第三十三話 麟太郎の上方日記【急】 ※この話の最終話
今日は満月の夜であった。
麟太郎は部屋で本を読みながらその時を待つ。
わしも酒が飲めれば、それで時間がつぶせるんやけどなあ、と思いながら本を読み進める。読んでいる本は西遊記、江戸時代に日本に伝わった本であるが、麟太郎は大陸に居た時から持っていた本である。
そうして夜も更け、満月の明かりが最高潮に達したころ。
本の中から声が聞こえてきた。
「ああ、封印が弱まってきた。今夜の満月の力を使えば封印は破れる。もうちょっとや、もうちょっとでここからでて、あのくそ犬に仕返し出来る~」
麟太郎は本を開き、例の化け猫がのっている頁を見ると、何だか本の中の絵がガタガタと動いているようにも見える。麟太郎は本をそのまま少し離れた所に置く。
続いて、本の中から声がする。
「月は満ちた。いまや!」
声とともに開いた本の紙の中から、化け猫が飛び出してくる。
本の中ではわからなかったが、髪が少し緑かかった化け猫の娘が、空中に躍り出てきた。数百年も本の中に閉じ込められていたので、かなり興奮しているようだ。
化け猫は目を大きく開き、爪をむき出しにしてあたりを見る。
「ふしゅ~! ハアハア! 犬はどこや、ウチを閉じ込めた犬っころは!」
化け猫は麟太郎の方を見て、
「お前もあのくそ犬の仲間か? 犬はどこじゃ!」
と言って、麟太郎に飛びかかった。
しかしながら、いくら人間の姿とは言え、霊獣麒麟とただの化け猫では力の差は歴然であった。
麟太郎は軽く化け猫の頭を押さえると、化け猫は床にひれ伏し動けなくなった。
「なんじゃ! いきなり乱暴な! 貴様なにもんや?」
窮屈そうな声で化け猫がすごむが、麟太郎はにべもない。
「いきなり初対面の人に飛びかかっておいて、『乱暴な!』とはこっちの言葉やで」
化け猫は何とか動こうとするが、麟太郎の手はびくともしない。
「そろそろ出てきたらどうや? 犬神殿」
麟太郎が言うと、廊下の障子がすっと開く。
立っていたのは真生だ。
「やはりばれていましたか」
真生は照れ隠しに頭を掻く。
「気配はうまく隠してるけどな。わしの持っていた本に対して殺気を放ってたし、しかも名前が真生って、弘法大師の関係者やとゆうてるようなもんやろ。
というのも、漢字は違うが弘法大師、つまり空海の俗名は佐伯真魚と言うからだ。当然麟太郎が知らないわけはない。
「貴様、あの時のくそ犬! ここであったが百年目、いや九百年目! 覚悟せえ」
化け猫は身動きが取れないまま悪態をつくが、動けないのでどうしようもない。
「今から約九百年前、わが師の命でこの泥棒猫を捕まえたわけですが、こやつ食べ物は盗むものの、人は傷つけることはなかったゆえ、師は一旦、自分の日記帳の中に封じ込めました」
「それが今になってなぜ?」
「中々反省の色が見えないうちに、師は入定され日記は他者の手にわかってしまいました。しかし、九百年後の今日この封印は効果を失うことはわかっており、私が再度封印するために、あの本屋の近くのこの宿で働きながら機を狙っていたのですが……」
「わしが手に入れてしまったと」
入定とは真言宗に伝わる信仰で、弘法大使空海が永遠の瞑想に入ることを指している。
「ええ、本来ならば化け猫が出てきたところを、私が取り押さえるつもりでしたが、どうも麟太郎さんはただの人ではないようでしたので、様子を見ていましたが、ここまでの方とは想像していませんでした」
「で、この化け猫の娘はどうするつもりや」
「反省が足りないようなので、もう一度、封印してしまおうと思っているんですが……」
