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第九話「社畜の刃」

 私の業務は、世界線の処理だ。



 端末で調整する。書類を書く。定例確認をする。それが大半だ。



 ただ、担当業務の中に「異形の狩り」という項目がある。



 入職時の業務説明書に書いてあった。「担当範囲:世界線処理全般・異形対応・事後処理」。異形対応、というのが何かは、その時は具体的に想像しなかった。書類処理のことだと思っていた。



 今日、初めて具体的に分かった。




───────────────────────


第一章「水曜の朝」



◆ 朝、業務室



 水曜だった。



 朝のエグチを食べながら端末を開いた。今日の案件数は十四件。週の中間にしては少ない。楽な一日になりそうだ、と思った。



 そういう予感が当たったことは、あまりない。



 一件目。第92世界線が「全員の記憶が二十四時間ずつ遅延している」。昨日の記憶を今日の出来事として認識している状態だ。認識タイムラグの補正を行った。一部の住民が「昨日の失敗を今日のこととして謝り続けている」という混乱が起きていたが、補正後に解消された。処理時間:十六分。



 二件目。第318世界線が「空が透明になった」。空の色彩概念を補正した。空が透明というのは視覚上の問題で、宇宙が直接見える状態になっていた。住民が怖がっていたので元に戻した。個人的には少し見てみたい気もしたが、業務なので戻した。処理時間:十二分。



 三件目を開いたところで、端末にアラートが来た。



 赤いアラートだった。




◆ アラート



 赤いアラートは、通常案件ではない。



 開いた。



「【緊急】処理対象世界線からの異形滲出を確認。対象:第116世界線。滲出ポイント:ぱんでむ施設内・地下接続部。対応要請:異形対応担当」



 ……異形対応担当。



 私だ。



 秩序ちゃんに通話した。繋がらなかった。摩天ちゃんに通話した。繋がらなかった。瑠志ちゃんに通話した。繋がらなかった。



 三人とも不在か、別の対応中だ。



 もう一度アラートを読んだ。「対応要請:異形対応担当」。



 ……私しかいないのか。



 少し考えた。考えながら、エグチの残りを食べ終えた。コーヒーを一口飲んだ。



「……残業代は出ますか」



 誰もいない業務室で、一回だけ呟いた。



 端末を閉じた。立ち上がった。




───────────────────────


第二章「地下接続部」



◆ ぱんでむ地下



 ぱんでむの地下には接続部がある。



 世界線とぱんでむを繋ぐための構造的な部分で、処理対象の世界線が近接している時に一時的に開く。通常は閉じている。今日は第116世界線の処理タイミングと重なって、接続部が薄くなっていた。そこから何かが滲み出ていた。



 地下への階段を降りた。



 暗かった。照明は最低限しかない。においがした——石と、金属と、それから何か別の、有機物のにおい。生き物のにおいだ。知らない生き物のにおい。



 接続部の方向を確認した。左の通路だ。



 歩いた。



 十メートルほど進んだところで、音がした。



 壁を引っかくような音だ。それから重いものが動く音。それから、低い鳴き声のようなもの。言語ではない。でも何かを表現しようとしている音だ。



「……いますね」



 また誰もいないところで呟いた。癖だ。



 進んだ。




◆ 遭遇



 接続部の前に、それがいた。



 大きかった。ぱんでむの地下通路いっぱいに広がるくらいの大きさだ。形は——うまく説明できない。第116世界線の生物なので、この世界線の概念では表現しにくい形をしている。複数の足があって、頭部らしき部分があって、目が複数ある。目が発光している。



 私を見た。



 四つの目が、全部こちらを向いた。



 ……大きいな。



 書類処理ではどうにもならない種類の案件だ、と理解した。



 自分の状態を確認した。今週の蓄積を確認した。月曜の二十六件。火曜の二十二件。今日の三件。退職願十八通分のストレス。始末書の滞納分。有給が取れなかった回数。第7世界線を開き続けた三十分と、それを業務ではないと分かっていた感触。



 重さがあった。けっこう重かった。



 それが形を取った。



 刃が出てきた。



 ストレスの結晶でできた刃。今まで出てきたことは何度かあるが、使ったことはなかった。今日が初めてだ。



 重かった。でも手に馴染んだ。



 ……業務だ。



 それだけ思った。




───────────────────────


第三章「初めての戦闘」



◆ 地下通路



 それが動いた。



 速かった。複数の足が一斉に動いて、体が前に来た。私は横に避けた。通路の壁に背中が当たった。それの足が壁を削った。石が削れる音がした。



 距離を取った。



 端末で第116世界線の情報を確認した。戦闘しながら確認するのは難しいが、そういう器用なことができるのも業務認識のおかげだ。第116世界線の生物——この種類は、光源に反応する。目が発光している。自分の発光に反応する可能性がある。



