第三十一話 麟太郎の上方日記【序】
今回は麒麟のお話。新しいキャラを出したいがために書いたエピソードですが、結局長くなり、前回同様 序、破、急 の三部作で掲載させていただきます。
白沢と小野篁は白沢の家の縁側で酒を飲んでいた。
お舞は昼間色々あったので、疲れてすでに自分の部屋で寝ている。
「ここから見る月は中々趣があってよいのう」
小野篁は盃の酒を飲み干し言った。
「気に入って頂いて何よりです」
白沢は空になった小野篁の盃に酒を注ぐ。
小野篁は平安時代、人の身でありながら、地獄の閻魔の補佐官として様々な裁きを実行してきた人物だ。
当然のことながら本当であれば現在、人としての寿命は尽きているが、補佐官がいなくなっては困ると、閻魔大王が独断で命のろうそくを継ぎ足して寿命を延ばしたため、今も補佐官として地獄で働いている。
しかし、人の命のろうそくでは継ぎ足したところで、また数十年で尽きてしまう為、鬼用のろうそくを継ぎ足したことで、小野篁は鬼と人のハーフのような状態になっていた。
「先日はご厚情を頂きありがとうございました。おりんちゃんを極楽に送って頂いたばかりか、現世での別れの時間まで頂きまして」
「なに、私は閻魔の補佐官として公正な仕事をしたまでのこと、礼など無用じゃよ」
「その後、あの赤鬼はどうなりましたか?」
「聞かない方がいいんじゃないかのう」
小野篁が不敵な笑みを浮かべる。
「じゃ、やめときます」
血なまぐさい話が嫌いな白沢はさっさと引き下がった。
「そっちの方こそどうなのだ? 妹のお菊とやらは別れが寂しくて、落ち込んではおらぬか?」
「ええ、またいつか生まれ変わったおりんちゃんとと会えるのを楽しみにして暮らしてます。『たとえ、おりんちゃんが別の人になっても、必ずわかるはずだ』って言ってました」
「そうか、来世ではどのような出会いになるか楽しみじゃの」
今度は白沢の盃が空になったのを見て、小野篁が白沢の盃に酒を注ぐ。
「え、それは小野殿が差配するのでは?」
酒を注がれていた白沢が驚いて聞く。
「輪廻転生はお釈迦様の領分じゃからの。わしに出来るのはおりんとお菊の魂を赤い糸でつなげることだけじゃ。どのような形になるかはわからんが、運命に引き寄せられて出会えることは確実じゃ」
「そういうもんなんですか。いい出会いになるといいですね」
白沢は盃の酒を飲み干し、ふーっと息を吐く。
そこへ——
裏庭から麒麟が入ってきた
「邪魔すんで~」
「おいおい、お前まで裏庭から入って来なくても」
「表はもう戸締りしていると思てな」
白沢は草履を脱いで縁側に上がり、白沢の横に座る。
「わしもおりんちゃんと留守番しとるうちに、仲ようなってしもうてな。わしの上方言葉がおもしろいって言うてくれてたわ」
「ああ、確かに鬼と話している最中は、ずっとお主の陰に隠れていたな、ずいぶんなついているとは思ったが」
「それで、おりんちゃんを助けてくれた小野殿に一言礼を言いたくて推参したわけや。小野殿、ほんまにありがとうございました」
頭を下げる麒麟に対して、小野篁はおおきくかぶりを振る。
「いや、白沢殿にも言ったが、わしは公正な裁きをしたまでのことじゃ。それより、麒麟殿も一献どうじゃ?」
小野篁はお銚子を持ち上げて盃を渡そうとするが、麒麟は恥ずかしそうに手を振った。
「せっかくのお誘い申し訳ないですが、恥ずかしながら下戸でして、家から茶を持ってきましたので、これでお付き合いさせてもらいます」
そう言って麒麟は懐から竹で作った水筒を取り出し、同じく懐から出した竹の器に茶を注いだ。
「ああ、かまわんかまわん、酒は無理に勧めるようなものではないからの」
小野篁はにこやかに言葉を返す。
どの時代でも他人に酒を強要するような輩は出世できない。
「では、酒の相手が出来ない代わりに、先日上方に本の仕入れに行って時に起こった、ちょっと不思議な出来事についてお話ししましょう」
「ほう、それは酒の肴にもってこいではないか」
小野篁は喜んで、自分お盃に手酌して酒を満たす。
「そういえば、春の歌舞伎騒ぎの時に用事があると言って上方に行っていたが、ずいぶん長く滞在していたな。帰って来たのはつい十日ほど前ではないか、それに……」
「まあ、それが聞くも涙、語るも涙の話やねん」
