第二十四話 山の神の娘【其の四】
白沢はまた忙しい日々の中、なんとか千秋楽に休めるめどをつけた。
持病を持った患者さんには薬もいつもより多めに処方したので休むことが出来たが、お舞はよほど慶次郎の芝居に行きたかったらしく、目の色を変えて薬の調合を手伝っていた。
元々お舞が住んでいた山にも様々な薬草が生えており、薬草の種類や効能には明るかったので、その点は十分戦力になっていた。
「さ、いくぞ! 白沢殿」
公演の当日、行く気満々のお舞にまた早く起こされ、また早朝から部屋の隅で待っていた九尾のきつねと三人で芝居小屋に行く事になった。
舞台前の楽屋に挨拶に行くと、先日はいなかった娘が慶次郎と話していた。
少しお舞の表情が硬くなった。
歳はお舞と同じ十四歳くらいであろうか、しかしお舞よりもだいぶ年上に見えた。
これはもちろんお舞の見た目が幼すぎるからであるが。
「慶次郎さん、こんにちは」
「これは白沢先生にお舞さん、そしてご友人の方もようこそ」
慶次郎は直ぐに白沢達の方に近寄って挨拶した。
「いつも兄様がお世話になっております」
先ほど慶次郎と喋っていた娘が頭を下げる。
「こちらは?」
白沢が娘の方を見て聞くと、慶次郎が答えた。
「師匠の娘さんで、おあささんです。幼少の頃からずっと兄弟のように暮らしていたのでいつの間にか兄代わりになっていて、兄様と呼ばれていて……」
「実の兄があれじゃのう」
お舞は皮肉っぽく言う。兄代わりと聞いてほっとしたのか、いつもの調子になっていた。
おあさは少し困った顔になった。
「宗太郎兄様も優しいところもあるのですが、あまり人と関わるのが得意でないようで、不快な思いをさせてしまったならば、申し訳ございません……」
その実の兄である宗太郎は舞台の確認とかで楽屋には居なかった。
千秋楽は昨日までと演出を少し変えたため、違うタイミングで装置を動かすらしく、その確認ということだ。
弟弟子の孫六も変更の準備で忙しく走り回っているとのことだった。
歌舞伎の舞台にはぐるっと三百六十度回る装置や奈落(舞台下)からせりあがる装置などがあり、より芝居をダイナミックなものにする演出である。
「慶次郎さんは舞台装置を見に行かなくてよいのですか?」
「私はもう見て来ましたから」
「兄様はいつも朝一番で確認しますから大丈夫なんですが、宗太郎兄様はいつも直前まで確認しないのだからハラハラします」
おあさは困ったように言う。あまり仲が良いとはいえなさそうだが、やはり兄のことは心配らしい。
たしかに舞台装置はタイミングを間違えると大けがにもつながってしまう。役者本人のの命にかかわるものなので、入念に確認が必要なのだろうと白沢は思った。
そこに今度は二代目清十郎、つまり慶次郎の師匠が顔をだした。
「これは白沢先生、ようこそおいで下さりました。お話は小屋主や慶次郎から聞いております。慶次郎が大変お世話になってるそうで」
清十郎は以前負った足の怪我の影響でもう舞台には立っていないが、凛としたたたずまいは流石であった。
「お初に目にかかります。白沢です。今日の公演も楽しみにしております」
第一話を呼んだ方はあれっと思うかもしれません。白沢の人間としての本名は「三沢」ですが、誰も本名を呼ばない為、白沢も面倒くさくなって自分のことも白沢と名乗っているいう次第です。
双方挨拶を交わし、しばし談笑しているうちに開演の時間が近づいてきた。
宗太郎や孫六も戻ってきている。
「では我々はそろそろ席に行きます。前回とは少し違う演出と言うことで楽しませて頂きます」
「はい、ではのちほど」
そうして、白沢たちは席へと向かって行った。
そして千秋楽が始まる。
いつもどおり【序】から始まり【破】に続く。
確かに舞台上で飛ぶ回数が増えたり、舞台を回転させながら立ち回りをしたり、より迫力のある演出になっていた。
観客も大興奮で声をあげる。
「よ! 龍野屋!」
こういった声掛けは、歌舞伎常連の上級者の仕事である。
そして最後の【急】
いつも通り慶次郎は所せましと動き回り、いよいよクライマックスというときに事故、いや敢えて言うと事件が起こった。
舞台奥から前に大きく飛んで見栄を切る場面のはずだった、しかし飛んだ先の着地点には床がなかった。
下りているはずのないセリが一番下まで下りていて、慶次郎は文字通り奈落の底に落ちてしまった。
会場は騒然となり、芝居は当然ここで打ち切りとなった。
白沢は誰よりも早く舞台に駆け上がり、舞台袖から舞台裏に入って奈落に駆け付ける。九尾の狐とお舞もそれに続いた。
慶次郎は体を強く打ち付けているようだ、頭も打っているので迂闊には動かせない。
「慶次郎殿! 慶次郎殿!」
お舞の必死の呼びかけにも反応はなかった。
白沢は頭部の出血に緊急処理を行うと、直ぐに戸板を持ってこさせ、頭を固定してゆっくりと戸板に乗せた。
そのまま、小屋の使用人たちの力も借りて、診療所まで慎重に運び込んだ。
助手が必要だがお舞は気が動転していたので、九尾の狐を助手にして治療に当たる。
九尾の狐は特に医学の専門家ではないが、長いこと生きている分、医学の分野にも多少心得があった。