 照明を切った。



 地下通路が暗くなった。それの目だけが光っている。



 それが止まった。自分の目の光を感知して、混乱している。



 私は暗闇の中で動いた。においと気配で位置を確認した——これは業務で培った感覚だ。世界線の処理中に様々な種類の情報を扱ってきた。それが今、役に立っている。



 刃を構えた。



 それの頸部——目の下の、体表が薄くなっている部分。そこが弱点だと端末の情報に書いてあった。



 近づいた。



 一撃。



 それが鳴いた。石が割れるような音だ。体表にひびが入った。光が散った。



 もう一撃。



 それが崩れた。ゆっくりと倒れた。鳴き声が一度だけして、静かになった。



 照明を戻した。



 それが倒れていた。体表の発光が消えていた。においが変わった——有機物のにおいから、石と土のにおいに変わった。



 私はしばらく、立ったままでいた。




◆ 戦闘後



 刃が消えた。



 出てきた時と同じように、自然に消えた。使い終わったら戻るものらしい。



 体の確認をした。怪我はなかった。制服が少し汚れていた。壁に当たった時に擦れた跡がある。



 接続部を確認した。第116世界線との接続が薄くなっていたところが、完全に閉じていた。それが通過したことで、接続が解消されたようだった。



 ……なるほど。



 端末を開いた。アラートが消えていた。代わりに「異形対応完了を確認」という通知が来ていた。自動検知されたらしい。



 事後処理が必要だ。



 地下通路の損傷報告。それの処理記録。接続部の閉鎖確認書。制服の汚損報告。



 書類が四件発生した。



 ……増えた。



 ため息をついた。でも深くはなかった。案外浅いため息だった。




───────────────────────


第四章「戻ってきた摩天ちゃん」



◆ 地下から戻る途中



 地上に戻る階段を上がっていたら、摩天ちゃんと会った。



 下りてくる摩天ちゃんと、上ってくる私で、中間の踊り場で出会った。摩天ちゃんが私を見た。私の制服を見た。地下の方向を見た。



「……対応したのか」



「はい。異形が一体、第116世界線から滲出していました」



「一人でか」



「通話が繋がらなかったので」



 摩天ちゃんが少し間を置いた。



「怪我はないか」



「ありません。制服が汚れました」



「そうか」摩天ちゃんが私をもう一度見た。「……初めてか、戦闘」



「はい」



「どうだった」



 私は少し考えた。どうだったか。怖かったか。大変だったか。



「……業務でした」と私は答えた。



 摩天ちゃんが少し目を細めた。何かを考えている顔だった。



「……そうか」と摩天ちゃんが言った。「よくやった」



 摩天ちゃんが地下に降りていった。確認しに行くのだろう。私は地上に戻った。



 よくやった、と言われた。



 摩天ちゃんにそう言われたのは初めてだった。




───────────────────────


第五章「今日の終わり」



◆ 夜。業務室



 地上に戻って、残りの案件を処理した。



 十一件。地下での対応で時間を取られたが、案件数が少なかったので夜の八時には終わった。



 事後処理の書類を書いた。地下通路の損傷報告。異形処理記録。接続部閉鎖確認書。制服汚損報告。四件、全部書いた。



 始末書も一緒に書いた。今日の案件処理で手続き漏れが二件あった。



 書き終えた。



 静かだった。今日の業務室はいつもより少し違う静けさがある。地下で何かがあった後の静けさだ。



 自分の状態を確認した。怪我はない。疲れはある。でもいつもの疲れと少し質が違う。使ったものが違う疲れだ。



 刃が出てきた時のことを思い出した。



 今週の蓄積が形を取った。ストレスと、始末書と、有給が取れなかった回数と、退職願十八通と——それが全部、あの刃の中にあった。重かったが、手に馴染んでいた。



 ……私のものだったんだな。



 改めてそう思った。重さが私のものだということを、今日初めて実感した気がする。




◆ 夜。203号室



 部屋に戻った。



 カップ麺を作った。今日は醤油にした。食べながら、第7世界線の観測画面を開いた。



 夜だった。雪が少し残っている。子供はもう眠っているだろう。老人の部屋に灯りがついていた。今日は灯りの中に人影が見えた。老人が窓の近くに座っているようだった。何かをしている。読んでいるのか、書いているのか、遠いので分からない。



 灯りが温かそうだった。



 カップ麺を食べ終えた。



 始末書のラックを見た。今日、四件の事後処理書類を書いた。二件の手続き漏れ分も書いた。合計六枚。



 でも今日は、その六枚が少し違って見えた。いつもの始末書と同じ紙で、同じ内容の形式で、同じラックに入れる。でも何か違う。



 何が違うかは、うまく言葉にならない。



 横になった。



 目を閉じる前に思った。



 今日、初めて刃を使った。業務だった。でも業務だけだったかは、分からない。



 重さが私のものだということを、今日知った。



 それで十分だ。今日は。



 寝た。




──────────────────


◇ 業務記録モノローグ —— 世達 夜十一時五分



 今日の件数:十四件+異形対応一件。


 処理完了:全件。


 未処理:ゼロ件。


 始末書記入漏れ:二枚。事後処理書類:四件。合計六枚(本日中に対応済)。


 初めての戦闘:実施。怪我なし。制服汚損あり。


 エグチ:一個(朝)。


 カップ麺:一個(醤油味)。


 特記事項:第7世界線、今日も継続中。老人の部屋に灯りがついていた。摩天さんに「よくやった」と言われた。重さが私のものだということを、今日初めて実感した。



 ……以上。


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