「ちょっとまって! いやや、もうウチは本の中に戻りとうない。真っ白な紙の中で九百年も退屈で死にそうやったんや! もう盗みはせんから堪忍や、今反省した。反省したから!」
「さっきまで、くそ犬とか言ってたくせに、まったく」
犬神はブツブツ言いながら懐からお札を取り出して封印の準備をしようとするが、麟太郎が待ったをかける。
「なあ、ものは相談やけど、また封印したところでいたちごっごやろ。どうや? こいつわしに預けへんか? わし江戸で貸本屋をやってるんやけど、一人では大変でな。働きながら厚生させるというのも一案やと思うで」
それを聞いた化け猫は必死で懇願する。
「それそれ、それがええ。本に戻らんでええんやったら、喜んで兄貴の店で働くわ」
「誰が兄貴やねん、全く調子ええな」
真生は腕組みをしながら考える。
「もちろん、こいつが心を入れ替えて真っ当に生きてくれるようになれば、それが一番なんですが……」
「わかりました。麟太郎さんにお預けします。ただし、私も一緒に江戸に行きます」
「げ! 犬っころは来んでええねん!」
化け猫は猛烈に反対したが、麟太郎は元手をあげて歓迎した。
「犬神殿はそう言ってくれると思ったわ。まだ他にも本を仕入れたいからもうしばらくこっちにおるけど……なあ化け猫娘、名前はなんていうねん?」
「名前……人間に飼われているときは【たま】って呼ばれてたで」
「そうか、じゃあ名前はお玉でええな。お前人間には化けれるか?」
「人間を食うたら化けられるようになるって、仲間が言ってたけど、ウチは化け猫になる前は人間にかわいがられてたし、人を食う気にはなれんかったからあんまり得意やないんや。でも耳と尻尾を隠すくらいはできるで」
「まあ、とりあえず、それくらいでええか。犬神殿、おかみに泊り客が一人増えたってゆうといてくれるか? わしの親戚の娘ってことで」
「わかりました。あと、私の事は今まで通り真生とお呼びください」
「わかった、真生君よろしゅうな」
そんな会話を頭上で聞きながら、化け猫お玉は申し訳なさそうに、麟太郎に言う。
「兄貴、もう暴れへんかららそろそろ頭から手えどけてくれへんか? ウチは飯さえ食えるんやったら盗みもせえへんし、暴れへんから」
その言葉通り、解放した化け猫は暴れることなく、旅立ちの日までは麟太郎の本探しの手伝いをしていた。
そして、これも本人の言葉通り、耳と尻尾は隠し、なんとか人間として過ごしていた。
ただ、食欲はすさまじく、宿では毎回ごはんを五杯もお替りし、おかみは目を白黒させていた。
やがて麟太郎が江戸に帰る日になった時、真生も宿を辞めることをおかみに伝えていた。おかみはたいそう残念がったが、快く送り出してくれたそうだ。
——そして話は白沢の家の縁側に戻る
……というわけや。
「それが今お主の店にいる、二人ってことか。やっと上方から帰って来たと思ったら、化け猫と犬神を連れて帰って来たから、驚いたよ」
そう、今麒麟堂には化け猫の娘お玉と、犬神の真生が働いていた。
お玉は働いている時間よりも、遊びに来たお舞と口喧嘩している時間の方が長いように思われるが、とりあえず今のところ悪事は働いていないようだ。
真生はさすが、弘法大師の生み出した犬神だけあって、すぐに仕事を覚え麒麟が外出するときは、店は真生に任せている。
お玉とは仲直りしたわけではないが、まあなんとかやっているようだ。
「どこらへんが聞くも涙、語るも涙かよくわからなかったが、なかなか面白い酒の肴であったぞ、麒麟殿」
「おおきに。喜んでもろうて良かったですわ、そう言えばこういう話も……」
どうやら、今夜は長い夜になりそうであった。
続く
麒麟の上方日記編でした~。
最後まで読んで下さりありがとうございました。




