれたものなので、妖気は発しません、つまるところ石ですから」
殺生石とは玉藻前という平安時代にいた九尾の狐(この話に出てくる九尾の狐とは別の九尾の狐)が陰陽師の手で追い詰められて、最後は石になったという物。やがてその石はある和尚によって打ち砕かれるがその破片が全国に散らばり、妖や憑き物になったと言われている。
「なるほど、それで妖気を感じんかったんか。で真生よ、結局どういうことなん?」
「離れ離れになった、嫁が戻って来たんやろ? ええこっちゃ」
「いや、お玉には聞いてへんって、真生、説明してや」
麒麟はお玉に茶を淹れるように言って、店の奥の小上がりに座る。
お玉は眠そうに起きて、猫から人の姿に化けるとお茶の準備をし始めた。
その後、真生が語った話は次のようなものであった。
弐に続く