白沢の話を遮って、麒麟は上方での出来事を語り始めた。
——それは、例の歌舞伎騒ぎのあった春ごろの話。
麒麟は上方へ本の仕入れに出向いていた。
「ふう、ようやく着いたか、人の身で移動するというのは難儀やけど、東海道では色々綺麗な景色も観れたし、うまいものも食えた。これも旅の醍醐味ゆう奴やな」
昔住んでいた大坂(大阪)の堺にたどり着いた麒麟は、大きく息をついた。
最初に来たのは百年以上前だが、昨年壊れた愛用の茶碗と同じものを求めて、ひと月ほど滞在して堺や京で茶碗を探していた。
「さて、しばらく前回と同じ宿に厄介になって、本の仕入れに行くか。本屋の奴、早く来ないと出物が無くなるとか文で言われて急いできたけど、これでしょうもない本やったら怒るでほんま。こっちは芝居見物を諦めてまで、堺まで来たんやからな」
麒麟は大きな独り言を言いながら、宿屋に向かっている。
「えらい、大きな独り言でんな、麟太郎はん」
声をかけたのは、小ざっぱりした町人風の男で、麒麟とは顔見知りの様だった。
読者の方もお忘れかと思うが、麒麟は人としては麟太郎と名乗っている。江戸で開いた貸本屋の名前を「麒麟堂」としてしまったばかりに、江戸では皆に麒麟と呼ばれてしまっているのである。せっかくなのでこの回想編では麒麟は麟太郎として進めさせていただく。
「ああ、安兵衛か。おもろい本があるからって言うから、わざわざ江戸から上ってきたで」
この当時、江戸にもいろいろな文化が誕生していたがまだまだ文化の中心は京都、大阪を中心とした上方文化であった。
今では東京に行く電車を上りというが、この頃は京都方面に行くのが上り、江戸に行くのが下りだったのだ。
現代でも使う、下らない物という言葉も、元々は上方から下って来ない物はつまらない物という意味であったほどなので、当時の上方へのあこがれは今とは比べ物にならない物だったと推察される。
でも、もし今も京都や大阪が首都であったら、関西弁が標準語になっていたわけでそれはそれで、外国人にはさぞかし難解な言葉になっていたであろう。
安兵衛と呼ばれた男は堺で有名な本屋であった。本屋と言っても店を構えて普通に本を売るのではなく変わった本を本屋に卸したり、直接顧客に売ったりという今でいうブローカーのような仕事であった。
麟太郎が江戸で貸本屋を開く際に、大量の本を融通してもらった人物だ。今も定期的に堺から本を送ってもらっている。
「だいたいそんなに急ぐんやったら、一冊くらい飛脚でも使こうて送ればええやん」
「それがちょっと訳ありの本ですねん。価値があるのは確かなんやけど、ちょっとクセがあるといいますか……」
「なんやねん、本のクセって? まあええわ、一旦宿屋に行って荷物おろしてから、お前んちに行くわ」
そう言って、二人は一旦別れ、麟太郎は宿屋入った。
「あらまあ、麟太郎さん久しぶりやねえ」
応対してくれたのは宿屋のおかみさんだ。前回丸ひと月泊まっていたので、すっかり顔なじみである。
おかみさんは丸顔でいつもニコニコしており、顔を見るだけで少し疲れが取れた気分になる。
「おかみさん久しぶりやな。あの角部屋空いとるかな?」
「ええ、先に麟太郎さんから文をもろとったさかい、ちゃんと麟太郎さんの為に空けていますよ」
「おおきに」
あの角部屋とは麟太郎が前に止まっていた二階の角部屋で、一番眺めのいい部屋である。隣りには大きな建物はないし、見晴らしがよかった。また、部屋の大きさも十畳ほどあり、一人で過ごすには十分すぎる広さだ。
「真生、いるかい? お客さんの荷物を運んでおくれ」
「はーい、ただいま」
おかみから真生と呼ばれた青年が奥から出て来て、麟太郎の荷物を預かり、二階の部屋へと案内した。
「前回は見んかった顔やな? 最近入ったんか?」
「はい、先月からお世話になっている、真生と言います。よろしゅうお願いいたします」
「そうか、まあしばらく厄介になるからよろしゅう頼むわ」
部屋に入った麟太郎はまず部屋の中央で仰向けになった。
「あ~疲れた。先に風呂でも入りたいけど、仕事済ませてからの方が気持ちええやろな」
麟太郎はえいや、と起き上がり本屋の安兵衛の家に行く準備をした。
それにしても、クセのある本ってどうゆうことやろうな。麟太郎は腹の中で一抹の不安を覚えながらも、準備を整えて宿を出た。
破に続く




