第二十五話「十秒だけ」
【許可】
【拒否】
二つだけだった。
私は箸を置いた。
塩味のカップ麺から、まだ湯気が出ている。
画面を触る前に、通知の詳細を開いた。
送信元。
第7世界線。
要求種別。
観測。
観測時間。
十秒。
干渉。
不可。
取得情報。
映像、音声。
私はそこまで読んで。
昨日の第104世界線を思い出した。
一日一回。
知らない誰かの日常を、十秒だけ見る。
相手は選べない。
見られる側は気づかない。
私は、それを自分で処理できなかった。
似ていたから。
画面には、あと一項目あった。
【観測対象:世達】
私だった。
カップ麺の湯気が、画面を少し曇らせた。
「……嫌な予感しかしません」
言ってから。
少し違うと思った。
嫌ではない。
たぶん。
私は【許可】を押した。
◇
【観測開始】
何も起きなかった。
部屋はそのまま。
カップ麺。
机。
脱いだ上着。
床に置いた鞄。
開きっぱなしの個人端末。
私は急に。
鞄を椅子の横へ寄せた。
上着を畳もうとして。
やめた。
今さらだった。
【残り七秒】
見られている。
そう思った瞬間。
何をしていいか分からなくなった。
手を膝に置いた。
それも変な気がした。
カップ麺を食べた。
熱かった。
むせた。
【残り三秒】
「……最悪です」
【観測終了】
画面が戻った。
私は水を飲んだ。
十秒。
それだけ。
なのに。
第418世界線の女性が、カーテンを閉めた理由を少しだけ分かった気がした。
◇
火曜日。
十八件。
少ない。
私はエグチを食べながら、昨日の観測履歴を開いた。
【第7世界線 → 世達】
【十秒】
【完了】
観測者の欄はなかった。
詳細。
【要求主体を特定できません】
私はエグチを置いた。
女性ではない。
とは書いていない。
女性だ。
とも書いていない。
世界線から。
通知には最初からそう書いてあった。
「……確認事項がまた増えましたね」
私は個人端末を閉じた。
一件目を開いた。
◇
六件目。
第104世界線。
昨日、私が別担当へ回した世界。
処理結果が返っていた。
【判定:経過観測】
理由。
「現象による重大な害は確認されていない。ただし、被観測者が観測を認識できず、拒否手段も存在しないため、継続評価を要する」
私は三回読んだ。
昨日の私には。
この一文が書けなかった。
似ていたから。
今なら。
少しだけ分かる。
十秒でも。
見られていると知れば、鞄の置き場所まで気になる。
でも。
第104世界線では。
見られる側は知らない。
知らないなら害はないのか。
知らないままなら、拒否できなくてもいいのか。
分からない。
私は処理結果に追記しなかった。
担当者はもう私ではない。
それでいい。
◇
昼。
第7世界線を開いた。
個人端末。
春。
縁側。
女性がいた。
湯呑み。
一つ。
膝の上に何か置いている。
紙だった。
私は拡大した。
白い紙。
文字はない。
女性は紙を見た。
こちらを見た。
それから。
紙を裏返した。
裏にも何もない。
「……何ですか」
当然、返事はない。
女性は少し考えるように首を傾けた。
紙を置いた。
湯呑みを持った。
私は三十秒ほど見て。
接続を切った。
分からない。
でも。
昨日までより。
画面が近い気がした。
◇
十四件目を終えたところで、秩序ちゃんが来た。
「世達ちゃん」
「はい」
「第104世界線の再割当、確認しました」
「はい」
「判断できなかったんですね」
「私が似たことをしていたので」
「そうですね」
秩序ちゃんは書類を一枚置いた。
「それで、昨日」
「はい」
「今度は見られました」
秩序ちゃんの手が止まった。
「誰にですか?」
「分かりません」
「……分からない相手に許可したんですか?」
「第7世界線です」
「世界線は相手の名前ではありません」
「知ってます」
「十秒?」
「十秒です」
「何を見られました?」
「カップ麺を食べて、むせました」
少し間。
「それだけですか?」
「それだけです」
「では、先に記録してください」
「業務ですか?」
「違います」
「では始末書ではないですね」
「そこを最初に確認するんですね」
「大事なので」
秩序ちゃんは何か言いかけて。
やめた。
「次に要求が来たら、送信主体を確認してください」
「確認できませんでした」
「では、許可しないという選択肢もあります」
「はい」
秩序ちゃんは行った。
机の上の書類を見る。
昨日の十一枚だった。
一枚も減っていない。
◇
十八件。
終了。
始末書、十一枚。
昨日の分。
今日の分、ゼロ。
珍しい。
◇
夜。
203号室。
醤油味。
今日は上着を畳んだ。
鞄も椅子の横へ置いた。
置いてから。
自分で気づいた。
「……何してるんでしょう」
個人端末が鳴った。
【第7世界線から、あなたへの観測要求があります】
昨日と同じ。
詳細。
観測時間、十秒。
送信主体。
特定不能。
【許可】
【拒否】
私は【拒否】に指を置いた。
秩序ちゃんの言う通りだった。
相手が分からない。
拒否していい。
当然。
指を離した。
【許可】を押した。
【観測開始】
私はカップ麺を持った。
画面の向こうは見えない。
誰が見ているのかも分からない。
それでも。
少し持ち上げた。
「こんばんは」
【残り六秒】
返事はない。
【残り四秒】
私は麺を食べた。
今日はむせなかった。
【観測終了】
すぐに第7世界線を開いた。
夜。
縁側。
女性がいた。
湯呑みを持っていた。
女性は。
それを少し持ち上げた。
止まった。
下ろした。
私は画面を見た。
カップ麺を持ち上げた。
女性はもう一度。
湯呑みを上げた。
私は接続を切らなかった。
十秒を過ぎても。
見ていた。
向こうも。
たぶん。
こちらを見ていた。




