第十ニ話 ヤング大岡越前と犬と鈴(後編)
——数日後、大岡忠助の屋敷にて
「申し訳ございません。仮病を使って私を屋敷に呼んで頂いて」
「いやいや、構わぬ。で、鈴が見つかったとのことだが真か?」
「ええ、江戸市中の質屋で見つけました。拾った者が価値もわからず売ってしまったんでしょう。もちろん質屋もただの古い鈴と言う事しかわかってなかったので値段は二束三文でした」
「早速見せてもらえるか?」
白沢は小さな風呂敷に包んだ鈴を忠助に差し出した。
忠助は興奮した様子で受け取り、お守りの内袋を出して葵の御紋を確認した。
「おお、まさしく上様の鈴、この借りは必ず返す。しかし今は取り急ぎ上様に報告せねばならんのでこれにて失礼する。褒美は何がいいか考えておいてくれ」
忠助は喜び勇んで江戸城へと向かった。
忠助の屋敷を後にした白沢は、さて、うまく行くといいが。と心の中でつぶやいて神田の診療所へと帰って行った。
それから数日、診療所は相変わらず多くの患者で賑わっており、お舞もさすがに医学的な手伝いは皆無に等しいものの、見た目の年齢に合わないおかしな喋り方で患者たちの間で人気者になっていた。
お舞は白沢に自慢する。
「しかしなんじゃの、わらわは江戸に来てたった数日で早くも老若男女に大人気じゃ。この分だと魅惑の山の女神になるのも時間の問題じゃのう」
「そういう意味の人気ではないと思うんですけどね」
白沢は患者を診ながら、冷淡に答えるが、お舞も言い返す。
「なんじゃ、人がいい気分になっておるところを、気遣いの出来ぬ奴じゃ、そんなことではおなごに好かれんぞ」
そんなこんなで今日も忙しい一日が終わり、やっと夕餉の支度をしようとしていたところであったが……
「御免」
入口に立っていたのはまたしても大岡忠助だ。
「こたびは大変世話になった。上様もたいそう喜んでおられてな、何でも願いをかなえてつかわすと言っておられる、白沢殿は忙しいじゃろうからどのような褒美が良いかこちらから聞きに来たのじゃ」
「それはわざわざありがとうございます」
「それにしてもおぬしはいつも飯時に来るのう」
お舞がまた不服そうに忠助を見ている。
「すまぬな、どうしても仕事が終わるのが遅くてな。今宵もちゃんと饅頭を持参した故許されよ」
お舞は忠助から饅頭を受け取ると、大事そうに胸に抱え満面の笑みになり、
「良し許す、まあ狭い家だが上がれ」
と偉そうに忠助をたたみ部屋への案内した。
まったく居候のくせにえらそうに、と白沢は思いながらも先日同様忠助を畳部屋の上座に座らせて対面した。
「ところで大岡様、公方様のお手元に戻った鈴ですがまた犬の首輪に?」
「いやそれがの、上様は性懲りもなく……いや今のは失言じゃ忘れてくれ。とにかくまたしても犬の首輪に着けようとしたのじゃ。だが犬がなぜかそれをひどく嫌がっての、落とした後、他の犬の匂いでも付いたのかもしれんの、結局、今は寝室に飾っておるそうじゃ。いずれは世継ぎに渡さんといかんでな、わしも安心したわ」
「そうですか、また落としては一大事ですのでその方が良いですね」
白沢はほっとした顔を見せ、忠助に願い事を申し出る。
「それで、褒美の件ですが、江戸には今人が殺到しておりますが、それに対する医者の数が足りておりません。江戸の医学発展のため、医術を無料で勉強できる塾を幕府の方で作って頂きたい。それは生き物を大事にする上様の意向にもかなうものかと存じます」
それを聞いた忠助はにこりと笑った。
「おぬしは噂通り本当に私欲のないご仁だのう、白沢殿であれば大きな大名のお抱えになることも出来るというのに……あい分かった、きっと上様にもご賛同いただけるであろう」
白沢は深々と頭を下げた。
「さて、では白沢殿の希望に添えるよう幕府運営の医学塾の案を作って上様に進言いたすとして、今日はこれで失礼する」
屋敷に戻る忠助を白沢は丁重に見送った。
「白沢殿よ。うまく行った様じゃの? わらわのおかげで」
手土産の饅頭を食べ終わったお舞は誇らしげに白沢を見る。
「はいはい、本当に助かりました。ありがとうございます」
——話はまた忠助が最初に訪ねてきた夜に戻る
「犬に着けられなければ戻ってもいいんですか?」
白沢の質問に鈴竹姫は一瞬考えたが、
「そりゃ元々は住み慣れた家ですから、でもそんなことが出来るんですか?」
と答える。
「えっと、その犬とは意思疎通はできますか?」
「いえ、まだ生まれてから半年ほどの犬ですから、考えてるのはおやつの事ばっかりでまともな意思疎通はまだ無理ですね」
「ふーん、となると犬の協力は期待できないので……犬が鈴をつけるのを嫌がるようにしましょうか」
「それはどうやって?」
鈴竹姫が身を乗り出す。
「犬というものはミカンのような柑橘系の匂いを嫌がるんです。においに敏感な子犬ならなおの事効果があると考えられます。後はどうやってミカンの香りをつけるかですが、鈴の中にミカンの皮でも入れてみます?」
「体の中にミカンの皮ですか、なんかぞっとしませんね。鈴の音も変わってしまいそうだし」
二人の会話を横で聞いていたお舞がすっくと立ち上がった。
「わらわを誰だか忘れておらんか? わらわの山にも野生のミカンが沢山なっておる。その香りを鈴に付着させることなどおちゃのこさいさいの夕飯前じゃ」
「それを言うなら朝飯前では?」
「うるさい、今すぐにやるから夕飯前で良いのじゃ」
お舞は両手を合わせて何度か手をすり合わせると胡麻ほどの大きさの種のようなものを手の中に出現させた。
「鈴竹姫とやら、お主これを持っておれ、そうすればほんの少しだけミカンの香りが周囲五寸(約十五センチ)ほどに広がるであろう。人には気づかれんほどの匂いじゃが犬の嗅覚ならそれで十分じゃろうて」
鈴竹姫はお舞から受け取った種のようなものを受け取り、喜んで江戸城に戻ることを了承した。
結果、予想通り犬はミカンの香りを嫌がり、鈴竹姫は無事犬から離れられたのだ。
白沢も絶対にうまく行くとまでの確信はなかったが、なんとかうまく行ってほっとしている。
もし、うまく行かなかったら、今回の褒美を使って、もう無くさないよう犬の首に着けるのはやめるようにお願いせざるを得ないところだったので、そういう意味でもほっとしている。
続く