お舞と当主の二代目清十郎とその娘のお朝や弟弟子の孫六も心配して一緒に来ていたが、奥の部屋でお舞と一緒に待ってもらうことにした。
息子の宗太郎は診療所には来ていない。
頭を打っていたが出血していたのは不幸中の幸いだった、逆に表に出血せず内出血となるとかなり危険な状態になるからだ。
しかし慶次郎の意識はまだはっきりしていない。意識が混濁しているようでうなされている。
白沢は頭部の骨に異常がないことを確認し、他の箇所の傷の手当てを始めた。
手足の数か所が骨折しているが、肋骨は無事折れた骨が内臓に刺さったりということもない。
おそらく命には別条がないと思われた。
余りにも医療シーンを書かないのでお忘れかと思うが、白沢の目は触診することでレントゲンのように体内を見ることが出来る能力があるため、体内の異常についても調べることが出来るのだ。作者もちょっと忘れていた能力である。
白沢は別室に居たお舞たちを呼び状況を説明した。
「先ほども言ったように命には別条ないと思われますが、全身を強く打ったせいか、高熱が出ており、まだ目を覚ましていません、これがずっと続くようだとあるいは意識が戻らず、危険かもしれません」
「そんな! 兄様あ……」
おあさは両手を顔で覆い泣き崩れている、それは父親である清十郎と孫六が慰めている。
「しかし、いったいなぜあそこでセリが下りていたんですか? 清十郎さんや孫六さんは何か知っていますか?」
白沢が聞くと、孫六が答える。
「あんな所でセリを下ろすのはあり得ないですし、そんな予定もありませんでした。誰かが間違えて装置を動かしてしまったとしか……」
「わざと動かしたということはありませんか?」
例の憎しみのオーラが気になっていた白沢ははっきりとした口調で聞いた。
清十郎と孫六は顔を見合わせてぽかんとする。
「いや、まさかそんなこと誰が……」
そこに黙っていたお舞が口を開く。
「宗太郎はどうなんじゃ? いくら嫌いでも弟弟子が大けがをしたというのに、様子を見に来ようともしとらんじゃないか?」
「いや、いくら何でも宗太郎がそんな……」
清十郎がそう言うが孫六は何か言いたげな顔で黙っている。
「孫六さんには心当たりでも?」
「宗太郎坊ちゃんはあの日、珍しく舞台装置の操作方法なども僕に聞いてきました。もしかして慶次郎さんがいなくなれば自分が三代目になれると思って……」
「宗太郎兄様はそんなことしません……」
泣き崩れていたおあさが泣きながら、孫六の推理を弱々しくもはっきり否定した。
「すみません、忘れてください」
孫六が慌てて謝る。
「どっちにしても今は慶次郎さんの熱を下げることを考えないと、とりあえず今診療所にある材料で漢方薬を処方しますが、とにかく頭や脇を冷やしましょう。氷も手に入れないと」
「氷はわしが手に入れよう」
九尾の狐がすっくと立って、氷の調達に走った。
「お舞さん、薬庫からツユクサを取ってきてください。
ツユクサとは解熱に聞く薬草で、夏に咲いた花を乾燥させて使う。
「よし、わかった」
お舞は部屋の奥の薬庫に走る。
「後、おあささんは、慶次郎さんのおでこに乗せた手拭いがぬるくなったら新しい冷たい水で冷やしてください」
白沢が清十郎たちに言うと、おあさが涙を拭いて慶次郎の看病を始めた。
「お父さんと孫六は小屋に戻ってこの件の後始末をしてきてください。小屋主さんや他の役者たちにも状況を説明しないといけないでしょう」
「わかった、落ち着いたらまたすぐ戻ってきます」
そう言って清十郎と孫六は一旦小屋に帰って行った。
入れ替わりに九尾の狐が帰ってくる。といっても江戸時代の氷は将軍への献上品として扱われるほどの貴重品だ、そんなすぐに手に入るはずはなかったが、九尾の狐は温度を操れるので、ああ、自分で凍らせたなと白沢は思った。
なんにせよ手に入った氷で水を冷やしながら頭を冷やすことが出来た。
ツユクサも煎じて飲ませたので、しばらくはこれで様子を見るしかない。
しかし翌日になっても慶次郎の熱は下がらず、意識も朦朧としたままだった。
そんな慶次郎をじっと見ながら、お舞が白沢に言った。
「山の神の娘というのは山を荒らす不埒者をかどわかして遭難させることもあるが、逆に山に敬意を持って入ってきた者に対しては遭難しそうになったり、けがをした時に助けてやるものなのじゃ」
白沢は何も話をしているのかわからず、お舞の顔を見返す。
「今の慶次郎殿のように山の中で体を強く打って熱を出した人を助ける際に使う薬草が、わが山に生えているはずなのじゃ、それを使えばすぐに熱が下がるはずじゃ」
「それってもしかして消熱草ですか? 中国でもまれにしか生えていない幻の草があの山に?」
「とはいえ、本来は冬の草じゃから今あるかどうかはわからんが、探しに行こうと思う」
「しかし、あの山は遠い。私はここを離れられませんし」
「わしが背中に乗せて連れて行ってやろう、なに江戸の外れの山ぐらいなら半時もかからん」
九尾の狐が言う。
「かたじけない。九尾殿は山のふもとで待っててくれればよい。さすがに九尾殿がいきなり山の中に入ってきたら山が相当ざわつくからの」
「承知した」
そうして、九尾の狐とお舞は、お舞の故郷である山に向かった。
続く




